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「幸せに生きる力の身につけかた/みうらはまかぜトークvol.1」開催レポート

はじめに

以前、SUUMOジャーナルでも紹介されましたが、私は神奈川県三浦市の先っぽ、三崎地区の海に面した築80年くらいの店舗兼住宅の住宅部分を家族4組で借りて、DIYをしながら週末など時間がある時に過ごす、という「シェア別荘」の取り組みをしています。

本日は、地元三浦市の活性化に取り組んでいる人たち、私と同じく都内と三浦市とで2拠点生活をしている人たちで立ち上げたトークイベント、「みうらはまかぜトーク」の第1回に参加。
イベントレポートをしてみることにしました。

イベント趣旨は以下の通り。

いろんな分野で気持ちいい風をふかせている人を、気持ちいい風が吹く港町にお招きして、ゆったりお話していただきます。三浦に住んでいる人も、三浦を訪ねてきた人も自然と話しがはずむ、アットホームな場にできればと思っています。できれば月1くらいでやりたいなあ。

記念すべき第1回のゲスト、川辺洋平さんの略歴はこちら。

広告代理店、出版社をへて2014年より現職。また同2014年より特定非営利活動法人こども哲学・おとな哲学 アーダコーダを設立し、代表理事を2019年まで務めた。現在は早稲田大学大学院教育学研究科博士後期課程所属。保育士、幼稚園教諭、小学校教諭、中学校教諭(美術)、高等学校教諭(美術)の資格をもつ。

という、こどもの学びのスペシャリスト。

2020年のコロナ非常事態宣言下には、
「自宅での、こどもとの学び」を受け入れる新しい社会の実現に向けた情報を発信していくウェブサイト「おうちチャンネル」を立上げ、親子に役立つ情報や教育プログラムを提供しています。

そんな川辺さんに、「幸せに生きる力の身につけかた」をうかがう、というのが今回のテーマ。

川辺さんは多くの分野でクオリティの高いハードワークをこなしつつ、なんだか結構幸せにみえます。子育てにおいても、(もし間に合えば自分も)、幸せ力を身につけるヒントについて話し合えればと思っています。

当日は、コロナ対策のため、三浦市内での会場観覧は少人数に留め、オンライン中継も実施する形で開催されました。
なお、主催者側は以下のメンバー。

●幹事
<聴き手>
かがやん/みうらひみつ倶楽部
東京でリーマンをやりながら家族で大好きな三浦と行ったりきたりしている2拠点居住の人。

<バーマスター>
やまり/RSD Villageオーナー
好奇心だけで宿経営。感覚重視の4児のパパ。

<オンラインファシリテーター>
お菊/ミサキステイル代表 
三浦の移住定住に燃える地元の姉さん。お試し移住拠点「あるべ」で朝ごはん屋さんもやってるので金曜日は泊まって土曜日の朝はここで朝ごはんですね。
りさ
三崎のクリエーターシェアハウスを拠点に活動するデジタルマーケター

<コーディネーター>
たっつん
あるときは三浦海岸のバス会社経営者、あるときはキッチンカーのシェフと多彩な三浦の名物にいさん

それでは以下、当日の模様をレポートします(写真左が「かがやん」こと加形さん、右は川辺さん)。

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開催レポート

加形(かがやん。以下か):
加形です。
普段、東京の築地にいますが、子供ができて、ゆっくりしたところで過ごしたいな、と思っていたところ、今日も運営を手伝っていただいているメンバーがいますが、三浦と縁ができて、三浦と2拠点居住をしています。
仕事は、新しい事業を作るお手伝い、地方自治体とのお仕事などをしています。
三浦に来て、今まででは絶対に知り合えなかったメンバーと知り合って、いっぱい友達ができて、自分の人生が幸せになったと思っています。
いろんな友達が三浦の僕の家に泊まりに来て、2拠点生活を始めた人もいますが、そういうことが自然にできたらな、と思っています。
ただいつも、「三浦に来てよ」と誰かに言うと、「いつか行くね」という話にはなるのですが、「こういうことやるからこの日に来てよ」という形でやった方がやりやすいだろう、と思い、そこでいろんな人たちと一緒に話をしたら新しい繋がりができるのでは、と思い、こちらの「RSD village」というゲストハウスに併設したバーを会場に開催することとしました。
せっかくだからゆっくり来て、過ごせる場所ができたら良いね、ということで。

