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心の温度がこもる場所

きっとこの気持ちも忘れてしまいそうだから、僕は文章に残しておきたいと思い今日も書いている。

スーパーへ買い出しに行った帰り道。夏も終盤に差し掛かり、肌に当たる風も少し冷たくなってきた。いつもの道をいつも通り、なんて事ないありふれた帰り道に前の方からベトナムの人らしき男の人が颯爽と自転車でこちらに向かってきた。

ここら辺じゃ別に珍しいことでもなんでも無いので、気にも止める事なく通り過ぎようとしたその時だった。

「ガタンッ!」

お?なんや。と振り返ると、その男の人が自転車の後ろに縛っていた段ボールが落ちてしまったらしかった。しかもダンボールにはパンパンに物が詰め込まれていたらしく、街頭で薄灯に照らされたアスファルトには段ボールから放たれた物で散乱。こりゃいかんぞと、すかさず僕も拾いに行き手伝っていると男の人が何度も「ありがとう」とカタコトな日本語で言ってくれたので僕も「大丈夫ですよ」となぜかこっちまでカタコトになりながら伝える。

そんなこんなでダンボールは元に戻り、さあ家に帰るか〜と思っていると、今度はしっかりと僕の目を見つめ「ありがとうございます」「本当にありがとう」と深々と頭を下げお礼を言ってくれた。僕はまた「大丈夫ですよ!」とひとこと。

あんなに丁寧に「ありがとう」と言われたのは久しぶりだった。きちんと相手の目を見つめ、言葉には心の温度がこもっていて本当に嬉しかった。この時から1週間が経った今でも僕はいまだにあの時の、あの男の人の「ありがとう」が何故か忘れられないでいる。

僕も人にありがとうと言う機会は沢山あるものの、少し機械的になってはいないだろうか?本当に心から感謝できているだろうか?そんな事を、あれから考える様になった。

人からの優しさに触れた時、やはり幼かった頃に比べて感謝を素直に伝えたくなるのではなく”しなくてはいけない”ものと思ってしまうタイミングが増えてしまった様に思う。歳を重ねるってつくづく純粋から遠ざかってしまう。

あんなに何度も気持ちを伝えてくれたベトナム人の男性に、僕の方こそ「ありがとう」と伝えたい。少し当たり前になりすぎて薄れていた感謝することへの大切さや、言葉の持つ暖かさを再確認できた気がした。


帰り道、ふと見上げた月がなんだかいつもより明るく見えたそんな夜だった。


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