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何がどうしてこうなった。

僕は友達が少ない方である。いや、友達と呼べる人なんて右手の指の本数だけで事足りてしまうし、知り合いを含めてもそれほど多くはない。考えを膨らませていけば、まず友達の定義ってなんやねんとなってしまうが、ここでの友達の定義はあくまでも何でも話せる親友に近い存在を友達と呼ぶことにする。そしてなぜ僕には友達が少ないのかを今回は考えていこうと思う。

まず初めに言っておきたいことは、決して「俺は誰とも群れぇし、理解してくれる人間が数人いてくれりゃそれで良いのさ」の様な狼スタイルを好んで生きてきた訳ではない。むしろ、仲良しグループを見ながらひっそりと心の中で「俺も群れてぇ」と思って生きてきた。それなら、人ともっと交流したらええやんとなるのだが、ここでもう一人の「ながた。」が登場する。

「急に話しかけて引かれたらどうしよう、やっぱ急に話書けるんやから面白い話の一つや二つ話すべきか?いや、そんな話持ってへんし気使わすだけちゃうか辞めておこう」心底どないやねんとなる話だ。そんなどないやねんの積み重ねによって高校1年生での居場所のほとんどが、教室の隅っこの机であり僕のサンクチュアリであった。そんな僕に気を使って1年生の頃の担任の先生が母にこんな話をしたことがあった。

「永田くん入学してからずっと休み時間は机に顔を伏せてイヤホンをしてるんですが、お家では元気でしょうか?」

やめてくれ恥ずかしい、元気だわ!まず学校でも元気だわ!

この頃ぐらいから僕は友達が居ない現状を開き直り始め、一人で何が悪いと思い始める。だからと言って友達を作ることを諦める訳ではなく、あくまで人との人間関係は縁の問題であり、目の前の人に素直に向き合っていれば自ずと巡り会うものであると高校生ながらに考える。悟りを開き始めた高校1年生の春である。


あの頃からひとり遊びが得意だった


昔からひとり遊びが好きだった。何か没頭できるものがあれば時間を忘れて打ち込んでいたし、没頭できるものの大半が一人でできるものだったのも、友達が少ない要因なのかも知れない。そんな自分だけの世界に入り浸る生活ゆえに、人と交流する機会が極端に少なく、コミュニケーション能力を疎かにしてしまい関係を築くのがかなり遅い。

別にこれが良いとか悪いとか、そんな話ではないものの、勿論たくさんの人と関係を築けるに越したことは無い様に思う。けれど、あの頃自分の時間を大切に優先したからこそ、今の自分に生きてきているようにも思う。

一人で居る時間が孤独か?と聞かれると全然そんな事はない。それには音楽が深く関係している。僕は物心ついた頃から音楽が好きだった。音楽が鳴る場所が僕の居場所であり、スマホとイヤホンさえあれば居場所はどこでだって作れた。今だって、その関係が崩れる事はなく気持ちは増すばかりである。

得意と苦手で分類するなら、圧倒的にひとりの時間が得意であり、人と一緒に居る時間が苦手である。話が滞ろうもんなら、何か話を振らなければ!と思えば思うほど頭が真っ白になり、余計空回りしてしまい必要以上に疲れる。初対面なら尚更である。

そんな恐怖心に近い感情から、人と必要以上に関わることからフェードアウトしてしまいがちである。もう一歩踏み込んでいれば、もう少し友達が多い人生だったんじゃ無いかと最近思う。多いから良いと言うものでは無いものの理解者が多いに越した事はない。


確かに人間関係は縁で回っているものの、見つけてもらおうとするのも大切である。自分の世界をひたすら築き上げてきた僕の人生も、そろそろ同時進行でもう一歩外に飛び出してみても良いんじゃないかと思う。その一環にこのnoteがある。瞬発的な会話が苦手だからこそ、文章の上ならできるだけ素直に近い感情を乗せられる。別に大きく日常が変わることはないものの、こうして気持ちを残しておくことで、少しずつ未来が変わるかも知れない。


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