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今回、金曜日の夜に開催したのにはそういう狙いもあって、土曜日の三崎ってすごく良い雰囲気ですよね。
金曜日の夕方にこちらに来て、いろんな人と話をして、ということができればな、と相談して、今日の開催に至っています。

第1回の記念すべきゲストとして、川辺さんに来てもらっています。
僕の会社の何個か下の後輩で、才能がある人だったので、結構早々に辞めてしまいましたが、「こども哲学・大人哲学アーダコーダ」という活動を始められました。

川辺(以下川):
広告の会社に5年半いて、出版社を立ち上げる話を聞いてそこに1年半いて、自分の会社やNPOをやっていて、今、37歳です。

か:
2020年は、世界中の人たちの生活が変わった年だったと思います。
自宅での生活を受け入れる日々となりましたが、川辺さんは「おうちチャンネル」というウェブサイトも始めました。
家でできる教材で、うちの子供も、川辺さんがプロデュースしたものをやって、先週は尻尾を作ろう、という内容で、めちゃくちゃはまっていた。

そういう素晴らしい友達に今回、逗子から来てもらいました。
第1回は、新興宗教っぽいタイトルになっちゃいましたが、「幸せに生きる力の身につけかた」。

僕自身、太っているからか、結構幸せそうに見えますが、実はあまり自分に自信がなかったりとか、なんか自己肯定感みたいなことを持ちきれなかったりして、今も生きている感じがするし、自分に子供ができて本当に悩んでいるのは、小1ってすごく忙しいんですよね。
朝早く起きないといけないし、学校があるし、習い事があるし、1日がすぐに過ぎる。
習い事とか、詰め込み教育的なもので良いのか、工作が好きなのですが、お絵描きとかそういう習い事に通わせたいのですが、それで学校の勉強についていけなくなって、「自分はあまりできないんだな」となっちゃって引け目を感じて生きるようになったら、そういうのも可哀想だな、と思って、まだ小1だから、自分が何をやりたいのか分からない中、どうすれば良いのか、と。
社会で上に上に行って成功する、というのが必ずしも幸せの近道だとは思わないんですね。
お金がなくても幸せだと思えばそれで良いじゃん、とも思うけれど、綺麗事ばかりでも仕方ない。
時間が24時間しかない中で、どうしたら良いのか、と思い悩むところがありました。

川:
Peatixのイベントページに、(慶応大学大学院の)前野(隆司)先生のリンクがあったのですが、あれは?

か:
「幸せの4つの因子」というのを知れば、幸せを知ることができる、という話で、幸せの因数分解をしているんですね。
アンケートで解析した結果、「やってみよう」「ありがとう」「なんとかなる」「ありのままに」の4つの因子があって、これを満たせば幸せになれる。
やってみよう因子は主体性で、何も行動を起こさないよりも幸せだ。
ありがとう因子は、ありがとうと言える感謝の心。
なんとかなる、は、ポジティブに考える傾向がある人がたぶん幸せだ、という話。
川辺君は幸せに生きているのでは、と勝手に思っているのですが、4つの因子はどうやって身につけるのか、というと、最後までちゃんと読んだところ、「幸せというのは要は気の持ちようなのです」とあって、自分としてはそれができれば苦労しない気もしたところがありました。

川:
逆に聞きたいのは、加形さんは僕のことを幸せそうだな、と思っているように、僕も加形さんが幸せそうに見えている。

か:
自分にはありがとう因子はあるし、周りのメンバーは主体性がある。
三浦のメンバーは「新しいことをやろうよ」という機運で、それに対してはすごく、ありがとう、という気持ちがあります。
今は結構、たまたま良いメンバーに囲まれている。
奥さんも良い人だし、ありがたいな、と思います。
でも、それは人様のおかげだから、その人たちがいないとどうなるか、と思うところがあります。

川:
今日のポイントですが、「人様のおかげだから」というところで行きましょう。
周りの人のおかげさまで、の幸せ。これが今日のテーマですよ。これをじっくり考えていきましょう。
前野先生は、幸せになるスキルの話をしているけれど、加形さんは「皆さんのおかげです」という話をしている。

