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映画エッセイ:フランキー堺という俳優

 フランキー堺とシティ・スリッカーズのCDってあるんだろうかと検索したら現在はリリースされていないので驚いた。しかも廃盤になっている。

コミックバンド「フランキー堺とシティ・スリッカーズ」はその後、ハナ肇とクレージーキャッツ、さらにはザ・ドリフターズへと受け継がれてゆく訳だが、その元祖の「フランキー堺とシティ・スリッカーズ」のCDが現在では全くリリースがないとは寂しい限りだ。

 フランキー堺といえば映画では『私は貝になりたい』とか『幕末太陽傳』ということになるのかもしれない。でもフランキーの東宝時代の喜劇「駅前シリーズ」 とか「社長シリーズ」も目が離せない。『駅前旅館』から始まる「駅前シリーズ」では森繁久彌、伴淳三郎と共にレギュラー出演者だった。「社長シリーズ」で のゲスト出演でおかしな日本語を操る日系人や中国人の役回りは絶妙だった。

 フランキーは松竹や大映でも喜劇映画に出演したがやはり東宝時代が良かった。フランキーに東宝を去らせたのは藤本真澄社長の「君らが束になってかかっても植木(等)一人にかなわない。」という失言からだと松林宗恵監督は後に語っている。後輩で元バンドメンバーだった植木と比較されるのはフランキーにとっては屈辱だったろう。

 東宝を去ったフランキーは共に東宝から抜けた三木のり平と松竹で「喜劇~列車シリーズ」に出演するが既に精彩に欠けていた。やはりフランキーには東宝の「明るく楽しい東宝映画」というキャッチコピー通りの都会的な雰囲気が合っていた。

 フランキーのキャラクターは都会的である。その笑いを醸し出す雰囲気は吉本興業でも松竹新喜劇でも浅草軽演劇でもなく例えるならニール・サイモンのそれに 限りなく近かった。土臭い大映や日本家族主義的な松竹には合わないニューヨークの都会の雰囲気と華がある役者だった。坊主を演じても田舎の中国人を演じて も都会的な魅力が溢れる不思議な役者だった。
 
 恐らくそれはフランキーが敬愛していたアーティストがアメリカのコミックバンドの「スパイク・ジョーンズとシティ・スリッカーズ」だったことも無縁ではないだろう。
 フランキー堺のそうしたニューヨーク式都会的なセンスが逆効果として利用された作品もある。
 東宝が作った本格的なミュージカル映画『君も出世ができる』だ。
 アメリカ式の価値観が導入された会社で、日本式サラリーマン気質を守ろうと抵抗しているサラリーマンの役だ。
 フランキーのこのサラリーマンは結果的にアメリカ式にも日本式にも敗れてしまうのだが「アメリカかぶれ」を批判しつつも、日本のサラリーマン気質をも批判する、このアクロバットで複雑な映画で、フランキーの外地から見ているような視点(それは彼の役者としての雰囲気だが)が、この複雑な主題を見事に着地させていた。他の俳優では、おそらく成し得なかっただろう。

 岡本喜八監督の『独立愚連隊西へ』では中国軍の司令官を演じてセリフの全てが中国語だった。加山雄三や佐藤允を相手に全く堂々たる貫禄だった。外国語で外国人を演じてここまで個性的になれる人はそういるものではない。

 怪獣映画『モスラ』での新聞記者では同じミュージシャン出身のジェリー・伊藤との掛け合い(それは本家アメリカとの対峙だった!)や近未来SF反戦映画『世界大戦争』での乙羽信子との夫婦での共演など年齢的に全く合わないのに堂々たる老け役だったことも印象的だ。

 フランキー堺は僕の母校のひとつである大阪芸術大学の舞台芸術学科の名誉教授だったがその講義を聴いたときはすごい存在感とカリスマを感じたものだった。あのカリスマもアメリカの都会的なセンスのなせる技ではなかったのか。

 間違いなく森繁と並ぶ昭和の名優だったと僕は思う。

 フランキー堺の魅力は、無国籍なアナーキーさに彩られた音楽リズムの演技である。
 おそらくミュージシャンの天分が、役者としても開花させたのだろう。

 フランキー堺と言えば直ぐに「霊感ヤマカン第六感」という発想の人が多いんだがもっともっと映画を語って欲しいと思う訳だ。
 
そして「フランキー堺とシティ・スリッカーズ」も。

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