電波ジャンパー

小説『僕は電波少年のADだった』〜第9話 電波少年も走る師走

 世界征服宣言の特番を手伝ったあたりから、黒川班は、にわかに忙しくなってきて周りの空気が変わってきた。色んな事が同時多発で起き始めたのだ。

 まず電波少年にキチガイ加東という恐ろしい呼び名をもつディレクターが病み上がりで帰って来た。この人は存在自体が破格で、あのテリー伊藤が「俺の後を継ぐのはコイツしかいない」と言ったとか、言わないとか。
 初期電波少年の『牛のゲップを吸い切りたい』は加東Dの代表作。ゲップ吸引器を付ける前の梅村が鼻歌を歌うシーンは白眉!
 もうフリとか点とか、そういう類の演出論では語れないネタを平気で作っちゃう。立ち位置が常識からズレちゃってるから、もうお笑いバラエティの世界じゃ天才としが言いようがないんだけれど、私生活ではできるだけ絡みたくないお方。
 ロケ中突然「長餅ーっ、金貸してくれねえか。局員だから金持ってるだろ」と、言い出すぶっ飛びぶり。事前に『元気が出るテレビ』で加東Dと一緒に仕事をしていた経験のある〆鯖さんから
「加東さんに『金貸してくれ』って言われても絶対貸しちゃだめだぞ。
〇〇に✕✕しちゃうから」と注意されていたので、お金の話は絶対向き合わないようにしていた。「加東さん、梅村が怒られてます!」と、ロケの話を振れば、突然憑き物がついたようにカンペにペンを走らせ、常人の想像を超えた展開を書き、梅村に突き出す有様。
 黒川曰く「ともかく加東ちゃんは仕事してればいいんだよ。勝手に面白いVも作るし、給料も入るし、ムダなことはする時間なくなるんだから。死ぬまでV作ってもらえ」。
 僕が電波に入る少し前に身体を壊して、番組から外れていたというのに復帰するなり、人気シリーズ『ジョニー夫妻を仲直りさせたい』を展開。
 梅本アッコ・手のひら返しの魅力爆発のVでスタジオは毎回爆笑の渦。ゲストの高田文夫さんも「まったく電波少年のドル箱企画だな。松竹の寅さんだよ」とスタジオゲストで来た時、絶賛していた。

 この加東D加入に伴い、刺激を受けた各ディレクターも己の芸風が全開爆発。とんでもない面白いネタが連発し始めた。(以下カッコ内他担当ディレクター)
 『スズメバチは本当に強いのか身体を張って確かめたい』(鶴D)『ボアダムスをバウダムスに変えて欲しい』(〆鯖D)『視聴率48.1%を取ったテレ東社長の爪の垢を煎じて飲みたい』(飯合D)『借金美女を救いたい』(鶴D)『出るとこ出るのが嫌だからJR東日本のお役に立ちたい』(飯合D)『証人喚問に呼ばれる覚悟はあると森幹事長に伝えたい』(〆鯖D)『ゼネコン汚職の一掃を手伝いたい』(〆鯖D)『レコード大賞を辞退したいと伝えたい』(鶴D)『次代の子どもたちを守るために砂場のウンコを撤去したい』(飯合D)。『小沢一郎さんをイメチェンしたい』(鶴D)『運輸省大臣の椅子に座りたい』(飯合D)エトセトラ。
 電波少年初期は制作費が無さ過ぎて、スタッフ間で関東近辺のロケのみという縛りがあったのだが『リクルート江副さんにおごって欲しい』(飯合D)では、禁断の地方ロケ解禁。梅村が紋付羽織袴でスキーをしている姿に電波少年新時代を感じた。と思ったら、しばらくすると『豪邸のプールで泳ぎたい〜せっかくロスまで来たのだから街のお役に立ちたい』(〆鯖)とついに2泊3日の海外ロケまで敢行。
 ロケ地の広がりとともに、OAされた企画でさえこのラインナップだから企画展開も縦横無尽天衣無縫の生殺与奪。アポなしで闇に葬られた企画は枚挙に暇がない。というより枚挙が出来ない。はずなのだが、電波少年まつりなるイベントを開催し、放送できなかった企画をイベント限定で公開。そしたらイベント限定でモザイクまでしっかりかけてあったのに、取材先にバレて怒られるという事件まで起きた。
 当時の取材記事を洗ってみると、こんな横浜Pは雑誌インタビューでこんな風に答えていた。
『ディレクターや作家の力量もありますが、この番組の大元は人柄だと思います。僕らは何度も何度も広報の人に頭を下げてオンエアできるようにがんばってきたんです。』
 ディレクターは舞い踊り、プロデューサーはその舞台を整える。
 黒川の企画は、ことごとく転がった。決して成功ばっかりしてた訳ではない。失敗もネタにした。というか、失敗するということがネタになった。それが新しかった。
 こういう事をなにか四文字熟語で、と思って調べてみたら『麻姑掻痒』と聞いたことのない言葉が見つかった。広辞苑第六版によると『「麻姑をやとうて痒きを掻く」物事が思いのままになること、物事がよく行きとどくことをいう』とあるが、まさに麻姑掻痒。
 おかげでディレクター昇格への壁がますます厚く高くなってしまった。