か:
自分は、一人ぼっちでいても幸せでいたい。
でも、今は仲良しの人たちの布団に囲まれているからなんとかなっている。
それがなくなっても前を向いて生きていける力を身につけたいし、「それは無理ですよ」と川辺さんに言われたら、うちの子供たちはどういうふうにすれば、これから運不運ある中、ポジティブに前を向いていけるのか。
それが、勉強ができることよりも大事なことだと思います。

川:
加形さんに聞きたいのは、本当に、自分一人だけになっても幸せでいられるのか。
それが加形さんの求めるものなのか。

か:
できれば、皆さんのご厚意の中で、温かく生きていきたいが、それが続いていくかは分からないし、僕はそれが怖い。

川:
子育ての話が出たが、加形さんは、その子が一人で生きていける力、というのを幸せだと定義しているんですか?

か:
そうかもしれないですね。
結果として、一人でも前向きで生けていける人は、幸せに生きていけると思う。
自分を自分で温めていけるのだと思います。

川:
一方で、加形さんが考えている、「一人で生きていける」「孤独な環境でもポジティブに生きていける個人」。これは加形さんの課題でもあるのだけれど、それを子育てと一直線にして考えていますか?

か:
一人ぼっちかは分からないけれど、運が悪いことが続いても、前を向いていける力は僕も身につけたいし、子供も身につけたら幸せな人生を歩めるのではないか、と思います。

川:
例えば加形さんが交通事故に遭って、そのような状況でもポジティブでいたい、ということでしょうか。

か:
何かの本に書いてあったんですけれど、人間の本当の友達はどういう時に分かりますか、という調査をした人がいて、それは、病気とか怪我とかで入院した際に2回以上お見舞いに来てくれる人だと。

川:
「Friend in need is friend indeed.」ということですね。

か:
会社の人は、1回はお見舞いに来るかもしれないけれど、2回は来ない。
女性の同僚が2回来たら、奥さんが何か疑うかもしれない。

川:
そういう論文もあるよ、と言う話ですね。
ということはやはり、幸せをつかむためには友達が重要になってくるのではないでしょうか。
幸せという言葉には段階みたいなのがあって、ここでちょっと脱線すると、今年、コロナがあってヨーロッパは大変な死者数が出ていますが、日本では人数的にはそこまでではない。
でも、他に命に関わることは何があるか、と考えると、地震、大きな病気、テロ行為、天変地異とあって、それらの歴史を一覧表にまとめてみて、子育てをするのにはどういう環境が良いのか、どこの国で育てるのが良いのか、というのをまとめてみて思ったのは、「ここが一番良い」という国はないんですよ。
人が多く集まるところにはテロがあったり、とか、ここが完璧、という場所はない。

幸福をどこに定義するか、ですが、前野先生みたいなものを挙げていく人もいるし、個人のスキルを上げてこの個人主義の世界でも経済的に生きていけるように、というのもあるし、生きているだけでも良い、という国で生きている人もいる。
ちなみに加形さんは台湾に住みたい、と思っているそうですが、なぜ台湾に住みたいんですか?

か:
自分は日本大好きで、夜中、ジョギングや散歩をしていても治安の心配がないし、しみじみ幸せだな、と思いますが、うちの奥さんも台湾に留学していたことがあったり、僕も仕事で行ったりもして、とりあえず「雑でも良いからやってみよう」という人たちが多い気がします。
「え、そんなことも考えずにやったんですか」というケースもありますが、「早くやった方が良い」という文化で、それで上手くいっている人もいる。
「やろう」という人が周りにいっぱいいて、「自分もやる」。そういう社会で生きている。
自分の子供もそういう環境で育てた方が良いのでは、と思ったんです。

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スタッフ:
ここで、オンライン参加者の中から質問があります。
「幸せと孤独の定義が必要なのではないでしょうか。万人にとっての幸せはあるのか。大人にとっての幸せが子供にとっても幸せか」。

川:
確かに、孤独とか幸福という言葉の定義が曖昧だと、ここで聞きたかったことではない、ということになることもあるかもしれませんが、結論は、時代と環境によって結論は違う、ということではないでしょうか。
僕と加形さんの話す幸福は、ここでしか起こらない幸福。
ここで出る定義は明日使えない。
そういう前提で話して良いのでは。

