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小説『僕は電波少年のADだった』〜第5話 ディレクターになりたい

 その頃、電波少年には5人のADがいた。5人は運命共同体だったら基本、みんな仲は良かった。
 我々5人はそれぞれ立場が微妙に違った。制作会社と呼ばれるテレビ制作を請負う会社の契約ADが南。その会社から来ているADはもうひとり東原は、その制作会社の社員AD。残り3人のうちの、二人は昭和テレビの子会社である昭テレ映像センターの社員高原と契約AD川崎。
 番組の初回放送で募集採用されたイラン人ADサイードは、元の仕事シェラスコ屋がテレビ出演をきっかけにブレイクして、いつの間にかいなくなっていた。
 その後釜が僕。昭和テレビの社員AD(テレビ局の場合、社員は局員と呼ばれていて局員ADと呼ばれていた)。契約ADとは月いくらで雇われているADで、一方、社員ADは給料をもらいながら働いている。局員はやっぱり給料が一番良い。だからはっきりやっかみを受けることもあるし、「局員様だからなあ」と、言われることもある。しかし黒川班では完全実力主義だった。どこの会社でどんな待遇を受けていても、笑えるネタを作れるやつがディレクター。当時、黒川班初めての局員が僕だったので、当然なのだが、局員ディレクターはいなかった。局員だからディレクターにしてもらえる保証だど何もなかった。そんな雰囲気があるとチームの規律が緩むからか、黒川もそのあたりにはめちゃくちゃ厳しかった。僕がADとして入った時、「局員様が来たよ」感は正直あったが、それも1ヶ月もすれば吹き飛んでいた。だから5人共、仲良くいつの日かディレクターとして認めてもらう日を夢見てAD業務に勤しんでいた。

 AD業務は大変で仕事はいっぱいあったし、携帯電話もない時代だったので、仕事がなくてもディレクターからの連絡を待ってスタッフルームに常駐していなければならなかった。でもそれは全く苦ではなかった。待遇が違い、たいした給料をもらっていないADでも、番組にさえついていれば、飢え死にすることはなかったからかもしれない。それはロケ弁当がいつもどこからか回ってくるからだ。各番組のAD同士があまった弁当を融通していろんな番組のADに回し合う、スタッフルームにいればそういう情報が、携帯電話もLINEもないのにすぐ来る。だから、毎日結構ちゃんと飯だけは食べることができた。
 で、そのロケ弁当を食べながらADたちはスタッフルームに常駐し、ロケの手配や編集の準備を行う。インターネットで物事を調べることのできない時代だ。ロケの手配は全部電話取材だ。
 しかし、ここで電波少年特有の問題が発生する。普通の番組ならイベント会社や取材先に電話をして「昭和テレビの『追跡』という番組ですが、御社の商品を取材したく窓口の方を紹介してほしいのですが」ってな具合に連絡を取れば、テレビに取り上げてもらえるとばかりに優しく扱ってもらえることが多かったこの時代。にも関わらず、電波少年はそういう訳にはいかない。ネタは全部アポなし!しかもその殆どが取材先に歓迎されるネタではないのだから。もうはっきり言って電波少年のリサーチは泥棒の下調べと一緒だった。

 この時、アポなし企画で『5億円のダイヤモンドツリーでだじょーがしたい』というネタが採用されていた。それは、ご存知天才赤塚不二夫が生み出した『おそ松くん』に出てくるキャラクターのひとりハタ坊の旗に変えて、宝石会社が話題性を狙って作った5億円相当のダイヤモンドでできたツリーを頭に乗せ「だじょー」とやるという企画だ。というのも、先日、やたらおっぱいの隆起は高いのに好感度は低めの綺麗な女優さんが「素敵ですね」という毒にも薬にもならないコメントとともに、隣に並んでいた宝石会社社長におべっか100%で「ほんと、このツリー素敵だから、どんな所に置いてもその場所を一流に見せますね」なーんて営業コメントをしている姿が各局のワイドショーで取り上げられたもんだから、そういう揚げ足取りに長けた作家青森さんが、企画会議で「どんな所に置いても一流に見せるのなら、梅村の頭に乗せれば梅村も一流芸人になれるはず」とネタを提出、その企画が採用された訳だ。電波少年はこういう一言を見逃さない。
 黒川曰く、「イベント会社だってテレビで取り上げてほしいんだろ?こんなの楽勝だよな。歓迎される。歓迎される。どうぞどうぞだよ」