 で、この頃僕は電波子2号から28号という27人のアイドル志望の女の子の面倒を見ていた。まだAKBのAの字もない頃、電波少年では大人数アイドルへのチャレンジはすでに行われていた訳だ。
 いや実際は初代電波子という番組オリジナルアイドルの展開が手詰まりになり、そろそろ新しい子を募集して2号にしようという話が上がっている中、作家の鮫鰭さんが「電波子2号から28号一挙募集」というネタを出してきたのだ。黒川「鉄人は28号だから28はキリがいいね」良かったよ、鉄人が48号とかじゃなくて。
 動き出したからには面倒は見なくちゃいけない。番組企画で募集採用された27人の中にはニューハーフも7歳児もいて、それらがみんなで毎週歌とダンスのレッスンをする訳で。未成年の方はご両親に連絡し、毎週毎週、通常電波少年のロケと編集の上に電波子2号から28号のレッスン。そしてレッスン風景のドキュメント撮影。思えばこの頃から電波少年では、家庭用ビデオで撮影が普通に行われていた。
 黒川のアドバイスは「絶対、電波子に手を出すなよ」
 撮影のアドバイス欲しかったんですけど…。

 しかも、これがこれだけで収まらず、事情はよく分からないのだが、トチ狂った昭和テレビ編成部が、調子の良い勝ち馬に乗れとばかりに、黒川に金曜20時のドラマを発注。なんでドラマ企画を黒川に発注するんだか。
 すると黒川は、アッチャンカッチャンを主役にワイドショー担当時代の事件をベースにしたオリジナル脚本ドラマを企画。その名も『ザ・ワイドショー』。企画書によればアッチャンこと赤村演じる芸能プロダクション社長が自社のアイドル強姦事件記者会見をきっかけにワイドショーを手玉に取り、一躍ダーティーヒーローになってゆくというブラックサスペンス。このとんでもないドラマも年明けのOAが、すんなり決まって、あっという間にクランクイン。
 これに電波子2号から28号が毎週エキストラで出演し、毎週数名ずつ落ちてゆくという企画が乗っかってきたものだからさあ大変。27人のアイドルをドラマ現場に連れてゆき、オーディション風景を電波少年のネタにすることになったのだ。ドラマの現場はバラエティと違い、様々なしきたりがあるから要領を得ない僕はどうして良いかわからない引率の先生。27人を連れて移動する度に、ドラマの助監督から「そこじゃま!」と怒られる。
 演出部の一番偉い席に黒川が、いつもの黒い革ジャンを着て腕組みしながら、その様子をニヤニヤしながら見ている。
 後になって黒川に、「駄目だよ、カメラの前横切っちゃ。バラエティと違って、ドラマは長玉って言う、望遠レンズで後ろをぼかして撮ってるんだから。だからバラエティの人は…って言われるだろ」と自慢げに言われた。
 待機中、というか待機ばっかりなんだけど、初めて見たドラマの撮影現場は凄かった。沢山の有名タレントさんがメイクさんや衣装さんや、なんか日傘を持つ係みたいな人に囲まれてるし。アポなしロケで警官に怒られている梅本梅村とはえらい違いだ。
 主役のアッチャンこと赤村とカッチャンこと勝原は、お笑いの人なのに、このドラマ現場でも一際輝いて見える。そんな二人は、僕のことを黒川班の若い者だと認識して、声まで掛けてくれる。
勝原「おっ電波少年。頑張ってる?大変だなあ、引率の先生も」
赤村「お疲れ様、来てるねー」
 会議でちょっと見ただけなのに、覚えてくれてたのか?僕の顔。いやこんなに女の子連れてれば、否応なく電波のスタッフとバレるか。すると引率していた電波子2号から28号も
「意外に本物はかっこいいじゃーん」と感嘆の声が上がる。
「えっ長餅さん、アンカンと知り合いなの?」
いや知り合いじゃないんですけどね。タレントと話しているところを見るだけで人の評価って変わってしまうんですね。ADって番組内だけでなく、番組と関係のない他の人からもAD扱いされるので、どんな人からもだいたい下に見られがち。たまに業界人っぽいところを見せることができるシチュエーションになるとちょっと調子に乗ってしまいそうでした。
 それにしても黒川の姿を見て、企画さえ通ればバラエティ出身でもドラマの監督みたいな仕事できるのかと斬新な驚きを感じていたのも事実。と、その時、番組内でディレクターを演じる鈴木京子さんが現れ、こっちに向かって「お疲れ様です」と挨拶をしてくれた!
 なーーーーーーんて美人なんだ!
 あんなディレクターいるもんか!いたら仕事にならないよ。
 と、一瞬で恋に落ちた。
 そんな京子様が現場に入るなり、黒川のところに行って挨拶、すると黒川が演技指導。
「京子さん、ディレクターってのは、生中継の時、見切れないように…」うんぬんとか、あの京子様にディレクターの動きを説明してやがった!くぞ!監督っぽいぜ。撮影部か照明部に注意でもされればいいのに…