次の話の方が重要かもしれなくて、「大人にとっての幸福と子供にとっての幸福」の話。万人向けか、という話。
そこ(大人)が幸せと思えるシチュエーションを子供に当てはめるならば、(その子供が大人になる頃には)20年くらい経っていて、通用しない。
だから、今の大人の幸福は子供にとっての幸福ではないので、イコールではない、ということだと思います。

か:
それは僕も分かっているところ。
レジリエンス、すなわち「強靭性」の話だと思うんですね。
それを身につければ、という。そういうことを言っていたんですね、
算数とかもできなくても良いし、青年になった段階でその子供が算数が必要だと思ったらやれる。
それがレジリエンスだと思うのですが、それを概念論ではなくて、時間の使い方やノウハウとか、そういう意味でも話もしたいな、と思ったんです。
僕の最初の質問は、レジリエンスの身につけ方。
強靭性、しなやかさ、しなやかな強さの身につけ方。
何かボン、とやられても、そのまま吹っ飛んでいくのではなく、殴った人が傷つくわけでもなく、戻って来て、自分の信じる道を着々と進む、という。

川:
それを台湾の人に求めている?

か:
とりあえずやってみる。
やってみて、実は好きじゃないと気づいたら、じゃあ、これをやってみよう。
そうすることで、結構幸せなのではないかな、と。

川:
子供と大人に共通する万人にとっての幸せ、それはしなやかさ、酷い目に遭っても立ち向かっていける能力が幸せなのではないか、と。

か:
それは、子供も大人も同じなのでは、と。

川:
そのレジリエンスがどうやれば身につくのか、というのが、加形さんから僕への質問ですか?
それは最初の「おかげさまと思える」ということにつながると思う。

か:
僕自身の僕の主観の話をすると、僕のレジリエンスはそこまで高くなくて、叩かれたら眠れなくなります。

川:
信じられない。

か:
でも、周りの人のおかげでなんとかやっていられて、それはありがたいな、と思うのだけれど、でもそれは僕の内側から生じているものではない。
一人ぼっちになっても平気で強靭な人もいそうに思います。

川:
それは、絶対に誰かが助けてあげています。

か:
そうかもしれないですね。
でも僕は、人を見る目も自信がない。
ぼんやり見ているところがあるんです。

川:
どんどん挑戦できる人は、どんどん失敗できるマットを持っている気がします。
困ったら飯を食わせてくれる人、宿を貸してくれる人がいることがレジリエンスの一つなのだけれど、加形さんはマッチョになろうとしている。
自分で跳ね返そうとしている。

か:
「ドラゴンボール」では、トランクスが筋肉をつけすぎてセルに負けましたね。

川:
「ドラゴンボール」も「鬼滅の刃」も、ネットワークで戦っていますよ。

か:
そんなに孤独になることを恐れて右往左往しているのは、人生の無駄遣いなのでしょうか?

川:
加形さんは人を信用していないのでは。

か:
話の本論とはずれるかもしれないけれど、自分は人の嘘が見抜けない方。
自分が悪かったのかな、ということが結構あります。

質問者:
先ほどからのお話を聞いていて、私は、加形さんの悩み自体はとても分かる気がしていて、大きなマット、すなわち失敗しても大丈夫な何かを身につけるには、心の中に見つけるにはどうしたら良いか、という質問をしたいと思います。
加形さんのお話を聞くと、これを身につければ良いのでは、人がいなくなったらどうしよう、子供の教育がみんなから遅れたらどうしよう、と引き算で考えている。
その時代の環境で満足できる、何も変わらないで幸せで行くには、マットがあれば大丈夫なのだと思いますが、私たちは、お金の面で不安ですよ、これがあったら幸せですよ、みたいなことを言われて、大人になって不安に晒されているところがあります。
そういうマットみたいなものを大人になったらどうやったら見つけられるのか、というのを聞きたいと思います。

か:
強靭性のことですよね。
強靭性って、何かあった際にストンと落ちられる。
仏教的な感じになってきましたね。
求める気持ちを、期待する気持ちをなくせば幸せにつながるのかも、と思うのだけれど、そうはいかないんだよな。

川:
大人になってから不安になって、マットを持っていない人はどうしようかな、ということですか?

