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「イライラ」の感情に向き合う

「あーもう2時45分。3時の習いごと遅刻しちゃうよ。そろそろ、行かないと!そんなにぐだぐだしてないで、早く準備して!」

こんなふうに、家でぐだぐだしていた息子にイライラぶつけて、息子の行動を変えようとしたことがありました。

そして、実際、習いごとに遅刻してしまい、めっちゃイライラしました。

自分は正しいと思うからイライラする

イライラしないほうがよいとわかっているのに、イライラが湧いてきてしまう。

そんなときは、だいたい「自分は正しい。相手の行動は間違っている」と思っています。

さっきの話だと、

「遅刻しないで習いごとに行くのが正しい」

「時間を気にせずぐだぐだして、遅刻するのは、間違っている」

という価値観を前提にして、それと違う相手の対応に、感情が適応できず、イライラしたんだと思います。

遅刻しないで行くことは正しいのか?

たしかに、社会人の世界では、「遅刻しないで行く」のは、正しいでしょう。

でも、子どもの世界では、まだ家でしていたいことがあるのに、遅刻しないで行くことは正しいんでしょうか?

子どもにとっては、したいことが最上位にあり、習いごとは、行きたいから行くもので、行きたくないなら、あえて行く必要はないのではないか?

実は、さっきの話、家でお絵描き(大好きな鉄道)をしていたところ、お絵描きの習い事に行かせるために、イライラしてしまっていたという話でもありました。

大人の自己中心性

こういう場合、だいたい、大人の自分は、自己中心的に考えています。

① 習い事にお金を払っているんだから、無駄にして欲しくない(経済合理性)。
② 子どもに時間にルーズという風に見られたくない(自分の見栄)。
③ 時間を守ることを小さいときから習慣化しないと、社会人になってから困る(価値観の押しつけ)。

特に難しいのは、③価値観の押しつけで、①・②の自己正当化にも無意識に使ってしまうし、本当に子どものことを思っていても、今の成長フェーズで、この習慣を身につけさせる必要があるのかは、いつも悩みます。

イライラする自分の弱さを受け容れて、相手の意見を聞く

理想は、誰に対しても、イライラしないことなのは、間違いありません。

でも、現実として、自分の価値観と相手の現実が適合しないとき、イライラする感情が湧いてくるのは、自分の問題であって、相手にぶつけることなく、自分の弱さとして受け容れるしかありません(頭では分かっていてもそれには何度もチャレンジして訓練が必要です。プレッシャーの強度や自分の体調・気分にもよるので、まだまだ完璧にできません)。

そして、子どもが相手だとしても、自分の価値観を押しつけることなく、
「遅刻しないで行った方がいいとパパは思うけどどう?電車の運転士さんは、遅刻しないよ。」といって、自分の意見を伝え、
「どうしたい?」と一度、相手の気持ちを聞いてあげられたらな~と思います。

(参考文献)


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