 さて、そんな夢の世界の経験はひとときの夢。スタッフルームに戻ると、現実は待っている。
 毎週毎週、電波少年とドラマの中で報告される電波子エキストラオーディションの短い告知Vの準備だ。短い割に、ものすごい素材の量、27人もいる女の子の顔と名前が一致しない事に閉口した鶴さんが
「後から直すから、まず長餅つなげ」とご命令。
 結局毎週、本編ディレクターに30秒の告知を編集して渡す大役を得ることになった。忙しいと良いこともあるものだ。まさに棚からぼた餅、長餅に告知。この大混乱期に、僕はディレクターへの小さな一歩を踏み出すことになった。

 また先ほど紹介した横浜Pのインタビュー記事とは別に、トピックとして電波少年を扱う記事も少し増え始めた。その中に、ロケとリアルの区別がつかない純粋無垢の梅村がお世話になった眞紀子先生のお父様田中角栄氏死去に伴い、企画とは関係なく心の底からお悔やみのために目白御殿に生花を届け、それが『梅村、田中邸に生花届ける』という記事になるという諸行無常の色即是空な出来事も起きた。
 企画会議で黒川がこの記事を見て「これウチのロケだっけ?」と聞いたほど。もう黒川もスタッフも訳分からなくなるような事件であったが、あの頃の電波少年の盛り上がりを如実に示す事件の一つではあった。

 そして…
(ソリで雪が軋む音と鈴の音、ジングルベルのBGMをご想像ください)
 師走の足音が聞こえてきたこの頃、クリスマスの定番企画が今年も始動開始。
 年に一度クリスマスイブの夜、サンタを信じる良い子達にプレゼントを送るという心温まる電波少年唯一の良心的企画。『サンタを信じる子供たちの夢を叶えたい』通称『アポなしサンタ』
 ところがぎっちょんちょん。
小豆「あらー今年はイブが金曜日じゃん。編集どうする?」
 がーん。
 アポなしサンタとは24日の深夜、梅梅の二人がサンタに扮して子供を起こさないように枕元にプレゼントを置いてくるという企画。だからロケ日は動かしようがない。そして25日の朝プレゼントに気づいた子どもたちが「サンタさんありがとう」というホームビデオの映像で終わるのが定番演出。それが撮れるのはもちろん25日朝。OAは26日。いったいいつ編集するのって話です。
 ともかく12月に入ると全てのロケで空き時間にいろんな話題の企業とそーや商店に、子どもたちへのプレゼントをありがたく頂きまくり。そのプレゼントを持って、24日深夜に梅梅2班体制でロケ開始。
 番組告知に合わせて赤と緑のリボンを玄関につけてくれた一般のお宅をご家庭に子供が寝静まった頃を見計らって訪問。リアルに子どもたちの枕元にプレゼントを置いて帰る。梅村が何かを踏んで子供が起きそうになるシーンを撮るのはお約束。
 朝方、養護施設等を訪ねて沢山のプレゼントを一つ残らず子ども達に配ればロケ終了。20軒も配ればさすがの12月でも空が青くなり始めるので、ホントのサンタさんは大変だなと。しかしアポなしサンタはそこからが大変。
 この年のアポなしサンタのロケ担当は梅村が〆鯖さんで、梅本は加東さん。
 …
 どちらも鶴さんと違って、ノーオフライン即興編集派。
 25日の朝方ロケ終了。ディレクターは一回帰宅して睡眠。僕は電波子のレッスンが13時から16時。夕方、編集所に集合、2つの部屋で〆鯖加東の二人は昨夜行われたロケの記憶だけを頼りに直編集。ADは全員集合。アッチへ言ったりコッチへ来たり。


