見出し画像

器用貧乏による社会貢献時代の到来

10年くらい前は、お金にならないことに労力を使うことが理解出来なかった。

ところが、色々あってドン底まで落ちたときに、身体を壊すほど働いても当時の時給は750円程。自分の労力の価値というのは、お金に換算するとこんなもんかということを実感したのである。

僕はもともと新しいものを見るとワクワクしてしまう性格で、なんでも自分で触ってみたくなるところがある。これが会社員として自分の役割が決まっているときには、ほとんど役に立たなかったのだが、自分で商売を始めてからは、むしろその雑多な知識や技術でなんとかなってきたように思える。

器用貧乏

何でも手を出すが故にどれも大成しないで終わる人のことを「器用貧乏」というが、本当に言い当て妙というか、その通りだなということは、よく感じている。

時代が変わっても「器用貧乏」が「器用長者」になりそうな兆しは今のところないが、数年前から俄に風向きが変わっていることを感じている。

それは、ボランティアの依頼が妙に多いこと。
普通に仕事をしていたら難しい平日の昼間の案件も多いが、僕のように自営業だと、お客さんのアポがなければ比較的調整しやすい。そういう立場もあるのだが、それにしても、立て続けに次々と「やってくれませんか?」という連絡が続いている。

表面上おだてられているだけで、ひょっとしたら、世間に利用されているだけかもしれない。頼みやすいから。でも、それでいいのだ。

世の中には、ギブとテイクの世界があるが、自分が死んだ後でも価値が残るものは与えた物だけである。集めたお金や財産は、一つも持っていけない。
ビジネスや投資で成功して、自治体や福祉施設、学校、発展途上国などに多額の寄付をする人もいるが、残念ながら僕はビジネスでそれほど儲けられる自信も無い。

お金がないなら、労力で社会貢献するしかないのだ。空いた時間をアルバイト時給で小銭を稼ぐより、社会全体で見ればはるかに価値がある。(と、自負している。)

大抵のボランティアは大変な時間がかかる。だから、不労所得で悠々自適な生活をしている人がやれば一番理にかなっているんだけど、僕の様に手を休めたら、すぐに家族が食えなくなるような立場では、ボランティアに費やした時間や労力の穴埋めをしなければならない。

だから、世間のサラリーマンが居酒屋にいる時間は、ほぼ仕事漬けになってしまう。基本的に週7勤務で、休日らしい休日もなかなかとることができない。まあ、それでもいいじゃないか。

社会貢献はトレンドだ

就職活動の話に耳を傾けると、売り手市場で人材確保は大変だと聞く。僕らのような、いわゆる氷河期世代からすると、にわかに信じがたい。

今の学生が、どのような仕事を求めているかというと、「自分らしく」、「社会貢献」、「安定」ということが3大キーワードになっているようだ。

そこいくと、僕は自分らしく仕事をして、社会貢献もできる限りの時間を使っている。良い生き方だから若い子もみんな真似すればいいのに、なぜやらない?って考えたら、まあ「安定」が無いと言うのが、致命的にダメか。笑

でも、将来の安定なんてのは、どこに勤めていてもわからない時代なので、安定していたかどうかは、過去を振り返ってからわかることである。

将来に希望が持てない学生が多いというのは、我々オッサンの姿を見て言ってることである。
バブルを知らない僕らの世代は、ゴルフと酒で仕事を撮ってくるような上司に希望が持てなかった。同じように、いい年こいてもうだつの上がらない中年を見て、そんな風に希望が持てないのだろう。人生=仕事と捉えてしまうとそう見えてもしかたない。

画像1

ワークライフバランスということが言われるようになった。
これは、金儲けはやめて、家庭や社会貢献に力を入れようということではない。仕事だけに一生を費やして、人生を捨てるなと言うことだと思う。

仕事もお金も大事だし、自分の生活もままならないようだと、他人を助けることはできない。要はそのバランスを考えようというのが、昔の企業戦士全盛期とは時代が変わってきたということだ。

「器用貧乏」って、どちらかというと悪い意味で使われてきたけど、価値観がわかってきた現代においては、きっと良い人生になっていくと信じている。

若者から見れば、未来に希望が持ってもらえるような生き方をしたいし、高齢者から見ても、未来に希望が持てる次世代の立場でいたい。



最後までお読みいただき、ありがとうございます^^ いただいたサポートは、今後もよりよい記事を書くための情報集計費に充てたいと思います。よろしくお願いします。