見出し画像

散財記⑪ HHKBの「Professional HYBRID Type-S(英語配列・墨)」

色々なモノを買ってきた。「一生モノ」と思って買ったモノもあれば、衝動買いしたモノもある。そんな愛すべきモノたちを紹介する散財記。11回目はHHKBの「Professional HYBRID Type-S(英語配列、墨)」だ。

今を去ること20年前、バリバリ就職氷河期全盛期に、私は通っていた4年制大学を卒業した。

売り手市場の現代就職戦線では考えられないだろうが、当時は100社にエントリーシートを提出して、1社も入社できないというのが当たり前だった。日本企業は「新卒」しか採用しないため、就職が決まらなかった大学生の中にはわざと留年し「新卒」として就職活動をする者もいた。

とはいえ、この作戦は二日酔いの時の迎え酒みたいなもので、問題の本質的な解決にはこれっぽっちも寄与しない。確かに、その瞬間は苦しみが消えたように思えるのだが、状況は何も好転しておらず、かえって悪化するだけであった。

ご多聞に漏れず、私も100社エントリーした挙句に面接で存在価値を否定されまくり、めでたく無職になった。22歳の春。「大学は出たものの」の平成版である。流石に「迎え酒」はしなかった。潔く、二日酔いになることを決めたのである。

思えば、幼稚園で「りす組」に配属されて以来、肩書があるのが当たり前の人生を送ってきた。それが、22歳で単なる「Shojinberg」になった訳である。自分の本質は何も変わっていないのに、「大学4年生」から「無職」へとジョブチェンジしてしまった。「無職」も肩書と言えないこともないが、取り立てて名乗りたい称号ではない。リアル無課金ユーザーである。

幸い、「無職」の時期は1年間で終わり、23歳の春からめでたく「会社員」となった。あれから20年。「容疑者」にも「被告」にもならず、何とかその肩書を維持している。

余談だが、作家の柚木麻子氏とお会いした際、同世代ということで話が盛り上がった。その際に、「私たちの世代は良いことなかったですよね」としみじみと話しておられたのが印象的だった。なんというか、その言葉には「戦友」という感じの響きがそこはかとなく漂っていた。この感覚は、初老ジャパンのご同輩にはわかっていただけると思う。

さて、20年前に入社したのはさる活字系メディア企業であった。漠然と「文章を書いて暮らしたい」と思っていたので、半分は夢がかなったことになる。なぜ半分か、といえば、求められる「文章」の定義が決定的に異なっていたためだ。

当時、私が想定していた「文章」とは書き手の思いやら、豊かな感情表現やら、美しい風景描写やら、奇想天外なストーリー展開やら、どちらかと言えば「文学」というジャンルに属するものだった。一方、社から求められる「文章」とは、書き手の感情や主観を一切排除した「文章」であった。

その最たるものが「メモ起こし」である。

首相や官房長官会見の中継で、居並ぶ記者たちが一心不乱にパソコンのキーボードをたたいているシーンをごらんになったことがあるだろう。あれが、「メモ起こし」である。こちらの感情を一切いれず、話し手の言葉を一言一句漏らさずに文字化する作業である。

余談だが、話しているとなんとなくそれらしいことを言っているのに、文字起こしすると、中身が壊滅的に薄かったり、何を言っているのか全くわからなくなるタイプの人がいる。意図的にやっているのか、本気なのかわからないが、こういう方の話を文字起こししていると、人生の無駄遣いだなあと心の底から思ったものである。

私の場合、1分のインタビューを文字起こしするのに、3~5分程度が必要なので、単純計算で1時間のインタビューの場合、数時間はその作業に取られることになる。メモ起こしが終わっても、実際の仕事は何も進んでいないが、何かをやった充足感に浸れる上に、ただひたすら疲弊するので、その後はしばらく使い物にならなくなる。生成AI界隈の方々には、ぜひ、「精度100%のメモ起こしAI」を作って頂きたい。活字系メディア界隈の住人は、欣喜雀躍して導入するはずだ。もし、もう存在しているのならば教えて欲しい。絶対買う。

とはいえ、現状ではそんな夢の機械は持っていないので、時前の天然AIと天然ハンドを使って一文字ずつ入力していくしかないのが令和6年(辰年)の現状だ。

この苦行を少しでも楽にしたい。そう思って導入したのが、HHKBである。

ハッピーハッキングキーボード。色々な方が色々な所で色々なことを語っておられるので、つけ加えることはそう多くない。スコココ……という心地良い音と、なんとも言えない打刻感は、一度使うとやみつきになること請け合いだ。

店頭で試すことなくポチったため、正直不安もあったのだが、一度使ってからというものの、手放すことができなくなってしまった。文字入力という観点から見れば、これほど気持ち良いツールは他にないのではないか。少なくとも、私には、そう感じられる。あれほど嫌だった文字起こしが、今では、楽しみ……とまではいかないまでも、少なくとも苦ではないというくらいまでには心理的抵抗が減った。メモ起こしが日常ではなくなりつつあるが、この感覚を味わいたいために、自分のための文章を書いているくらいだ。