か:
今周りにいる人がいなくなったらどうしよう、とか。

川:
その人たちに自分からついていけば良いのではないですか。

か:
ついていける人格的力量がない。
頑張れる人とそうではない人っていると思うし、自分がそれに値するのか、という気持ちがある。
そこのところ、川辺さんは落ち着いている。
それがとてもひっくり返せるとは自分では思わないし、おじさんになってもそういうのがあると嬉しいですけれどね。

川:
確かに、僕には根拠のない自信に自信があります。

か:
自信を一つ抜いても、まだ自信があるんですね。

川:
それがない人が身につける方法っていうことですか?
ちょっと話がずれますが、僕と加形さん、一緒にTシャツを作ったことがあるんです。
乳首が透けないTシャツ。

何にもなかったところから商品が開発されて、世に出て、テレビに出たり、いろんなウェブメディアに特集されたりして、知られた商品になった。
そういうものに携わっている時の加形さんは台湾人みたいに、「面白いな」と思いました?

か:
思いました。
普段の仕事もゼロから生み出す系なので、面白いですけれどね。

川:
そういう経験があっても自信にならないんですか?

か:
調子に乗ることはありますが、いつまでも続かないな、と思う。
それもまた、周りの人たちに助けられているから、自分一人では生きていけないな、と思います。

川:
成功体験を積み重ねても自信にはつながらない、ということですか?

か:
ちりつもにはなっても、そうした経験も、環境はどんどん変わっていくから、100歳まで生きていくとしたらその流れに追いつけない。
だから自分は、大学院に行ったりとか、それなりに自分なりにいろんなことをやっているつもりではあるのですが。

質問者:
自分も加形さんに共感します。
失うことが怖い。
今持っている環境、とか、それを全て失っても全部幸せでいられるのかどうか。
仕事、家族、そういうものがなくなっても幸せでいられるのだろうか、と。

川:
いや、自分もそうなったら不幸のどん底だと思う。
幸せな状態で、持っているもの、抱えているものをなくしたら、それは不幸というよりも無。
私は誰、という。
不幸というより、ゼロという感じ。

質問者:
それが自信とつながっているのか、私もまだ整理できていないが、感じています。

か:
同じですね。

川:
加形さんは何を積み重ねて、何を失おうとしているんですか。

か:
仕事の反射神経というか、ちょっと良いことを言う、ということに関しては、新入社員のころよりはできるようになったのですが、今の新入社員は元々そういうことができていて、さらに、いろんなことを知っていて、発想の鋭さがあり、しかもそれをすぐ形にしてくる。
その成長速度を考えると、5年もしたら僕の60年くらいのものになる。
そうすると、僕の居場所なんて、絶対ないな、と思うのだけれど、人生100年時代。
役立たずだと思われて、そっとされて生きていきたくないな、と思う。
何かの価値を提供し続けたい、と思う。
そんな大きな仕事ではなくても、誰かにありがとう、と言われたり、加形さんらしい仕事だよね、と言われたら嬉しいのだけれど、今の若い人たちを見ていると、とてもそんなふうになれるような気持ちがしない。

質問者:
僕も価値を提供できることに価値を感じると思うが、小さなこと、例えばゴミを拾うこととか、お皿を洗うことでも、ありがとう、と言われたら満足できる。

川:
そういうものって、失うことってあります?

質問者:
それはないと思います。

か:
僕もそういうふうに言いたい気持ちなのだけれど、自分はそういう話に対して、「本当に?」と思っているところがあるし、その一方で、「自分らしいね」「ならでは、だね」と言われたら嬉しいところがあるし、そういう欲望があるかな、という気持ちは今、ありました。

質問者:
本当かな、という加形さんからのツッコミを受けて、僕も本当かな、と思ったのですが、僕は三浦への移住者でして、自分が今住んでいる三浦をもっと良くしていきたい。
三浦に落ちているゴミを拾う、というのはそれに向かっている感じがあるから幸せなのかな、と思いました。

