「子ども同士をつなぐSNS」という夢
環境って大事だと思いません?
子どもの時から良質なSNS活用ができたら面白いだろうなという夢みたいな話。
何事も環境次第
何を今更当たり前のことをと言われるかもしれませんが、本当に最近ひしひしとそのことを感じているのです。
ハーバード大学の研究で、貧困を抜け出すために一番効果的な手段は何かということを調べた実験があります。
この研究の結論は、一番重要なのは「住む場所」ということでした。
周辺環境、地域の人的環境により、悪い条件がかさなりますます貧乏から抜け出せなるということなのです。
言われてみればごもっとも。
本人の努力や何かを実現するための工夫というのは、大きな流れの中では微々たる要素なのかもしれません。
成功するには運も重要だと思いますが、一般に「運」と呼ばれることでさえ、環境によって確立を上げることができるように思います。
これって、お金だけの話だけじゃなくて、あらゆる能力や人間性を育むにも、同じじゃないかと考えているのです。
地域の学力レベル
勉強ができる子→良い学校→良い会社→金持ち
っていう成績と収入を基準にした人生設計は、もう古すぎて参考にならないと思いますが、非常にわかりやすいので、あえて例に使ってみます。
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例えば、偏差値40~55の子どもが集まる地域があったとして、高校、大学の進学先をみると、当然ほとんどがその範囲に収まってくるでしょう。
準じて、その後の収入も相応の分布になる確率が高いです。
この地域から東大や京大に行くというのは、仮に学年トップの子であってもなかなか難しいことだと思うのです。
なぜなら、地域の教育レベルがその程度で、公立の小中学校では、そのレベルで授業が進められていきます。文科省が定めたレベルはあるかと思いますが、成績下位の生徒をふるい落として、トップ3名の成績を押し上げるような授業を学校でやるはずはありません。
仮にクラスの平均点レベルで授業が行われたとすると、平均以上の子達は、学校の勉強に合わせるほど、足を引っ張られてしまうという現象がおきます。
この仕組みが怖いのは、成績上位の子は、ほとんどの場合、そのまま上位をキープできてしまうということです。相対的に良い成績を維持できるので、足を引っ張られていることに気づきづらいのです。
ここで、偏差値53程度の学年でも成績上位だった子が、高偏差値の私立の学校に転入したとしましょう。
新しい学校では、偏差値50~65の子が集まっているとします。
今までの学校トップクラスだったのに、急に下から数えた方が早いような立場になります。授業について行くだけでも必死です。
精神的にはキツいものがあるかもしれませんが、このような環境に身を置けば、まともに過ごすだけで、高偏差値学校の平均(この例の場合で言うと、偏差値57~58)に近づいていくことになります。
人を育てるあらゆること
たとえば、学校の成績だけでなく、スポーツも同じように思います。
芸術や楽器演奏の腕前、コミュニケーション能力、人間性・・・あらゆることは、レベルの高い環境に身を置けば、自然と良い方に引っ張られます。
そう考えると、田舎は不利なことが多すぎませんか。
いわゆる「マイルドヤンキー」が、田舎の子ども達が想像している「大人」です。
もちろん、自然環境や地域のつながりという、都会に自慢したい良さもたくさんあります。しかし、どこまでも東京中心に日本の国が回っている以上、東京での勝者が次のチャンスをつかむ権利があるという世の中の構図はなかなか変えられません。
念のためいうと、ここでは、東京で成功することが幸せで、田舎は不幸だという主張ではありません。幸か不幸かは、自分の中の問題です。
ただ、何か大きな夢を抱いたときに、都会の方が実現できるチャンスが多いですし、教育も含めた長い道のりで考えると、田舎よりも近道であることは多いです。
子ども向けのSNSなんて
僕の日頃の生活では、このnoteも含めて、ツイッター、フェイスブック、インスタ、LINE等、SNSは無くてはならない存在になっています。
依存しているのではなく、利用することで生活が成り立っているということが、プライベートでも仕事でも多々あります。
そして、ただ単に便利だからということではなく、こうして田舎暮らしをしていると出会うことのなかった、たくさんのハイレベルな環境の方と知り合うこともできます。
多くの知識をもった大学の先生、人徳が溢れているお坊さん、正しい知識を提供してくれるお医者さんなど枚挙に暇がありません。
そういった、SNSがきっかけの人間関係から、自分自身がさらに成長できる環境を作っていくことで、僕自身はずいぶん成長できていると思っています。
そこで、相対的にチャンスの少ない田舎に住む子ども達にも、意識の高い同世代が集まるSNSがあれば、使いようによっては、全国レベル、世界レベルで、切磋琢磨できる刺激になるんじゃないかと思うのです。
まあ、それはとても難しいことは、想像がつきますよ。
仮に「子ども向けSNS」という完璧なシステムがあったとしても、小学生同士がみんな、ハイレベルなコミュニケーションをとれるわけではありません。
環境が人を作るという意味では、悪い環境が悪い成長を促してしまうということも当然あるわけです。たいていの場合、子どもがSNSを使うとそちらに流れる傾向があるので、大人達は嫌がります。
実は「子ども向けSNS」に近い運用をしているところがあって、それは、N中等部です。
こんな環境で頑張れたら、高校以降の目線もずいぶん違ってくるだろうなと思っています。
しかし、そこで気づかされるのが「やっぱり金か!」って話。
こちらのN中等部は、年間50万ほどかかるわけですよ。
悲しきかな、貧乏の子は貧乏、金持ちの子は金持ちになりやすい環境というのは、このあたりにあります。
お金がなくても、環境を作れる方法はないか
だからこそ、下剋上を狙うには、無料のSNSを使いこなすネット時代の知的生命体として成長していくという、新たな可能性がないかと考えているのです。
田舎出身だろうと、親が金持ちじゃなくても、最低限のネット環境があれば、子ども達にチャンスが広がります。
具体的には、「Facebook for kids」みたいなものがあれば良いと思うんだけど、リテラシーの低い連中は入れたくない、そうすると無料じゃ成り立たない。難しいですね。
日本人はまだまだ「情報はタダ」と考えている節がありますが、中国で増えているように、低価格の有料SNSというのは、今後、流行る可能性はありますね。
大人でも、文章が読めずにSNS上で喧嘩を売ってくる人ってたくさんいますのでね。子ども達自身が運用するとなると、いわゆるUGC(User Generated Content)を期待するのは無理があります。
そんなシステムを一緒に構築できる仲間が将来できると嬉しいです。
妄想をいろいろしているうちに、子ども達はどんどん大きくなってしまいますが、環境を作ってあげられるのは、今のところ親である自分しかいないんだよなってところに落ち着くわけです。
とにかく、何事も「クラスの中ではマシな方」というのは、実に「井の中の蛙」だということは、なんとか伝えていきたいなと思っています。
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