 さてこの場合。電波少年のADは、どんなロケ準備をするかというと、まず知り合いのワイドショースタッフから会見の素材とプレスリリースを取り寄せます。キーコメントである巨乳女優の「ほんと、この宝石ツリー素敵だから、どんな所に置いてもその場所を一流に見せますね」と言っている場面が会見で本当に喋っていたことを確認後、イベントが行われている会場とイベント会社の連絡先を手に入れます。ワイドショースタッフに取材がバレると面倒になると判断した場合は、架空の番組、もしくは企画準備中の番組を語り、イベント会社に連絡を取りリリースを手に入れます。イベントがすでに開催されていれば、それは簡単。ロケハンという名目で、実際にそのイベント会場に向かいます。イベント会場の入り口が外から入れるタイプの博物館的な感じのところなら、その入口にいるスタッフ、警備員の位置をチェック。あとは少し離れたところで車が置ける場所をリサーチ。これはロケ隊がイベントスタッフに見つからずに現場に近づける位置であることが重要です。タレント二人のタイトルコールの声が大きいので、少し離れた場所が求められます。あとはロケ決行。放送できないボツネタが続いている場合は、「はじめまして」の場所で、現場につくなり下見&GOです。

 しかしこのネタはそういうわけに行かなかった。プレスリリースを手に入れた高原が言った。
「やっばい、銀座三越の8階催事場だよ」
 そう、これが大変なのだ。突撃先のイベントが百貨店の催事場で行われている場合、そこまでカメラを持って上がってゆかねばならない。通常、入り口で取材交渉をタレント自ら行うのが電波少年なのだが、銀座三越じゃ玄関にいるのはライオンくらい。誰も止める人がいないので、百貨店の中には入れてしまう。後年、ネタによっては入り口に立って携帯電話で宣伝部に電話をして「取材させてもらえませんか」なんて交渉する展開もあったが、初期電波少年アポなし時代は携帯電話がまだ一般的でなく、ロケバスについている緑の公衆電話がちっちゃくなったような移動車内電話しか無かった。しかもこのネタの場合、のんびり交渉とかやってても、全くおもしろくないわけなので、ロケバス前から「行きましょう」の一言を残して、銀座三越でもカメラを回しながらガンガン入ってしまう。
「中、入れちゃうよ」
 アポなし取材の場合、玄関で止められる方が問題にはなりにくい。こういう一般の人がいる場所で中に入ることが出来てしまうネタが一番トラブルを巻き起こすことが多かった。
 高原のボヤキでスタッフルームは爆笑の渦!なんか不幸とか悲運とかで爆笑してしまうおかしなスイッチが当時の僕たちにはあった。今思うと完全に狂ってたと思う。
 銀座三越にカメラを回しながら入ってゆく狂気のロケの担当でないことをちょっと悔しがりながら、そんな大変なロケの担当じゃなくて良かったとちょっと胸をなでおろしながら、僕は制作局6階の自分のデスクに向かった。


 局員である僕には2つの居場所があった。一つはスタッフルーム、そしてもう一つは会社の6階にあるデスクだ。昭和テレビの局員の僕には、一応自分専用のデスクがあった。AD仲間には本当に申し訳ないけど、優遇されていた。隣りに座っているのは同じ黒川班で『世界征服宣言』のADをしている同期の大福だ。ふだんほとんど顔を見ないけど、この日は珍しくデスクに座っていた。というのも月2回の勤務表提出日だからだ。2週間、どんな所でどんな仕事していたか決められたフォーマットの紙に手書きで記入して上長の判子をもらって業務部に提出するのが、僕たちテレビ局員における唯一サラリーマンらしい仕事だったのだ。
 今月大福はどんな仕事をしていたのかなー、出張とか行ってたのかなーと、書き物をしている大福のデスクを横目でちらっと見る。お互い色んな資料や本が山積みされ、いつ雪崩を起こしてもおかしくない状況だから、ちらっとでは隣の大福が何を書いているか分からない。
 ふと大福の様子を感じて、勤務表書くのに、そんなに考える必要あるか?と小さな疑問が僕の心に湧いた。
 別に嫌な予感も、大したいたずら心もなく
 「何やってるの?」なんて言って、大福の後ろに立った。すると、彼が書いていたのは勤務表じゃなかった。

 彼が書いていたのは、なんと音効さんとの打ち合わせメモだった。

「あれVTRつくってるの?」
「そうなんだよ、松田さんにやってみろって言われていちご組の告知作ったんだよ。音効の黒根沢さんとこれから打ち合わせ」

 こいつディレクターに昇格してやがる!
 詳しくはわからないけど、少なくともディレクター見習いとしてネタ作ってる。俺なんか美術発注とリサーチしかさせてもらえてないのに!
 もうその後は大福のことを見ることはできなかった。
 そそくさと席に座り、山積みの本の壁の中に身を潜めて、手帳からこの2週間の自分の勤務メモを勤務表に書き写して、一刻も早くここを立ち去ってADしかいない電波少年スタッフルームというぬるま湯に戻りたかった。と、そういうときに限ってADと絡むのが大好きな業務部長のチョビ髭が、珍しくフロアに居る僕たちを見つけて
「ふたりとも番組の役に立ってるか?」と、悪気なく聞いてきた。
(大福は役に立ってますよ、僕は全然ですけど)と、心の中で毒を吐く。
「ふたりとも勤務表は今日中に出してくださいね。」と、チョビ髭の後ろから伝票の束を運ぶお澄さんがニッコリ励ましてくれた。
 僕はかなり不機嫌な顔をして、勤務表の業務内容の欄に<AD業務>と書いた。

