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遺品整理

伯母の青春

伯母が亡くなって遺品整理をしました。
カセットテープとカセットデッキ
通販で購入した未開封のもの
メルカリで相場調べて出品したら、即購入されて( ゚Д゚)ビックリ・・・
カセットテープは民謡?のようなものでしたが、いまだに需要あるんですね。

高価な宝石はありませんでしたが、いくつかのブローチがありました。
こちらは値段もわからず、出品したものの売れませんでした。

洋服は、デパートで購入していたようでしたが、かなり大きめのサイズ、売るのは面倒だったので、ほとんど古着屋さんの回収BOXに寄付。

小物類は廃棄でした。

メガネはご近所の方が形見分け、と持っていかれました。

一番心理的に重い「写真」
ある程度整理されていました。
え?これだけ?ってくらいに減っていて、懐かしい写真がいくつか出てきたので、写っている親戚に写メを送りました。
「え~俺写ってるけど、伯母さん?って知らないんだけど」
昔はお葬式の都度集合写真がありました。
近年ないですが。
若かりし日の伯母さんが、きれいにお化粧したりして写っていました。

仕事柄生徒さん(知的障碍者)と一緒に過ごしており、その中でも「さゆりちゃん」という生徒さんとは特に仲が良かったようで、伯母のマンションでさゆりちゃんと一緒に写った写真が数枚ありました。
それを見た母が「お義姉さんは子供が居なかったから、さゆりちゃんを時々マンションに連れて帰って泊めてあげてたね。さゆりちゃんもお母さんに会えなかったからよく懐いていたんよね、懐かしいねぇ」と話していました。
生徒の親御さんは熱心に来る方もいたのかもですが、ほとんどがそうではなかったようです。

生徒といえども伯母よりもかなり年上の方もいらっしゃり、そこで生涯を終える方もいたようです。
私も学生時代に文化祭に時々親に連れていかれ、おじさんやおばさんなのに幼い話し方、あれ?って思う行動に「なんでなんだろう」と思っていましたが、大きくなるにつれそういう事か、と理解ができるようになりました。

中々大変な仕事やな、と思いました。
「幼いなりに嘘ついたりするんよ。お腹痛いとか、どこが悪いとかね。そんなことしょっちゅう」へぇ・・・

伯母も退職しずいぶん経ちました。
亡くなったこともあり、昨年学園に電話をして文化祭が開催されるなら行きたいので日にちを教えて欲しいと伝えました。
「コロナで中止、その後もやってないんですが、もしかしたら開催するかもしれませんが、今のところ未定です」
残念。
父と母は学園が取引先でもあったので、文化祭には時折行っていました。
刺繡の布巾、牛乳パックで作った箸置き、置物?やバザー品を買ってきては学園の話に花を咲かせていました。
もうそんな話ができるのは母位しか残っていません。
久しぶりに拙い刺繍の布巾使いたいな・・・

そうそう写真の整理の話が終わっていませんでした。

伯母が一番好きだったと思う親戚のI。
写真は何枚かありました。

そして、伯母がいつも座っていたリビングにノートがありました。
家計簿的なものを付けていましたが、手に取ると一枚写真が落ちました。
若かりし日の伯母さんとIが二人で写っていました。
それだけが特別にされていました。

なんか物悲しい。

最後まで「Iには知らせないで。(亡くなっても)伝えないで」と言っていたけど・・・

伯母さん、亡くなったこと知ってもIからは何の連絡もありませんよ。

60年ほどかけて築いた信頼関係は何だったんでしょう。



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