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他人に対してとった行動は忘れがちだが、とられた方は数十年後まで覚えているという話

この前のゴールデンウィーク中に実家に帰ったとき、母親から地元に残っている私の小・中学校時代の友人の一人であるA君の話を聞いた。

A君の家は私の実家から近いこともあり、昔から私の親とA君の親同士の仲もそれなりに良かった。今でもスーパーなどで会う際にはよく話をするらしい。

そんなA君は中学校時代後半から登校拒否になり、その後ずっと家に引きこもっていた。

彼が引きこもる前も後も、私は家が近かったことに加えて中学時代は同じ部活だったということもあり、よく家に遊びに行きプレステで遊んでいた。

その後、私が東京の大学に進学してから全く会うことは無くなった。

今回の帰省仲、母親から聞いた話によれば、A君は今も引きこもりをしているとのことだ。そして、彼はまだ私のことをよく覚えていてくれているらしく、今でも当時の話をするそうだ。

具体的には、彼が登校拒否になって以降もよく遊びに来てくれたこと、よくゲームをしたこと、公園でだべったりしたこと、などである。

私にとっては遠い過去の話で、正直なところ何歳頃までA君と遊んでいて、最後に彼の家に遊びに行ったのはいつだったか、すでに記憶も曖昧である。一方で彼にとっては(自分で言うのも何だが)私が家に来て遊んでくれたことが嬉しかったらしい。

不思議なもので、自分が他人に対してとった行動はもはやあまり覚えていないのだが、とられた行動については、相手方は忘れずに覚えているものらしい。

今回のA君の場合は、良い形で自分を覚えてもらっている事例だが逆も然りだ。他人に対してひどいことをすれば、その後自分は忘れていたとしても相手はずっと覚えている。

同じく私の小・中学校時代の友人B君は、私が小学校時代に言い放って傷つけられた一言をその後いつまでも覚えていた。数十年ぶりに会った同窓会でも当時、いかに私に傷つけられたかを伝えてきた。

振り返ってみれば、自分も確かに何気なく相手から言われて嬉しかったことや傷ついたことは、ずいぶん昔のことでもよく覚えている。そしてその何気ない一言が、その後の人生で生きる自信を与えてくれたり、またはその逆で自信を失わせたりしてきた。

自分が何気なく放つ言動について、当の本人は忘れがちだが、とられた方は数十年後まで覚えている。であれば、人には優しくしておくほうが他人のためでもあり、また自分のためでもある。

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