見出し画像

【観た】「聖なる鹿殺し」/ヨルゴス・ランティモス監督

邦題の「聖なる鹿殺し」。いいタイトルですね。「ごろし」のところが良いです。ごろし系のネーミングは凄みがありますね。「鬼ごろし」とか「騎士団長殺し」とか「女殺油地獄」とか。
「聖なる鹿ごろし」。一回でいいので、声に出して読んでみていただきたい。「ごろ」の箇所は巻き舌で、目はできる限り大きく見開いた状態で発声してみて下さい。おねがいします。

2017年の冬にイギリスで公開されカンヌで脚本賞を受賞した作品とのことです。Amazonプライムビデオで昨日の夜寝る前にベッドで観ましたが、うまく寝付けなかったです。

神様が大事に飼っている「聖なる鹿」を調子こいて殺してしまった王様が、その代償として自分の娘の命を差し出さなければならなくなってやべえどうする?っていう昔話が外国にあるようです。

本作では「調子こいた王様」が「調子こいた心臓外科医」になります。

この作品のあらすじはどうだとか、元ネタがなんだとか、あれはそれのメタファーだとか、そういった情報はネット上に転がってるのでググってみて下さい。豊富にあります。ちなみに、本作に鹿は1頭も出てきません。

→Google検索「聖なる鹿殺し 考察」


この映画の中で、ある少年がスパゲッティを食うシーンがありますが、そのシーンが非常に印象深かったです。

「おい見ろよ、あの食い方、親父にそっくりだな」
と、少年はスパゲッティの食い方(汚い)を揶揄されたことがあると語ります。しかし少年はやがて成長し、スパゲッティの食い方なんてほとんどみんな同じだ、という当たり前の事に気が付きショックを受けたと語ります。

どういう事でしょうか?

父親のスパゲッティの食い方は、息子である自分だけに遺伝的に受け継がれるものだと信じていた、だから、そうでないと知ってショックだった、と。

この少年の父親は、調子こいた心臓外科医の手術中のミスで死にます。
で、その落とし前をつけるために、少年は心臓外科とその家族に近づきます。

ぼくの父親は、あなたに殺された。
だから、あなたの家族も一人死なないといけない。
息子、娘、奥さん。1人でいい。だれか1人を選んで。
選ばないとあなた以外、全員死んでしまう。

少年はこのように心臓外科医に伝える。淡々と早口に。
映画の終始、少年のふるまいには、怒りとか、恨みといった感情は感じられず、「世界ってそういうもんだから」という感じだ。「そういう仕組みなんだからさ」という感じ。

心臓外科医の妻(ニコール・キッドマン)が少年に詰め寄る。
「なぜ、夫の罪の代償を、私や子供たちが負わなければいけないの?」

この問いに対する回答が、先述のスパゲッティのくだりです。
つまり、少年は、親父のスパゲティの汚い食い方を受け継いだのは自分であり、ほかの誰かであってはならないという価値観・世界観なのです。
よって、心臓外科医がやらかしたことの償いをするのは、誰でもいいというわけではない。家族がそれを負うしかないでしょう?ということなのでしょう。

主人公の心臓外科医は、最初から最初まで謝ることをしない。
家族を殺すなら、俺を殺せ!とかも言わないただのクズ野郎です。

この映画は、サスペンスフルな復讐劇でもあり、不気味なホラー映画でもあります。しかし、見方を変えれば、醜いクズ野郎一家が自業自得の酷い災難に合うブラックコメディです。

とにかくなにより、そのスパゲッティの少年を演じるバリー・コ―ガンという俳優がとんでもなく素晴らしいお芝居をしています。バリー・コ―ガンを観るために観たほうがいい映画だと思います。あと、ニコール・キッドマンのエロいシーンがあります。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?