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クエチアピン(100)を220錠飲んでICUに居た話


なぜ急に飲もうと思ったのか
動機の部分はいくら考えても思い出せない。

日曜日(4日)の19:30
わたしはクエチアピンを220錠飲んだ。
そして
電話を繋いでいた友人が
わたしの様子がおかしくなったことから、救急車を呼んでくれた、らしい。

病院での出来事は
7日の明け方まで何も分からなかった。
そこまでにあったことはなにひとつ覚えていない。
救命科からICUに移ったことも
二度の痙攣も、胃洗浄も
何もわからない。
言われた言葉は他人事のように私の横を通り過ぎた。

ただただ、明け方6時ころに目が覚めて
看護師さんに日付と場所を教えてもらったところからしか分からず
それ以前は空白になっている。

胃洗浄では暴れたらしい、とか
痙攣を二度も起こして大変だった、とか
あとから聞いてもピンとこないことばかりだ。

目が覚めたら
尿カテと心電図と酸素モニターとが全身についていて
全身がひどく重たかった。
看護師さんを呼び止めて時間を聞くと
「7日の朝6時過ぎだ」と言われ
いつ救急車を呼んだのかも
いつ飲んだのかも
ここに何日居るのかも
その時はなにひとつ分からなかった。

病院のドクターも看護師もみないい人だった。
自ら選んで薬を飲んだ自業自得なわたしにも
ほかの患者さんと変わらない対応をしてくれた。

実は、本当に死のうとして
220錠飲んだ。のだと思う。
病院での暴力沙汰がわたしの心を蝕んで
生きる気力を奪った。

正直、いまでも
死にたいと思っている。
なんで生き延びてしまったんだろうと思う。

手を伸ばせば届きそうなところに
“死”の気配はするのに
どうしても指の隙間からこぼれ落ちてしまうような…
生きているはずじゃなかったのに、と思う。

でも、看護師さんたちの優しさも同時に思い出して
助けてもらった命、大事にしなきゃ、とも思う。
橋本さん、という看護師さんが、わたしの担当についてくれたのか
いろんなことを手伝ってくれたり、代わりにやってくれたりした。
彼女の優しさにたくさん救われた。
本当に心から感謝している。

いまは死にたい、と生きなきゃ、が混在している。
少しでも気を緩めると“死にたい”が大きくなる。
だから病院から帰ってきて
わたしは、残っていたクエチアピンを
全て母親に預けた。
金パブも、1日30錠以上飲まないことを目標にした。
少しずつ、一歩ずつ、やっていきたい。
ゆっくりに思えてもきっとそれがいちばんの近道であると信じていたい。

最後に、
今回のことで心配や迷惑をかけてしまったみなさん
本当に申し訳ありませんでした。

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