おいしそう
あなたの行きつけのおいしい店はどんな店ですか?
僕の行きつけは、きれいに手入れされたカウンターとシンプルでコシのある麺の銀座の中華そば屋。入り口に食券機があるのですが、なぜだかそこには店主の奥さんがいて、自販機を操作してくれます。どんぶりも至って普通。主役の中華そば以外、何か特別な存在のものはありません。
僕はデザイナーをしていますから、インテリアやメニューなどのデザインにやはり目が行ってしまいます。しかし、この店にはいわゆるデザインを感じるものがない代わりに、清潔で心地よく、ひとの温かみとシンプルな味の中華そばのみがあります。いろんなメニューに悩む必要もないほど中華そばだけに意識が集中できます。
その中華そばも、ものすごく個性的なおいしさかと聞かれたら、特にうまくその魅力を伝える言葉が浮かびません。もちろんおいしいのですが、あのラーメンよりおいしいとか、比較する気持ちにはならない「これはこれ」なのです。
「おいしい」を追求すると、人は「もっとおいしい」に欲望が向きます。
しかし、こうした行きつけの店には、「自分のおいしいと思える気持ち」というスパイスが入店と同時に湧いてきます。つまり「おいしそう」なのです。
おいしいと感じる背後には、必ず「おいしそう」と感じる気持ちを作る工夫があります。味の追求と同時に、「おいしそう」の追求も大切で、もしかしたら味の「おいしい」よりも難しいかもしれません。
それは店主の執念。世間の「おいしい」など関係ないとする気持ち。独自に挑む様子・・・・・・・そんな独自の「おいしい」に向き合う様子という名の、ちょっとしたことが、私たちを虜にしていく。
「おいしい」ものをそのまま出してもただのおいしいにしかなりません。
そこに感動の「おいしい」を提供するには、味以外の「おいしそう」がなくてはなりません。
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ナガオカケンメイの考え
あの「ナガオカケンメイの考え」の続編です。基本的に怒っています。笑なんなんだょ!!って思って書いています。
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