〆鯖「あーあそこで梅村がこけたから、そっち出して」
加東「アッコは慎重すぎるんだよ、ここでツリー倒せば面白かったのに」
〆鯖「加東さん、番組25分しかないんだからアッコブロックは10分にしてよ」
加東「分かった分かった」「もうちょっと頂戴よ。はい、〆が厳しいからもう一回、今繋いだの出しにして編集しよう」
〆鯖「ナレーション、今俺が読んでるの書けよ!高原!」

〆鯖「この間、梅村が紹介された新聞記事撮っておいてって言ったろ。」
高原「はい、撮ってあります」
〆鯖「その物撮り見せて」
 再生
高原、カメラ倉庫で新聞記事を撮りながら音声収録があるのを忘れて
高原のオフ声「ああーアポなしサンタ、〆鯖さん付きか。憂鬱だなあ。編集遅いからなあ」
一同、沈黙…まだまだつづく高原のボヤキ

 少し構成が形になってくると、梅村と梅本のネタをカットバックを作るのために〆鯖が加東のVチェック。
〆鯖「最初、アッコから入って、1軒目成功した所で梅村にカットバックしたいんだけど大丈夫っすか?」
加東「じゃ梅村に『痛い』って言わせたいから、どっかに無いかな?梅村が『痛い』って言ってるとこ。音編するから」
〆鯖「だめですよ、加東さん。加東さん音編集すごすぎて「わ」と「れ」だけ別のところから持ってきて「わ」「れ」「わ」「れ」「は」とかやるから宇宙人みたいになっちゃうんだから」


 朝11時、編集所に黒川到着。
黒川「今つないであるやつ一回見せてー」
 〆鯖部屋・加東部屋でそれぞれ編集チェック。直しも入れて再び編集。
 とっちらかった編集所はもう他番組の入る空きなし。電波少年で占拠状態。そりゃもう地獄の様相です。
 昼12時過ぎ、子供たちの朝プレゼントを見つけた様子や「サンタさんありがとう」のコメントVが届く。梅梅の編集で手一杯の加東〆鯖両ディレクターを見て
黒川「エンドロール30秒、子供たちの顔で良い?」と提案。
 演出は黒川なんだけど、このOAをまとめる責任ディレクターは〆鯖さんだから、ここは黒川がお伺いを立てる。
〆鯖「クッキー、お願いします」
 もう黒川さんのあだ名クッキーを直に呼ぶ〆鯖さん。
黒川「編集室、もう一部屋あるかな。1時間でつなぐから」
 編集所の営業担当にお願いして、編集室をもう一部屋開けてもらう。
 結局子供たちの今朝の様子は、黒川自ら編集。黒川は意外にこういう心温まる素材の表情に結構こだわるタイプ。ディレクター時代を思い出してかノリノリで「あいっそこ!」とか言いながら、編集室で素材出し、指を鳴らして指示をする。
 この人もノーオフライン即興編集派だな。
 3人揃っちゃったよ。

 いろいろあって責任ディレクターの〆鯖さんが一本化。なんとか放送尺になったのが昼の14時。テロップは全く入ってないけど、ともかく完尺。放送まであと8時間あまり。
 黒川「8時間もありゃ余裕だよ」
 〆鯖・加東うなづく
 元気が出るテレビを越えてきたノーオフライン即興編集派の人たちは。これくらいの追い込まれ方では動じない。一本化された編集済み素材をVHSにダビングするのと同時に、CM尺が合っているかフォーマットチェック。
 すると加東さんが「ああ、そこ編集違うな。直していい?」
〆鯖「駄目ですよ。もう尺にしてるんですから。音効さんが間に合わなくなっちゃいますよ」
加東「頼む。〆。」
 もうこの辺コントです。加東Dは、気になりだすと止まらないんです。平気で後輩の〆鯖さんに土下座とかするし。
加東「頼む。〆。この通り。直させて」
〆鯖「もうこの辺にしておきましょうよ」
加東「じゃあ、俺〆のウンコ食べるから、それで許して」
〆鯖「何言ってるんですか。須崎ちゃん、一回止めて」
で、結局、直し。なんでウンコ食べると説得できるのか訳がわからない。
 川崎が音効の花澤さんに電話。
「すみません、加東さんの直しが入っちゃったんでVHS、ちょっと遅れます」

