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暗闇でも寂しくないように、月が街を照らすように。


寂しい時は記憶の端を引っ張ってみる。決して特別ではない当たり前だった日々が遠い昔のように小さく光る。


ばあちゃんは優しいという言葉だけでは安っぽく感じるほどに温かい人だった。何気ない手料理がまるで、三つ星シェフが作ったんか!?と思うほどに美味しく感じた。

特に、肉じゃがは今でも舌の上で味が広がってきそうなぐらい大好きだった。でも何より僕が大好きだったのは間違いなく、ばあちゃんの笑顔だった。


「美味しい!」と何度も言うと、「そんなに褒めてくれるならなんぼでも作るで!」と微笑みながら答えてくれた。


そんな何気ない会話が僕は幸せだった。


これでもかと言うぐらいに僕は「美味しい!」と言うから、じいちゃんは僕が家でちゃんとご飯を食べさしてくれてへんのちゃうかと心配される事もあった。

決してそんな事はなく心の底から美味しかったのと、ばあちゃんの笑顔が見たかった。


そんなばあちゃんは、自分の心配は心に閉じ込めて、他人の心配ばかりする人だった。家族からすると、もっと自分の心配をして!と思ってしまうほどに。癌を患っているのにも関わらず、心配事はいつも僕や家族の事だった。

今思えば、もっと強い自分を見せてあげたかったなぁと思う。

辛い時はこれでもかと言うぐらい泣いて、最高に楽しい時は、とびっきりに笑顔が綺麗で。ユーモアがあって、暇さえあればリズムに合わせた変な踊りでみんなを笑わせてくれる人で今までもこれからも憧れの人だ。


辛いことも、楽しい事もよくばあちゃんには相談した。そんな時は怒る時も寄り添ってくれる時も必ず、一番欲しい言葉をかけてくれた。身近にこんな人が居て本当に幸せ者だったなぁと思う。


闘病中だった頃、こんな事を僕は思ってしまった。もうすぐ会えなくなるんじゃないかと。戦ってる人を目の前に、そんな事を思うべきじゃないのは分かっているけれど、不安で仕方なかった。

信じていたけど、「もしも」を考えざるを得なかった。だから、これでもかと言うほどにばあちゃんとは会ったし、沢山話した。


ばあちゃんが亡くなってからもうすぐ4年ほどだろうか。正直あれから何年なのかとかはどうでも良くて、そこに居てるのか、居てないのかだけだ。


今の時代、会うのも正義、会わないのも正義だけど。どうか大切な人を失う前に心を通わす時間を大事にして欲しいと思う。僕はもう二度と、ばあちゃんと話すことは出来無いけれど、心の中の記憶の端を辿る事で、いつだって思い出す事ができる。

沢山の辛いこと、悲しいことがあったけれど、誤魔化しながらも耐え抜いて来れたのは、大切な思い出達がいつだって僕を照らしてくれたからだ。



暗闇でも寂しくないように、月が街を照らすように。



心の中の遠くで瞬く小さな光は、僕の中で永遠に輝き続けるだろう。



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