平成生まれの芥川賞作家が出て来ることを願っているー第162回芥川・直木賞の発表前夜に

 第162回の芥川・直木賞の選考会が明日開かれる。候補は両賞とも5作ずつだが、予想での評価が高いのが芥川賞は乗代雄介さんの「最高の任務」、直木賞は川越宗一さんの「熱源」である。もっとも、予想でそれが多かったからといってほぼ確実だろう、ということにはならない。思いがけぬ結果になるかもしれない(該当作なしだけは嫌だが)。
1月16日追記:15日に発表された受賞作は、芥川賞が古川真人さんの「背高泡立草」、直木賞が川越宗一さんの「熱源」だった。古川さんは1988年=昭和63年生まれで、平成にかなり近い受賞者になった。

 それはさておき、平成生まれの芥川賞作家はいつになったら出て来るのだろうか……と、平成生まれの私は思う。もっとも、元号の違いぐらいでアレコレいうのもナンだが……。平成が始まって30年以上が過ぎた。昨年、とうとう平成生まれの芥川賞作家が一人も出てこないまま時代は令和になった(直木賞は第148回に朝井リョウさんが受賞し、現在一人)。そもそも、今回に至るまで平成生まれの候補者はまだ指折り数える程しかいない。今回は、髙尾長良さんが「音に聞く」で候補に上がっている。ただし、下馬評での評価は低い。質が他に比べて低いというより、難しさや文体への違和感を問題視されてもいるようだ(文体はともかく、難しいからあり得ない、というのはどうかと思うが……)。

 でもよく考えて見れば、20代の受賞はそもそも頻繁に起きるものでもない。そもそも、昭和一桁世代の受賞者は石原慎太郎の受賞前後に一気に出て来たし、戦後世代の受賞者も中上健次、村上龍の受賞前後に一気に出て来た。しかもいずれも、昭和が始まって30年程、戦後が始まって30年程経ってからである。そう考えると、もう少しで芥川賞に平成生まれの波が起こってもおかしくはない。

 ただ、昭和一桁世代の躍進の時代と、戦後生まれの躍進の時代、それと今日とでは、文学を取り巻く環境や価値観がかなり異なっている。そういえば髙尾さんの候補作に関して「これでは若者が純文学から離れてしまう」というようなことを書いていた評を見たが、そこにも今日の若い世代の文学観、がうかがえた。 「成る程確かに」と作品の評として捉えることとは別に“皮肉として”頷けた。文学、というと若い世代には高尚なもののように捉えられがちなのである。かくいう私も若い世代だけれども。

 さて、先述の髙尾さんは第148回、デビュー作「肉骨茶」で初候補になってから、今回で3度目の候補になる。3度目だから確実ではないのも事実だし、今回も取る確率は低いだろう、と見られてはいる。しかし、平成生まれの純文学作家の中で今の所もっとも芥川賞に近い。そう言えると思う。

 いずれにせよ、今回髙尾さんが取ろうと取らなかろうと、もう5年しないうちに芥川賞にも平成生まれの受賞者が次々に出て来るだろう、と信じたい。幾ら文学が高尚なもの、と思われても、いつかは出て来るのだ。同じ平成生まれとして、平成生まれの文学の躍進は心待ちである。もっとも、平成一桁世代より先に平成10年代世代が躍進することになれば、平成一桁世代として歯痒い気持ちにはなりそうだが……(by平成7年生まれ)

 

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新潟県長岡市の文芸団体「長岡ペンクラブ」に所属しています。年1回、会誌「ペナック」で創作(筆名使用)やエッセイを発表。新潟日報「窓」に不定期で投稿。ぼちぼち書いて行けたらなーと思っています。
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