見出し画像

井筒俊彦『意識と本質』(9)

井筒俊彦の「意識と本質」をただ読むだけではなく、体系的に理解したいという思いで、章ごとに自分なりに概要をまとめてみる、という試み。
【基本的に『意識と本質』(岩波文庫)の本文を引用しつつ纏めています】

→Ⅷ章のまとめはこちら

個々の事物を個々の事物としてではなく、その「元型」において把握するということは、事物をその存在根源的「本質」において見るということにほかならない。「元型」は「本質」である。だが、それが深層意識に、「想像的」イマージュとして自己を開示する「本質」であるところに特徴がある。

「本質」としての「元型」は、存在の原初的な型(タイプ)であり、あらかじめ方向だけが決まっているが、それが具体的にどんなイメージとして現われるかはわかっていない。様々なイマージュが現われる。それぞれの文化圏によって、また同じ文化圏でも個々人によって、多くの違ったイマージュとなって現われる。ひとつの「元型」的方向性でつながれたそれらのイマージュ群が、存在を特殊な形で分節し、その分節圏内に入ってくる一群の事物の「本質」を象徴的に呈示する。

このように「元型」イマージュのみによって構成された雄大な(象徴)システムの例として古代中国の「易」がある。
「易」の全体構造は、天地の間に広がる存在世界の「元型」的真相を、象徴的に形象化して呈示するひとつの巨大なイマージュ的記号体系となる。「聖人」の真相意識に映し出される存在世界は、必然的に、一切事物の「元型」的形象のマンダラとして現成する。

『周易』「繋辞伝」神話的太古の聖人たちが、いかにして「易」の記号的体系を作り上げるに至ったかを説明する有名な箇所がある。
…その昔、「易」の象徴体系を作った聖人は、陰陽二元気の相互作用による変易の原理に基づき、その見地から、天地間のあらゆる存在者の真相の幽深にして用意に把握し難い有様を看取して、それを比喩的に形象化する「象」なるものを設定し、それを無相無形の存在リアリティーの形状になぞらえ、それによって事物の「本質」にかたどった(すなわち、本来、形のない事物の「本質」を仮に形象を与えて表した)のである…。
太古、天を仰いでは日月星辰の現れた姿を観察し、俯しては地上の山川草木に存在の範型を看取し、鳥獣の美しい色とりどりと模様、寒暖湿燥それぞれの土地の性質に適合して生育する草木を観察し、近くは我が身体の諸部分を、遠くは様々な事物を観察してその基本的形象を取り、それに基づいて八卦を作り、逆に八卦によって、全存在世界を支配する霊妙深遠な宇宙的明智の働きに通達し、また万物の真の情態を類型化することができた、と。要するに一切の存在者を、それらの「元型」的「本質」によって類別し秩序付けた、ということだ。

「元型」イマージュの発生、展開メカニズムを、ここで深層意識の構造を表すことによって説明してみる。
まず意識の層をA→B→Cと分ける。
Aは表層意識。我々の日常的意識。
Bは深層意識。言語アラヤ識の領域。集団的、文化的無意識の領域で「元型」の成立する場所。
Cは無意識の領域。Bに近づくにつれて次第に意識化の胎動を見せる。

そしてAとBの間に中間地帯Mを設定する。
Mは「想像的」イマージュの場所。「元型」から様々なイマージュとして生起する場所。
意識の表面から深い方向に向かって「A→M→B→C→意識のゼロポイント」という構造になる。

「元型」イマージュは、言語アラヤ識の領域(構造モデルのB)に発生する。
我々の内部で言語アラヤ識は絶えずいろいろなイマージュを生み出している。その多くは経験界に実在する事物のイマージュ。例えば花とか木とか机、などのように、外界に対応物を持つイマージュである。大抵は経験界の現実の事態に刺激されて発生し、そのまま直接に表層意識の(構造モデルのA領域)に上昇していって、そこで事物の知覚的認知を誘発する。
これに反して「元型」イマージュは原則として、外界に対応物を持たない。例えば神話の主人公として活躍する超人的英雄のイマージュは、現実の人間に間接的、素材的には対応しているが、直接的にではない。仏教のイマージュ空間に咲く花は、現実の花に「似ている」だけであって、現実の花のじかのイマージュではない。だから、「元型」イマージュは、言語アラヤ識から生起しても、経験的現実の世界に直結する表層意識まで上がっていかない。いわば途中で止まってしまう。その途中の場所がM領域である。
意識のM領域こそ「元型」イマージュの本当の住処。天使、天女、餓鬼、悪霊、怪物、怪獣どもがこのイマージュ空間を満たす。それらの大部分は表層意識には現れてこない。たまたま現れれば、幻想になってしまうだけである。あるいはチベット密教の専門家・ラウフの言葉を借りれば、表層意識にまで浮かび上がってきて、そこで記号に結晶したのが「シンボル・象徴」となる。

それでは、「元型」イマージュが、その本来の場所である意識のM領域において果たす役割は一体どういうものか、またそれらはこの領域において、どういう性質を持ち、どういう構造を示すのか。これが次に論じられる問題である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?