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2022年、よかった新書。

去年から「週刊朝日」で短評欄を担当させてもらえるようになったので、新書をたくさん読むようになった。せっかくなので個人的にベストだった新書を紹介したいと思う。

久保(川合)南海子『「推し」の科学 プロジェクション・サイエンスとは何か』(集英社新書)は認知科学の知見から、世界を眺めているときじぶんに何が起きているのかを解き明かしてくれる、素晴らしく知的興奮に満ちた一冊だった。

鍵となるのは「プロジェクション」という認知科学の最新の概念。「プロジェクション」とはいったいなんだろうか。

対象(世界)と自分の関係性において、自分がどのように対象(世界)を認識するかだけでなく、自分は認識をどのように対象(世界)へ付加していくのか? こころと世界はどのようにつながっているのか? あたりまえだと思われて見過ごされてきたけれど、このおもしろそうなこころの働きにアプローチする研究の概念が、ごく最近、認知科学から登場しました。それが「プロジェクション」です。(本書、P33)

僕たちの〈こころ〉はただ外から情報を受け取っているだけじゃない。つまり、僕たちはいつも世界を眺めるとき、情報を受け取り、それを世界に投射することで〈こころ〉が表象を作り出すということをしている、というのだ。そんなの当たり前じゃないかと思うかもしれないけど、それを認知のメカニズムのレベルで解析されると認識の領野があたらしく拓かれるような経験をするから、期待して損はない。

しかも、自他ともに認める「腐女子」である著者が例に挙げるのが、2.5次元とか、BL系漫画の二次創作とか、アイドルのコンサートとかを堪能してるときのファンの〈こころ〉の動きなので、科学書でありながら遠い世界の出来事なんかじゃなく、我がこととして受け止めることができる。オタクあるあるから人類の起源に対する深淵な洞察までを軽快な文章で書き切る筆致は、世界を読み解く快楽に満ちていて、いやはや、認知科学ってこんなに面白いのね、と目から鱗が八万枚ぐらい剥がれ落ちた。

「プロジェクション」が何なのか、詳しく知りたい人はぜひ本書にあたってほしいのだけど、この概念は実に応用が効く。読書という行為にしたってそうだ。一冊の本を読んで、知識や情報をインプットしたあと、僕たちは世界の見え方が刷新された気がすることもあるだろう。「プロジェクション」を視座に読書について考えると、本と現実がどう繋がっていくのかもわかるはず。

何より僕がこの概念を知ることができてよかったのは、僕の〈こころ〉についての理解を深めることができたからだ。強迫性障害を抱えている僕は不安に弱い。例えば、汚いものを過剰に怖がる癖がある。まぁ、汚いものはみんな嫌だと思うので、汚いものが怖いというか、汚いものに触れた何かが別の何かに接触することで、その汚さが侵食していくのではないかと考えて苦しむ癖がある。

この汚いもの(がうつったかもしれない)恐怖に取り憑かれると、目の前の汚いもの(がうつったかもしれないとされる)一帯が不潔で仕方なくなる。このとき〈こころ〉に何が起きているのかを、本書で解説される「プロジェクション」の概念を手がかりに考えると、「虚投射」と呼ばれる、外界に実際にはないものを情報として受け取り、それを頼りに認識を作り出すような作用が〈こころ〉に生じていることがわかるだろう。汚い不安に取り憑かれても、大丈夫、虚投射だから大丈夫、と思えばだいぶへっちゃらさ。

個人的な観測だけど、不安は「プロジェクション」を生み出しやすい。それも「虚投射」という、実際にはありもしないことを、あたかもあるかのように思わせるような認識を作り出す原因になりやすいのではないだろうか。だから、この「プロジェクション」という概念と精神医学を組み合わせれば、人間の〈こころ〉とは何かがよりクリアにわかるんじゃないかな、と僕なんかは思うのだ。

僕が編集者だったら本書の著者の久保(川合)南海子さんと、〈こころ〉の専門家(東畑開人さんがいいと思う)の対談をセッティングするなあ。というか読んでみたいので、ぜひお願いします。

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