『いなくなくならなくならないで』向坂くじらー読書メモ#9

『いなくなくならなくならないで』向坂くじら 文藝2024年夏季号
純文学度:70
キャラ:4
テーマ:3
コンセプト:2
展開:5
文体:1

タイトルからして、アンビバレントな感情が溢れ出てる小説。
主人公の時子と、自殺したと思われていた高校時代の友人である朝日が再会するところから物語が始まって、そこから二人の関係はどうなるかを追っていく、みたいな話。
割と堂々と他人に頼れる朝日と、他人に頼られることで自分の存在理由を確かめがちな時子の、有り体にいえば共依存関係が軸になってる感じかな。
長良はどっちかっていうと、時子みたいな生存戦略を使って生きてるので、結構素直に主人公に共感しながら読むことができちゃった。

この小説を読む上で知っておくといい知識に、「現状維持バイアス」というものがあります。
現状維持バイアスとは、私たち人間が持っている、環境の変化を避け、今の状況を維持したくなる心理傾向のことを言います。
合理的に考えたら今の環境を変えた方がいいんだけど、なんとなく今のままでもいい気がして、結局何もしない、みたいな。
皆さんも思い当たる節があるのではないでしょうか。
人間が変化を嫌い現状を維持したくなるのは、単純にそっちの方が生存確率が高いからだと思われます。
そもそも、生命維持という活動自体が、万物流転の法則に抗うイレギュラーなものですからね。
生命の基本設計として、現状維持や恒常性といった要素が過剰に重要視されるのも仕方ないかなと思います。
ただ、私たちにそのようなバイアスがあるとはいえ、現状維持ばかりしていたのでは、物事が好転しないどころか悪い方に進む場合もあるわけで、その時は本能を乗り越え理性を発揮しなければなりません。
この、本能と理性のせめぎ合いが、この小説の見所になるわけですね。

ここまで書いてて、この小説のおもしろい所に気づいたんだけど、それは、この小説の中で死が果たしている役割について。
この小説のメインキャラクターである朝日と時子は、結構簡単に死を口に出します。
朝日が死にたいといったら、時子がじゃあ一緒に死のうかと言う、みたいな感じで。
じゃあこの二人は本当に死を望んでいるのかというと、そんなことないんですね。
朝日は自殺したと思われていましたが、結局生きて時子の前に姿を現しましたし、時子は物語の後半で、本当は一緒に死ぬ気なんてなかったんだ、と自己分析をしています。
なんなら、朝日の生き方には使えるものはすべて使って生きてやる、という生命力というかサバイバル力まで感じさせます。
つまり、彼女たちにとっては、死という概念さえも、自分たちが生き抜くための道具に過ぎないということになります。
そういうわけで、この小説には死を連想させるような言葉とか表現が多く使われているのですが、その実、死の空気というのは一切感じられない。
むしろ、ふてぶてしいまでの生への肯定、なんやかんや言って結局生きようとしてしまうんだな人間はという、ある種、生の暴力性みたいなのが描かれているように、長良は読めました。

今回考えた、現状維持バイアスと生の肯定って、結構関連がありそうな事柄だなと思ったので、今後更に思考を深めていきたいですね。

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