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外国語を学ぶ必要性

堅苦しいタイトルをつけて、いかにも偉そうなことを書きそうな雰囲気を醸し出してしまった。そうじゃなくて、外国語は本当に勉強しなきゃだめ?ってことについて改めて考えてみたい。

というのも僕自身は、語学に対して異常なまでに苦手意識がある。学生時代の英語の成績は、歴史に並んで最悪だった。だから、出来れば語学学習は避けて通りたいと思っていた。

新時代に何かはじめたい

時代は平成から令和になるとき。
そう、2019年5月1日の話だ。新時代を機縁として、なにか新しいことを始めたいと思った人も多いのではないだろうか。御多分に洩れず、僕も同年の3月頃からそのようなことを考えていた。

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スポーツや芸術、その他いろいろな趣味を考えてみたけど、あえて自分が一番苦手とする語学に的を絞った。なんでかって、それは単なるM体質ということもあるけど、それがそこそこ楽しくなっちゃったときは、本当に嬉しいという感覚があるからだ。

語学の中でも選択肢は3つ、英語の再勉強、中国語、マイナー言語。

将来性のある言語という意味でビジネス界では、いまさら中国語は遅いという意見も多い。まずは英語というのが一般的な選択だろう。世界各国のマイナーは面白いが、その後の用途を考えると、語学学習自体が娯楽にしかならない。

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中国語を選んだ

ずいぶん昔、どこかの英会話スクールのキャッチコピーで、「英語を話せると、10億人と話せる」(細かくは違ったかもしれない・・)みたいなのがあった。そのころ僕は、「まあ、中国語だって10億人と話せるけどな!」と、謎の抵抗をしていた。

あれから、うん十年。

実は10年前に、食品関係で中国にビジネス展開して成功したすごい人に会ったことがあった。そのころ、中国に対し、にわかに興味をもったことは覚えている。

そして、ここ数年、ネットはますます便利になり、中国企業に直接頼んで、日本では買えない特殊な工具を買ったことを機に、中国人と仕事の付きあいもいろいろ増えてきた。英語が堪能な中国人、日本語が結構上手な中国人、結局こちらは並の日本語と下手な英語でなんとか繋ぐようなコミュニケーションしか取れないことが歯がゆかった。

挨拶程度でもいいから、中国語で彼らに話しかけてみたい。
そう思った。

2019年5月1日、新しいノートの1ページ目に「你好」と書いた。

語学学習の未来は

実用的な面を考えると、翻訳アプリの精度が今後も飛躍的に発展し、語学の勉強はそれほど必要なくなるようにも思う。その点では、特に英語が一番最初に精度が高まっていくことは想像に難くない。

おそらく10年もしないうちに、旅行程度ならほとんど言葉の壁は無くなるだろう。

仕事のため、会社の海外進出やインバンド向けのサービスのために語学を勉強している人も多いと思う。しばらくは、マルチリンガルが有利かもしれないが、今の子ども達に最優先で語学学習を進めるよりは、人間性や問題解決能力を育むことと合わせて、語学を学んで行くべきだと思う。

いくら言葉が通じても、この人と話したいことは別にないと思われたら、せっかく勉強した語学も使い道がない。

中国語を勉強してみた

言うまでも無いが、中国語は漢字だ。
僕は標準語の簡体字という、日本の漢字よりも単純化されたものを勉強しているけど、欧米諸国の人が勉強するよりもはるかに有利であることは言うまでもない。

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ベタで面白いのは、英語でDogやCatを初期の頃に勉強するように、どの参考書にも必ずパンダ(熊猫)が出てくる。

発音が難しいということもよく言われるし、実際にそうなんだけど、それは慣れるしかないと思っている。日本人の味覚や視覚が繊細だというような話はよくあるが、中国人の耳もすごく繊細なんでしょう。100回聞いても同じにしか聞こえない聞き分け問題というのは、たしかに出くわすことがある。

中国語を勉強していると、なるほどそういう言い回しをするのかと思うことが色々ある。我々日本人の場合は、漢字が共通している部分もたくさんあるので、同じ漢字でも日本語と比較してみると面白い。

中国語を勉強を始めて一ヶ月半ほどたった頃、中国語検定の準4級という一番簡単な検定を力試しに受けてみた。結果は割と簡単に合格できたんだけど、やはり検定を目指すと、検定用の勉強をしてしまう。具体的な目標や励みにもなるので、また次のレベルやHSK(英語のTOEICのような、国際標準の中国語検定)にも、いずれ挑戦してみたい。

言葉がもたらす恩恵

最近は、取引のある中国人に、勉強中であることを積極的に伝えている。そして、SNSで一言でも中国語の文章を送ったり、音声を送ったりしている。中国では「We Chat」というLINEにそっくりな緑のアイコンのアプリが流行っていて、機能的にもほぼLINEと同じようなものがある。

おかげで、平気で長時間通話することもできるし、必要があれば、すぐに動画を送り合うこともできる。

僕が中国語で返事をすると、「悪くないね」という返事が来たり、わざわざ発音を訂正してくれることもある。わざと早口の中国語の音声メッセージを送ってきて悪ふざけをされることもある。

旅行に行くと、ホテルには大抵中国人スタッフがいて、一言でも中国語を話すと、驚くほど笑顔になってくれる。

10数億人はいるであろう中国語圏のうち、僕が知っている人は10人にも満たないけど、ほぼ全員と言っても良いほど人なつっこい印象を受ける。そういう文化なのか、たまたまなのか。逆の立場で考えてみたら、一生懸命変な日本語を話そうとする外国人がいたら愛おしくてたまらない。単にそういうことなのかもしれない。

中国語を学ぶと、中国人の感性や中国の歴史、文化にかんする情報も必然的に触れていく。

言葉を学ぶことは、異国の文化を肌身で理解する一番ベースになることで、この感覚は、翻訳アプリがどんなに発達しても解決するのは難しいだろう。

国や民族の垣根を超えて人と人とが繋がるとき、まずは生の言葉を交換してみるというのは、もっとも原始的でありながらもっとも有効な手段に思える。


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