手打ちうどんから学べ
うちの長男は小学6年生。うどんが好きでね。
自分一人でも、乾麺をゆでたり、冷凍うどんを作ったりはするようになったんだけど、麺を打ったら面白いんじゃないかと思って、中力粉を買ってきてやった。
朝からさっそくやってみたいというのだけど、午前中はやってしまい仕事があったので付き合っていられない。
そこで、「やるなら一人でやってみれば?」ということにしたわけだ。
僕は何度もやっているけど、打ち方は教えない。
ググればなんでも出てくる。
最近つくづく思うことがある。
僕の様な凡人が思いつく程度のことなら、あらゆることがネット上にある。
しかし、自分が欲しい情報にたどり着けるというのは、けっこう特殊な技能であるということだ。
ホリエモンが、寿司なんかYoutube見れば誰でも握れるみたいなことを言って炎上したことがあったっけ。
彼が言いたいこともわかるし、炎上するのもわかる。
本当に自分で握れることも事実だし、寿司を握るのはそんなに簡単じゃないというのもそのとおり。
実際のところ、Youtubeには魚の捌き方や寿司職人による握り方もたくさん見つけることができる。握り方も色々なので、一人の師匠について習うよりも、ひょっとして効率的に習得できるかもしれない。そして、少し練習すれば、少なくとも、寿司とも言えないスーパーの寿司折りや100円皿の回転寿司よりは、自分でおいしい寿司が握れる。
決して、三つ星の板前の腕はYoutubeで補えるという意味ではない。
* * *
そんなことを考えながら、調べるのも勉強だと思って、やらせて見たのだ。
うどんの打ち方自体は、わかりやすいサイトを見つけたようだ。
息子が粉の分量を測り始める前に、僕は自分の作業場へ。
昼頃になって「うどんできたよ~」と、作業場に呼びに来たのは末娘。
「どう?上手くいったみたい?美味しそう?」
「んー・・なんか、なんか・・美味しくない」
で、ダイニングにあったのはこれ。
「なんじゃこりゃ!」
一反木綿の死骸かと思ったよ。言わなかったけど。
* * *
一生懸命やったとか、過程が大事とか、学校の先生が言いそうだけど、僕はそういうの好きじゃない。
なんでかっていうと、世の中そんなに甘くない。
小学校までは頑張ったら褒められるのに、中学以降は、急にテストの点数でまくし立てられる。社会人なら当然である。
だからといって、結果だけが全てとも言わない。
いつもこう言ってるのだ。
「他人に評価されるのは結果だ。」
なので、評価が欲しいなら結果を出さなければいけない。
息子を褒めてあげるのは、「頑張って作ったね」ということではない。
僕ができる事は、チャレンジを讃えること。「おいしいね!」と食べること。そして、一緒に解決策を考えることだ。
* * *
事情聴取をすると、生地を捏ねるところまでは上手くいったようだ。問題はたぶん打ち粉の振り方が下手だったのと、切り方が太すぎで不均一過ぎる。
だから、くっついて団子になったり、茹ですぎてドロドロの部分もあるのに、芯は硬く粉っぽい。
* * *
「子どもに色々な経験をさせたい」という親は多いが、やらせっぱなしはよくない。
楽しい経験も、残念な経験も、その後のフォローアップで、素晴らしい経験になる。
午後の仕事に入る前に、今度は僕が一人で粉を打った。
うどんは、水回しと呼ばれる行程までがけっこう重要で、その後の作業のしやすさにも大きく影響する。
生地を寝かせて、午後の仕事に戻る。
休憩がてら生地の様子をみると、ほどよい弾力になっていた。
ここで、もう一度軽く捏ねて10分ほど置く。こうすると、寝ていたグルテンが目を覚まして、コシがでる。
たっぷりのお湯を沸かしながら、伸ばして麺切り。
温かいうどんのときは、やや甘めの出汁にするほうが口当たりが優しくていい。
お父さん特製手打ちうどんがこちら。
「うどんだ!ほんとに、うどんだ!」
なんという雑な感想。(まあ、いいかw)
* * *
ポイントをおさらいして、明日、もう一度チャレンジしたいというのだ。
そう。それが大事。
もう一度いうよ。
「結果は失敗だけど、頑張った」は、褒めるところじゃない。
褒めるのは、チャレンジしたこと、そして問題を解決して次のチャレンジに臨むこと。
それができたら、どんな世の中でも生きていける。
ほとんどの人は、最初のチャレンジができない。
チャレンジをからかう連中はいつもスタジアムの外だ。
まずは、スタートラインに立ったことがなにより尊い。
失敗を解析して、改善して、次のチャレンジをする頃には、もう、次のステージは見えている。
手打ちうどん。また、やろう。
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