 勤務表を書き終え、毎週水曜19時から行われる定例会議で、また僕がゾワゾワする事件が起きた。

「じゃミナミ、ロケ行ってみるか?」
ん?ん?ん?なんて言った?今黒川さん。
なんか新ネタ読んだ?
ギャグかました?
僕は自分の耳を疑った。
いや耳は正常に作動していている。
今、黒川さん担当ディレクターを南って言ったのだ。
そこからも結構理解に時間がかかった。
南って誰?
そんなディレクターいたっけかな?

 ソレは間違いなく5秒前までADだった南がディレクターになった瞬間だった。
 南さんが所属している制作会社の小豆プロデューサーが
「ありがとうございます」と答えた。
「初めてのロケだろうから飯合つけてやって」と黒川が言い足した。
電波少年で初めてADがディレクターに昇格した瞬間だった。
 当の本人はキョトンとして、飯合さんに即されてようやくペコリと頭を下げ「がんばります」とだけ言った。

 会議が終わって作家さんとのロケ構成打ち。
 南さんには担当のADなんていない。けどお目付け役が飯合さんになったから自動的に東原がADとして南さんの構成打ちに付き、美術発注のメモを取っている。僕はいつものようにホワイトボードに挙げられた新しいネタをノートに書き写しながら南さんの構成打ちをぼーっと目に映していた。
「これやっぱ忍者のかっこしていったほうが良いですか?」
「いいんじゃない目立つし」
 南さんは少し照れながら、ネタを出した作家の都昆布さんとロケの展開について話している。簡単にネタについてアドバイスした都昆布さんは、いつものようにそっけなく席を立って出ていった。
 飯合さんも席を立った。
 南ディレクターが東原ADにスケジュールの確認をしている。
 他のディレクターと同じように、テレ原の裏に欲しい美術品を書き出している。


んーーーと俺じゃないんだな
俺がディレクターになれたわけじゃないんだよな。
南さんはディレクターなんだよな。


その時の僕を支配するものは嫉妬以外の何物でもなかった。


 かの立川談志は「嫉妬とは己が努力、行動を起こさず対象となる人間の弱みを口であげつらって自分のレベルまで下げる行為のこと」とおっしゃっていた。
 あげつらってなんかいない。努力はしてきた。なのに自分じゃなかった。
 その考えがすでに間違っていた。
 認められない努力なんか努力ではなく、自分の中で自分のことだけを肯定してしまう悪い癖。僕はこの癖のせいでこのあと20年苦しみ続けるのだが、この時はそんなこと気がついちゃいない。

 翌日は、早速南さんのロケ日だった。
 僕はぼーっとスタッフルームにいた。
 窓の外はいい天気。ロケ日和だ。
 今日のあまりロケ弁はハンバーグ定食か。
 今月何回目だっけなあ、とADならではの空気にべったり浸る。
 今週はロケ担当もなかったので、スタッフルームで週末のオフラインの準備。緊急性もクリエイティビティーも全くない。
 スタッフルーム常駐の限りなくAPに近いデスク業務を担当している三橋女子のOAを録画したVHSの整理を手伝いながら無為な一日を過ごしていた。三橋女史はお嬢さん大学出のお嬢さんで、みんなのアイドル。僕らADと違ってクリーニングでしっかり糊のきいた白いブラウスが眩しい事務デスク。女っ気のない電波少年の紅一点だが、デスクということもあり10時出社で夕方6時にはきっちり帰るお方。僕らADとはちょっと人種が違う。
 その日のカロリーが高くお腹が膨れるのが取り柄のあまりロケ弁を一瞥すると
「ランチ行ってきまーす」とお出かけになるタイプ。
 野獣の中に羊がいっぴき状態なのだが、万が一手を出そうものなら横浜さんに激怒されること必至。ま、向こうもADには興味もなく、電波少年にはうってつけのデスクさんだった。
 すると、その日の夕方
「長餅くーん、飯合さんから電話よお」
 本編編集を担当していた飯合さんからスタッフルームに僕あての電話がかかってきた。今日、南さんのロケと飯合さんの本編編集のダブルブッキングになっている東原がツンデイルことは、気づいていたから、何かあったのかなあ、手伝いに行くかくらいのつもりで電話に出ると、受話器の向こうから飯合さんの「おー長餅、おめでとっAP昇格。」と言う声が聞こえた。