 そんなこんなでテロップは全く入ってないまま。15時MA開始。
 音効の花澤さんが、慣れた手付きでBGMだけ入れてゆく。編集室はまだ稼働中。〆鯖加東両班とも、口建てのナレーションをADが口述筆記。二人が絶大な信頼を寄せる作家の青森さんが急遽呼ばれて、これを清書。というか推敲して、凄いナレーションに仕上げてゆく。
 MA室には横浜小豆の両プロデューサーが来て内容チェック。子供たちの名前は間違えちゃいけない。差し入れはクリスマスケーキ。

 17時ナレーターのチョーヤさん到着。青森さんが綺麗に整えたナレーション原稿を黒川さんがキュー出しして一発撮り。
 ナレーションを録り終わったらミキサー番町さんが整音。ノイズを抑え、コメントを立て、いい感じにBGMのレベルを合わせる。そうやって作った音を『戻し』という作業でOA用テープにダビングする。
 「戻しやります。テロップはいりましたか?」
AD高原が編集室へ。
「これから戻しだって?」〆鯖・加東の二人がMA室に入る。MA室のモニターには今テロップが入ったばかりの素材が流される。ここで音効花澤はテロップの効果音を入れる。時々、テロップも入ってないのに勘でアタック音が入っていて、それぴったりにテロップも飛び込んでたりすると一同「おーっ」と盛り上がる。
 19時ついに作業終了。
 出来上がったテープを横浜PとAD高原が昭和テレビに運ぶ。
「間に合ったあ」
5分後には、みんなMA室のソファで爆睡。演出もADもディレクターも全く関係ない。そこらかしこで寝落ち。青森さんはまた別の現場へ。
 22時、なんとなく三々五々起き始め、MA室のモニターをOAに切り替える。いつの間にか鶴・飯合の両ディレクターも来ていた。
 22時30分、笑撃電影箱のオープニングVに続いて電波少年の本編が始まった。

 スタッフ一同で見るOAはまた格別。もう何度も見てるけど、やっぱりデッキで走らせて見る電波少年と電波に乗って放送されている電波少年を観るのは全く違う。この瞬間が嬉しくて、こんなに一所懸命仕事をしているのだ。自分たちが作ったテレビで誰かが笑ってくれてる。それが嬉しいのだ。
 だから毎週毎週ボロボロになって、少しでも面白いものを、少しでも笑えるものをOAしようと躍起になっている。こんな程度でいいじゃんは誰の口からも出ない。それどころか今OAを見てるっていうのに、また加東さんが「あっしまったー。これ直せる?」とか言って笑いを取っている。ゴジラ〆鯖が美味しそうにクリスマスケーキを品よくフォークで食べる。黒川はいつものように腕組みしながらモニターを見てる。
 MA室のソファー真ん中に黒川、両翼に加東と〆鯖、その右側に横浜小豆の両プロデューサー。反対側には音効花澤とナレーターのチョーヤさん。
鶴さんはナレーターにキュー出しするディレクター席。飯合さんは音効さん用の椅子の背もたれを前に抱えてゴロゴロ転がしていた。
 ソファ前にある床には我々AD川崎・高原・長餅・東原。ガラの悪いお雛様のように順番に座ってOAを見る。

 「このあとはダウンダウンのガキの使いやあらへんで」
続いて放送されるガキ使の浜田さんのクロスプログラムが流れると、黒川が言った。
「さあて構成会議やるか」

 そうなのだ。この年の電波少年の師走はこれで終わりではなかった。明後日火曜日には1月2日(日)放送分の通常収録。31日大晦日には『昭和テレビ開局40周年記念特別番組 スーパー電波バザール〜年越しジャンボ同窓会』なる年越し生放送特番が控えていたのである。その放送時間、なんと7時間半!どんだけ働きゃいいんだよ。