か:
さりげない行為が、何かに向かっているから。

質問者:
スライムを倒すようなものかもしれませんが、最終的には、魔王を倒すための経験値を積むための一歩としてのスライムというか。

川:
勇者型の考え方ですね。
自分を強くしていく、という気持ちがあって。

か:
僕もそういうところはありますが、このスピードでは無理なのでは、と自分では感じてしまいます。

川:
僕は、「俺のルイーダの酒場はすげえぞ」という感じですね。
俺は確かに弱いぞ。俺一人では竜王は倒せない、自己紹介もまごつくが、ルイーダの酒場に連れて行ったらすげえぞ、と。
成功体験を積み重ねて、ゼロイチのうまくいかないところからの体験をいくらやっても、台湾人みたいなレジリエンスは身につかない、という話がありましたが、自分以外に頼れるのがレジリエンスになるのでは、と思います。


か:
最近、希望退職を募る会社の話を耳にしますが、ある尊敬する方が、「辞める辞めないの判断をする時、良い仲間がいる人は辞めている、というところがあるよね」という話をしていたことが印象に残っています。
確かにそうだな、と思ったのだけれど、ルイーダの酒場を持っている人は、楽しく飲めるし、冒険にも行けるのかな、と思いましたね。

川:
僕の根拠のない自信はどこから来るか、と考えた時、成功体験なのかな、と思ったのだけれど、自分が頼れる人がいっぱいいる、というところかもしれない。

か:
こういうことがやりたい、と言った時に一緒にやってくれる人たちを大事にしないと、と思っています。

川:
今日の話、ずっと通底するのは、周りの人、ということですね。

か:
そう言いながら、僕は本当は信用していないのかもしれないですよ。
川辺さんのように、「俺にはルイーダの酒場がある」とは言えない。

川:
子供だって、習い事をしたい時って、一番仲が良い子がやっているから、というのが大きな理由になっている。
それが子供にとってのレジリエンス。
学校が終わっても仲間。その能力を認め合える環境性が大事なのでは。

か:
うちは都内と三浦とで行ったり来たりしているけれど、それが良くないのかな。
でも、うちの子供たち、2、3年ぶりに会った人からは驚かれるんですよ。
すごく元気に挨拶できるようになったね、と。
ここではいろんな人たちに挨拶して、「すごく明るくなったね」と。
夫婦で、「それは三浦にいられたおかげかもね」と話しています。

川:
2拠点なので、確かに関係性が2分の1になっている可能性もありますが、大人との関係が、ウォームなところもコールドなところもあるのかもしれませんね。

か:
今、ニュースアラート的な感じで、声掛け事案で都内であるとアラートが来るのですが、「声掛けで?」と思うところはありますね。

川:
逗子では絶対挨拶するし、島でもそう。
2分の1、と言うのもあるし、違うものもあるのでしょうね。

質問者:
ルイーダの酒場の話ですが、甘える力って大事なのかな、と思います。
勇者だから格好をつけないと、というのがあるのかも。人に助けを求めるの方が難しいのはなぜでしょう?

か:
僕はダメなくせに、人に頼るのが苦手。
タスクを誰かに振るのは得意だけれど、頼りにするのは苦手かもしれない。
ビジョンがあって、仕事を振るのは慣れているけれど、それは本当に心で頼りにしているのか、は分からない。

川:
それは、加形さんは自分の作りたいピザが決まっているから。
広告の仕事も同じ。
アートディレクターが作ってきて、どうしようかな、という出来だけれど、でも、提案はしよう、と。
みんなで作る前提だから。

か:
それで、僕はピザができないことを不安がっている。
誰も言い出さないけれど、僕はこの状況ではピザを作った方が良いと思う。
そこで、見切り発車してしまう。

川:
僕は、美味しくできればそれで良いと思います。

か:
そうだね、そこが究極、できなかったところがある。
みんなでやることが大事。
僕はビジョン、進行することにこだわり過ぎている。

川:
もしかしたら、頼られる方が多かったのかもしれないですね。

か:
僕は、一人ぼっちになってもやろう、と思っているところはある。
滞っていることがあったら、自分は一人でもやるけれども、みんなもやってくれるならばやってね、という。
でも、やりたいんだよね。何かやりたいと思ったら。
それで不幸になっているのかもしれない。

質問者:
人に素直に助けを求める力は、どうやったら身につくのですが。

川:
それには、失敗体験を積み重ねる。

か:
失敗を積み重ねてもなんとかなるのは、ルイーダの酒場があるからでしょうか?

