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魚を食べられなくする?水産資源管理制度が向かっている先にある問題点

タイトルの内容にお話する機会があり、こちらにも、自分の考えをまとめておこうかと思います。

昨年12月に漁業法が改正されました。これは、主に水産資源管理手法に関わる部分の変更へのインパクトが大きなものでしたが、今の流れが大きく進むと極端な話、限られた魚種の冷凍ものか養殖ものしか流通しなくなり、様々な魚を季節に応じて食べてきた日本の食文化は崩壊します。

とても複雑なので、掻い摘んでお話するのが難しいですが、これを順番にお話ししたいと思います。

まず、「日本は水産資源管理をしていない」という方がいますが、これは大きな誤りです。日本での漁業の歴史は長く、少なくとも江戸時代以前から、魚を取りすぎると減ってしまうということは分かっていました。こうならないために作られたのが「漁業権」という仕組みです。

水産資源を管理する方法は、大きく分けて3つあり、
①インプットコントロール(漁船数や漁期を規制する)
②テクニカルコントロール(漁網や漁具を規制する)
③アウトプットコントロール(漁獲量を規制する)
に分かれます。このうち、日本は①の方法や②の方法を主に行ってきたわけです。

一方で、近年、欧米の漁業は主に③の方法で水産資源の管理を行っています。具体的には、魚種の資源量を調査し、このくらいなら取っても大丈夫だろうという量を決めて、その量に達しないように魚を取ります。
このようにすると、出荷量は増やせないので、なるべく単価を上げようとして、価値の高い状態で魚を取ろうとします。

で、今、日本の制度は、欧米のやり方に習い、漁業の多くの部分に③の方法を適用しようとしています。

しかし、日本の漁業が置かれている状況は、欧米のそれとは違います。

欧米と比較した日本の漁業の特徴の1つ目は、扱う魚種が多いことです。
欧米では、一般的に扱う魚種が十数種類に限られますが、日本の場合は、これが何百とあります。また、様々な複数魚種を利用している日本では、ある1種の利用魚種が増えると、別の利用魚種が減るという現象も起き得ます。例えば、サンマが減れば、イワシが増えるといった具合です。
資源量の測定には、当然ながらコストを要しますが、そのコストに見合わない漁獲額の魚種も沢山あります。これらについて、アウトプットコントロールを無理やり適合させるなら、産業としてコストが見合わないものになるか、「取ってよい量が分からないのでそもそも取るな」という話になります。

この話からも分かるように、アウトプットコントロールは、利用魚種が限られている場合に上手く回る方法で、日本ではすべてにおいてハマる方法ではないのです。もし、この流れが進み、アウトプットコントロールでなければダメということになれば、取って良い魚が減り、「様々な魚を季節に応じて様々な食べ方をしてきた豊かな日本の魚食文化は崩壊する」というのが私の見立てです。

欧米と比較した日本の漁業の特徴の2つ目は、国内に市場があり鮮魚流通が多いことです。

アウトプットコントロールは、先述の通り、出荷量は増やせないので、なるべく単価を上げようとし、価値の高い状態で魚を取ろうとします。さらに、「だから成長しきった良い魚しか取らず、味も良いのだ」と付け加える人がいますが、これは冷凍流通が前提の話なのです。
鮮魚流通の割合が高い日本の水産業界では、魚の価格は状態の良し悪しよりも、その日の需要と供給量によって決まります。例えば、サバでいえば高く売るためには、他からの供給が少なければ成長しきっていなくても高く売れるという性質があります。
欧米でこうなっていないのは、冷凍流通が主であり、出荷するタイミングを決められるからです。これは、流通までに時間が掛かる海外市場の占める割合が大きいことにも起因しています。
仮に、鮮魚流通を前提に漁獲枠を割り当てて、「成長しきった良い状態のサバを取ろう」とみんながすると、時期が被って供給過多になり価格が下落します。そうなると漁師はやっていけません。持続可能ではないのです。

つまり、アウトプットコントロールでやるなら冷凍流通を進めなければなりません。これが冷凍しか出回らなくなるという理由です。

ということで、欧米のやり方はそのまま日本に当てはまらないということはなんとなくお分かりいただけたと思いますが、では、なぜ今のような欧米のやり方に追随する論理が蔓延ったのでしょうか。

これには、元々資源管理の議論から弾き出された人たちが、その恨みから煽るような情報発信で水産業の状況を知らないのメディアや権力に働きかけたからです。それらの人たちが述べる論理、つまり「欧米は資源管理をしてきたらか漁業は儲かっているが、日本は資源管理をしてこなかった儲かっていない」という論理は、何も知らないと一見その通りに聞こえてしまいます。それに、メディアや権力が良かれと思って同調してしまい、至った結果が今です。

さらに、漁業権というのは、企業の漁業進出や海洋進出にはやっかいなもので、それを弱体化させるためにも、漁業権によるインプットコントロールからそうでないアウトプットに切り替えるという論理は好都合です。

メディアにとっては、誰かの責任という構図は、とても映え、今ならアクセスが稼げます。これは、環境起因であっても「漁師が取りすぎた」という論理に結びつき易い一因にもなっています。(スポンサーは叩けば利益が飛びますが、漁師は叩いても利益に関係ないので。)

このような流れがある中、漁業者側は改正された漁業法とは違う案を提出していましたが、関係者からその意向が全く考慮されていないものなってしまったとの声も聞いています。

そのため、今回の70年ぶりの漁業法改正には、理解を示せない漁業関係者も多くいます。

で、今やるべきことは何なのか。それは、日本の漁業のすべてにおいて欧米的な資源管理手法に移行するという流れを変え、同じようで全く違う日本のそれぞれの漁業に合った方法を適合していくことです。その中には、旧来のやり方が合うものあります。幸いなのは、改正された漁業法の中には、アウトプットコントロールを前提としながらも、「それに適合すると判断されたものから順次移行する」といった趣旨の内容が盛り込まれていることです。このあたりは、水産庁が様々な人に配慮した結果なのかなと思っています。(推進派は、納得していないところもあるみたいですが。)自分が、「この法律は運用次第」と言ってきたのもそのためです。

…ということで、簡単に述べてもこのくらいになってしまう複雑で難しい問題なのはお分かりいただけたと思います。また、性格上細かな部分を大雑把に言ってしまっているので、細かく正確なところには違う部分もあるのですが、その点はご容赦ください。

最後に、結論として、日本の漁業や魚食文化を守っていくためには、「すべてをアウトプットコントロールでという欧米のやり方に移行する」という考え方を辞める!そして、真に漁業者の声に耳を傾けるとともに、生産者、流通業者、消費者、環境、すべてにおいて真に永続的にできるやり方を、もう一度フラットに議論することではないでしょうか。

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