カクテル

不幸なカクテル

若いバーテンダーは、こう付け加えた。

「人の不幸が入ってるんです。」

今日は
『セクハラ上司がクビになった味』
とのこと。

想像しながら、恐る恐る飲んでみる。
うん、爽快だ。
そしてほのかな甘みもある。

言われてから飲んでみると
本当にそう感じてくるのだから
不思議なものだ。

「ね、近いですよね。」

じっとこちらを見る目は
宝物を見つけた子どものようだ。

「確かに。」と小さくうなずくと
彼はうれしそうに笑った。
少したくらんだような顔も
どこか幼さが残っていた。


ある日は
『友だちがいい男と別れた味』

またある日は
『偉そうな同僚がミスをした味』

共通点は、甘さを含んでいること。

繁華街の路地裏に
いつの間にか出来ていたバーの、
ユニークで皮肉のきいた味は
町のひそかなうわさになっていった。

何の不幸かを聞きに来る者
微妙な味の違いを楽しむ者
便乗して自慢の不幸話をし始める者

その場の楽しみ方は様々。

1人だったバーテンダーは
4人に増えており、
女性客も多く見かけるようになった。

「ありがたいことですよ。」

忙しそうにしていても、
笑い方は変わっていない。

「みんな不幸が好きなんだねぇ。」

隣の男はそういって
タバコの灰を落とした。

最近はリクエストも増えたらしい。
 
中には自分の不幸を
リクエストする者もいるのだとか。

彼女に振られたとか、
仕事で失敗したとか、
娘が反抗期になったとか、
落ち込んだ様子で来るとのこと。

たいてい、苦味を足すらしい。
甘すぎるよりは良いのだとか。

そんな厳しい味も
話題に乗ってきた客たちには
好評だったようだ。


小さな町のブームは
次第に冷めていき
店内にはまた
穏やかな時間が流れていた。

ある日、

「お店を閉めることにしたんです。」

と告げられた。

「ずっとやるつもりもありませんでしたから。」
「よく続いたと思っているくらいです。」

そういう彼の表情は
曇っている様子はなく
むしろ、
晴れやかな印象がするくらいだ。

「それは残念です。」と
素直な気持ちを伝えると
彼はまたあのたくらむ表情を見せた。

「最初にお出しした味は確か・・・。」

「セクハラ上司がクビになった味。」

「そうだ、そうでしたね。」

そう言うと彼は用意を始めた。

すると、すぐに出てきたのは
最初に見たものとは違う
無色透明の飲み物だった。

「こんな色でしたっけ。」

と思わず聞くと

「こうなっていくんですよ。」

と返された。


そして彼は、こう付け加えた。

「一番の不幸です。」

想像しながら、飲んでみる。

匂いも味もしない。
そして、
口に残ったそれまでの甘さを
取り除いていった。

正体はすぐに察しがついた。

「水だ。」

「正解です。」

「忘れられること?」

「関心がないこと?」

「何も感じなくなることか。」

「不幸もそれも全部含めて、
”気づかないまま慣れてしまうこと”です。」

もう一度飲み込んでみても、
それはするすると滑らかに
身体の中に染み込んでいった。

外では酔っぱらい達の
高らかな笑い声が聞こえていた。

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