川:
逆に、失敗があるからルイーダの酒場ができるんですよ。
はっきりとしたイメージのある人は、「失敗したピザ」だと言うのでしょうけれど。

か:
「甘える」という言葉が良いのか分からないけれど、失敗しても良いからみんなでやろうぜ、でも、誰でも良い、でもない。
(学校の)クラス、という強制的なところでやるのではなく、仲間と思える人とやっているから、ピザ作りが楽しいのかもしれないですね。

質問者:
人の助けを借りたことで、自分の思ったものとは違ったものができた時、失敗と思うかどうか、というところに前提があって、人に助けを求めた際には見返りを与えないといけないのでは、と思うところがあります。
仕事だと、見返りを求めなくて良い。だって仕事だから。
それが個人だと、見返りを返さないといけないところがあるのでは。

川:
僕は先に、相手がしたいと思っているチャレンジを聞きます。
所属先の企業ではコピーライターをやっていますが、映像で何かやりたい、という話があれば、助けてもらえるルイーダの酒場の仲間のニーズを聞いてやっていく。
それが甘えやすいです。

質問者:
助け合いが前提となっている?

川:
僕は、「お金になるけれど楽しいこと」がやりたくて、相手の縛りがあっても気にしない。
映像を作りたいのであれば、じゃあ、つけようか、と。

質問者:
子供の場合はどうなるのでしょうか。
子供が自覚的にそう思わないとならないのでしょうか。

川:
集団の中で育てる、ということではないでしょうか。
その子の特性はその子による。

か:
どうPDCAしているのですか?

川:
自分でコツコツと積み重ねて没頭することが好き、人と遊ぶのが好き、というのがそれぞれありますが、親だからこそ「これはちゃんとやろう」というのをしっかりやりつつ、その活動自体がなぜそんなに魅力的なのか、というのを見極めるようにしています。
この勉強をすごくするとパパが褒めてくれるから、かもしれないし、友達褒めてくれるから、かもしれない。
目線だけを見て、この子はマーケティング向き、この子はクリエイティブ向き、みたいには思わない方が良い。

か:
その子が選択したからと言って、そのことが好きとは思わない方が良い、ということですね。

質問者:
あと、集団で遊ぶことをやった方が良いよ、という話がありましたが、やったところですぐに効果が出るのか分からないところがあります。
それをどう継続させるべきでしょうか。

川:
人間はいつも集団に所属しているわけではないし、強制力で状況を続けさせることは難しい。
部活とか、文化祭実行委員会とか、そういうものができた際に保護者として受け止めるのが良いのかな、と思いました。

質問者:
きっとこうした方が良い、と思ったものが、すぐに成果が出ることがなくて、どうしたら良いのかな、と悩んでいます。
肯定してあげる、というのが答えの一つなのかな、と思って聞いていたのですが。

か:
肯定しているうちに、子供の乗ったボートが、「本当はこっちじゃないんだけれどな」と思った方向に行っている思いをすることが最近、子供の成長に従って起きているところがあります。

川:
子供に何かをさせるより、大人の姿の方を見せる方が、よっぽど子供にとって手本になると思います。
自分がやっていないのにやらせようとしていないでしょうか。

質問者:
「なぜパパはこんなことを一生懸命やっているんだろう。でも楽しそう。でも幸せそう」。そう言うことなのかな。

川:
だと思います。

か:
僕の浅い質問から、非常に時間は掛かりましたが、問いと答えが深まったと思います。
「みうらはまかぜトーク」はどういうピザになろうとも、定期的に続けたいと思っていますので、また川辺くんにも第7回くらいに来ていただいてお話をうかがえれば、と思います。
ありがとうございました。

おわりに

川辺さんからの「自分以外に頼れるのがレジリエンスになる」という発言を受けて、加形さんが「最近、希望退職を募る会社の話を耳にしますが、ある尊敬する方が、『辞める辞めないの判断をする時、良い仲間がいる人は辞めている、というところがあるよね』という話をしていたことが印象に残っています」と返していました。
私も、何だかんだで他人に頼るのが苦手で、そういう点ではレジリエンスがない方なのかも。
このコロナ期は自分の人生を見つめ直す機会が多いですが、この夜も実り多き時間となりました。

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