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雨日記 #5

朝起きて、彼女を迎えにいくときに家を出てやっと夜に雨が降っていたとわかった。晴天の空の下で地面は濡れている。わたしは駅まで急いだ。
 誰かに会いにいくために出かけるなんて大学生の頃はなかった。本と出会うためならいくらでも電車に乗って本屋に行ったのだが、人と会い、話しをすることをやめていたわたしは、ひたすら書物を求めてさまよい歩いた。

 神保町がわたしの庭だった。大学までの電車が通るからということもあったが、しばしば通った。神保町に着くまでに車内でひと眠りしてから本の町に降りる。出口はいつも決まっていて、古本屋街が始まる少し手前の出口で降りた。店先に置かれたガレージの中の捨て値で売られた文庫本に目を注ぐ。古ければ古いほどよかった。文庫本の焼けた色と、匂いと、細かい字の並んだ紙面が好きだった。まずそこでページをめくり、本探しの旅の始まりに心躍らせた。
 最初の目的地である洋書専門店『北沢書店』に行く。入口から入って螺旋階段をのぼる。螺旋階段というのがまたいい。階段をのぼる途中に積まれたハードカバーとペーパーバックの山に足をとめる。そこには宝石がつまっている。聞いたことのない著者も見たことのない題名でも、自分を迎え入れてくれていると感じることができた。
 目当ては二階に着いてすぐ横にあるペーパーバックコーナーだ。小銭を出せば買えるほどのペーパーバックがラックに並んでいる。生涯で一番愛している小説、いままでも、これから先も愛するであろう「Under the Volcano(火山の下)」もここで見つけた。ペンギン・モダンクラシックス版だった。表紙もきれいだ。『死者の日』のメキシコが舞台の小説らしく、『死者の日』の様子を描いた絵が表紙に使われている。本自体は年季が入っていてへたれていたが、悪くない。
 マルカム・ラウリーというイギリスの作家が十年もの歳月をかけて書いた小説だった。わたしはこれを大学の図書館で借りた。白水社から出ている「新しい世界の文学シリーズ」の一冊だった。これについて書くと長くなりそうなので書かないが、とにかくこの本こそ、自分について書かれていると、これまで読んだどんな本よりも強く思った小説であり、わたしの心を表していると感じた本だった。
 そのほかにもラウリーが書いた小説がまとめて並んでいる。表紙裏の値札を見るとどれも数百円。これはシンクロニシティに違いないと思ったわたしは全部まとめて買った。
 それから十年近い月日のあとで彼女と久しぶりに訪れたときにはそのコーナーもなくなり、売り場も小さくなっていた。
 書店の娘さんが立ち上げたという、ディスプレイとしての洋書を提案する店に敷地の半分を譲っていた。それは時代に合ったビジネスであったと思う。いったい誰がいまどきフラナリー・オコナーやウィラ・キャザーなど読むだろう? そうなる前にここに通えたことはよかったと思う。本棚のあいだを歩く高揚感はいいものだ。それはどこに自分が求める本があるかを探す訓練になる。魂が助けを求めているときにどの本を読むべきかを教えてくれる。そしてその本がそのときのあなたの危機を救うのだ。

 階段を降りて通りに出る。古本市がやっているときでは通りにもワゴンが出ている。顔を突っ込んで書物を渉猟する人たちがいる。そういうのを見るのはいい。買った本や、買おうとしている本を小脇に抱えて忙しそうだ。
 そのあとで数知れない本屋に立ち寄る。店先にはいろんな作家の全集が積み上がり、色のついた紙に値段が書いてある。リルケがあり、ボードレールがあり、ドストエフスキーがある。どれも手に入れたいが、わたしが欲しいのはそのときに読みたい本である。教養のために持っておく、なんていうのは考えられないことだった。血となり肉となる本を求めていた。
 つぎに楽しみにしていたのは小宮山書店だ。入り口から入るとまず写真集やイラスト関係の本が並ぶ。細江英公が撮影した三島由紀夫の肖像がある。
 低くて狭い階段を登り中二階へ。そこがわたしの目当ての場所だった。文学書が雑多に、だが豊富に置かれている。鍵のかかったガラスケースには村上春樹のサイン入り書籍がある。直筆の原稿用紙も。今思えばあれは、初期の頃の編集者であった安原顯が本人に無断で売却したものだと思う。作家が怒りの回想録を文藝春秋に発表したきっかけとなった事件だ。
 その横を通り、本の宝の山に行く。いろんな本があった。セリーヌもあったし、ジュネもあった。ポール・ボウルズの全集はここでまとめて買ったっけ。ブランショもマラルメもディラン・トマスも。そこは湧きでる泉だった。いつきても失望させられることがない。狭いフロアだったけれど短くも充実した時間を約束してくれた。
 あとになって彼女とこの街を訪れたときも再訪するのを楽しみにしていたけれど、あいにくその日は休みだった。また訪れるチャンスがあれば行ってみようと思う。あれから美術関係の仕事についたから、アートの知識がついたわたしには文学以外の本にも関心を惹かれるかもしれない。

 そのあとはーー。ひたすら目についた古本屋に入っては入り浸った。絶版になった文庫本の並ぶ棚を行ったり来たりして、気になった本に手を伸ばす。そんな時間が幸せだった。大型書店にも行った。東京堂書店にも行ったし、三省堂にも行った。三省堂はいまはもうない。
 そこまでくるとようやく終わった古本屋街に向けてため息をつく。通りを車が行きかう。行き止まり。わたしにはもう行くところがない。御茶ノ水に向かって伸びていく坂を上がることなく、来た道を引き返す。とぼとぼと。わたしはひとりだった。別に悲しい気持ちがしたわけではないけれど。なにかしら本の入ったボロボロの鞄を持って駅に引き返した。

 そのまま道を進んでいったのは彼女と付き合ってからはじめの頃にこのあたりをデートしたときで、わたしたちは階段に行列のできるカレー屋に並んでカレーを食べたあとで、いまいったようなコースをたどり、ここまでたどり着くと、あてどなく御茶ノ水の街を歩いた。
 どこに向かうでもなかったし、街をさまように近かったけれど、寂しくなかった。そんなふうに感じるのははじめてのことだった。親密に感じている人と手をつないで歩けば寂しくない。幸福の時間になる。こんな幸せもあるのだと知る。
 でもそれはまだまだ先のことで、わたしは一人でいることに充足するほど独善的で、自分自身を持て余していた。獣のように何かを求めてくる心に栄養をやるように書物を買い与えた。そうしなければ暴走して手なずけられなかった。わたしはこの獣にリードをつけながらも行き先の主導権を握られているにすぎなかった。誰かと一緒にいる心の余裕はなく、ただこの獣を満足させるために生きていたように思う。そしてこの街は獣を落ち着かせるのに最もいい場所だった。

 いま、その獣はどうしてるのかーー?
 獣はいまもわたしの中にいる。はっきりと感じることができる。それはわたしをあいかわらず先導し、導く。どこかへと。わたしの知らない場所へと。わたしはもう自分を見失ったりはしない。獣に引きづられているだけじゃない。一人じゃない。あたりを照らしてくれる人が、道を踏み外さないように見てくれる人がいる。だがそうなるまでまだずいぶん時間がかかることを、このときのわたしはもちろん知らない。でもそのときはそれなりに満足していたのだ。小さな心におさまりきらないほど物語を詰めこんで。

 わたしはあの頃、恋をするように本を読んでいた。

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