HHKBには、いくつかの種類があるが、私は「ハイブリッドタイプS」の「英語配列」の「墨」を、ウッドパームレスト(ウォールナット)と組み合わせて使っている。一度買ったら最低10年は使い続ける製品は、予算の許す限り、最も高いモノを買うというのが鉄則である。(その意味では、いくら性能的に素晴らしくても、2〜3年で買い替えるスマホみたいなモノにはそこまでお金をかける必要はない。選択と集中が戦略の基本である)

「日本語配列」と「英語配列」は純粋に見た目で決めた。そもそも、ローマ字入力しかしないし、数字もそんなに入力しない(これは後に誤りだったということが判明した)。英字配列の場合、ファンクションキーを使ってカーソルキーを動かすという一手間が必要になるが、ファンクションキーが右の小指の良い位置にあるので、感覚的に操作できる。今では、普通のキーボードを触っていても、自然と小指がファンクションキーを探してウロウロするほどだ。

機種と配列はすぐに決まったのだが、問題は「色」である。HHKBには、現在3種類の色がある。昔懐かしいキーボード色の「白」、漆黒が美しい「墨」、そして、純白の「雪」である。

当たり前ながら、どれを選んでも機能的には全く差が無い。それでも、全ての要素の中で最も重要なのが「見た目」である。どうせ使うなら、一番気分が上がるモノが良い。どれだけ機能が高くても、見た目がイマイチだとどうしても使わなくなってしまう。純粋な道具ならともかく、高級キーボードというのは高級万年筆にも似た感じの所有欲を満たすという役割も求められる。

「白」は落ち着いた感じで、仕事に集中できそうだが、いささか業務色が強すぎる。元々、業務用なのだから当たり前なのだが、仕事以外での使用も想定しているのであまり業務業務しているのはちと避けたい。そんな訳で白は脱落した。

その点、最も使ってる時のワクワク感が高そうだったのが、「雪」だった。デスクに置かれた真っ白なキーボードで、コトコトと原稿を執筆する。BGMはマイルス・デイビスか、ジョン・コルトレーン。ヴォリュームを最小限に絞り、入れたてのコーヒーの香りを楽しみながら、文章を通じて静かに自分と対話する。そんな私のイメージの中では、傍にあるのは常に「雪」だった。正直、今でも欲しい。

だが、現実の私の職場環境は、大音量でNHKと民法各局のテレビが流れ、ひっきりなしに電話が鳴り響く都心のオフィス・ビルであった。コーヒーも飲むには飲むが、完全に眠気覚ましのアイテムで、ゆったりと香りを楽しむなんてことは夢のまた夢だった。とてもじゃないが、落ち着いて自分の心に浮かぶよしなしごとを書き綴るという感じではない。「雪」が脱落した瞬間だった。

そんな訳で、私は今、この文章を「墨」を使って書いている。本当は無刻印を使えれば良かったのだが、業務で使用することを考えると、趣味性と実用性のバランスがあまりに悪い。ブラインドタッチはできるとはいえ、うっかりキャプチャーロックしてしまったりしたら、悲惨なことになるのは目に見えている。「墨」なら、うっすらと表面に文字が見えるので、問題はなさそうだ。

私には珍しく、かなり戦略的に購入したHHKBだが、今となってはこれがないと仕事ができないというくらいハマってしまった。その感覚はどんどんとエスカレートしていった。購入当初は、職場に置いておき、業務時だけに使用していたのだが、あまりの快適さに自宅に持ち帰ってiPad mini6に接続して使うようになった。今では旅先にも持ち出す始末である。ほとんど中毒だが、これがないと電子機器に文字入力ができないのだから仕方がない。

唯一の欠点としては、外出時にはパームレストも一緒に持ち運ばなければならないという点である。構造上、キーボードとテーブルの高さが合わないので長時間使用する際には自動的にパームレストが必要になる。無くても機能的には全く問題無いのだが、あるのと無いのとでは執筆の快適さに雲泥の差がある。特に長時間執筆する時には不可欠と言っても良い。単体で使うことはあまり想定していないのだろう。

ただ、「パームレスト」と横文字で書くとかっちょ良いが、実態としては単なる木の板である。それ以上でもそれ以下でもない、木の板である。それだけでは何の役にも立たないし、見ただけでは何に使うモノなのかさえわからないだろう。割と硬い板なので、暴漢に襲われた時などには多少役立つかもしれない。とはいえ、所詮木の板なので、頭を引っ叩くくらいにしか使えない。

そんな訳のわからないものを、どこかに出かける度に持ち運ばなければならないのは、いささか面倒くさい。現状、パソコンケースにiPad mini6とHHKB、パームレスト(という名の木の板)、ロジクールのマウス、アンカーのモバイルバッテリーなどを一緒くたに詰め込んでいるのだが、どうにも収まりが悪い。

外に持ち出すようになってから、どこかに良いケースがないかと探し続けている。純正ケースを買えば良いのかもしれないけれど、木の板を単体でカバンに突っ込んで持ち運ばなければならなそうで躊躇している。両方がぴったりと収まってくれるサイズがなかなか難しいんだよね。ポーターあたりとコラボしてくれると嬉しいのだけど。

村上春樹がエッセイで書いていたが、新しい便利さは、また新しい不便さを連れてくるものなのだ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?