AP?ADの聞き間違いか?
 今週から電波少年ではADもクレジットされるようになったのか?じゃ昇格ってなんだよ。

「なんすか、それ?」
またこういう時の飯合さんは、ものすごく楽しそうなかる~い感じで物事を伝える。
「黒川さんがさ、今週のエンドロールに長餅の名前APで、載せてやれってさ。APだって?いやーめでたいめでたい、めでたいねえ」
 APとはアシスタントプロデューサーの略で、番組の予算管理タレントのスケジュール管理見習いと言った感じの仕事だ。もちろんプロデューサーという仕事を馬鹿になんかしていない。小豆さんや横浜さんは素晴らしい人達だ。
 そしてプロデュースは番組に欠かせない仕事だ。しかしそれは僕のやりたい仕事ではなかった。


ディレクターになりたかったのだ。


 気がついたら編集所に向かっていた。
 階段を駆け上がり、編集室に入ったら東原が、いつものテロップ挿入機の前に座り、飯合さんはソファから本編編集の指示を出していた。相変わらずソフトリーゼントが決まっている。
「あれ来たの?」
僕は「おじゃましまーす」と言って東原の横に座って、速攻テロップ素材をチェックした。
 本当のことを言うとすぐエンドロールのチェックをした。しばらく家に帰っていないであろう東原の汗の匂いがツーンとした。
 電波少年のエンドロールは2行横流しが定形。作家さんの名前で始まり、続いて技術チームの名前・編集担当・音効・MA担当と続いてディレクターの名前が並んでいる。先週と違って一人ディレクターが増えていた。ソレはまあ良い、もう仕方ない。4人から5人になると最後の一人は上の段に入って下が空白になるから、新しいディレクターが余計目立つような気がしてしゃくだった。で、いつもなら次がプロデューサーの二人の名前のはずなのだが
一つ項目が増えていた。
「AP 長餅透」
 黒川さんの中で、この週からの新体制として南ディレクター昇格、長餅アシスタントプロデューサー昇格?という構想があったのだ。もちろんそれは黒川さんの専権事項だし、誰に相談する必要もないし、黒川さんが決めたといえば決まりだった。僕に報告連絡相談する必要なんて百万分の一ミリもない。

「飯合さん、これ切っていいっすか?」
「あはははっ」飯合さんは笑った。
 僕はAD編集七つ道具の袋からハサミを取り出してディレクターとプロデューサーの間にある<AP 長餅透>の部分を切って、それがなかったようにつなぎ直した。当時エンドロールは黒字に白文字が書かれただけの紙のロールだったのだ。
 ディレクター仕事はできないけど、ロールを切ったり貼ったりするのはお手の物、まるで元からそこに<AP 長餅透>なんて欄はなかったかのように綺麗につなぎ直された。
 AD東原は飯合さんの顔とエンドロールを見比べてアワアワしていた。

 飯合さんは、いつものように編集の最後に「じゃエンドロールいれちゃう?」と言って帰り支度を始めた。
 エンドトークの「〇〇さんにコレをしてほしーーい」のスタジオ部分にエンドロールが編集で差し込まれ録画が始まった。
 ディレクターとプロデューサーの間に僕の名前は入らなかった。
 もしかすると電波少年史上初めて黒川さんの意向と違う作品が完パケた瞬間だったかもしれない。

 総合演出という立場の人は最終オフラインチェック終わったら、普通完パケをチェックすることはない。
 プロデューサーは完パケでお世話になった人の名前に間違いはないか、事実関係に間違えがないかチェックをするのだが、多分黒川さんはサブ出し編集時に、編集所でOAを普通の視聴者のように見るだけだ。だから黒川さんはエンドロールが勝手に変えられていることに気づかない。しかし小豆横浜の両プロデューサーは当然気づく。僕のAP話は飯合さんだけに伝えられた話のはずはない。いやこの番組だとありえる。いやないか、ここまで重要案件だと。あまりの出過ぎたマネに僕はドキドキしていた。


 その週のサブ出し編集もいつものように日曜日に行われた。
 黒川さんはこれまたいつものように真っ黒の革ジャンを着て、ハーレー・ソフテイルブラックなんとかで編集所に現れ、ソファーの背もたれに片足をかけ仮眠を取り、10時半になると編集所のモニターを「OAにして」と言ってADに変えさせ、自分の指示したとおりのOAを改めてチェックするように見ていた。
 今日に限って僕は、OA中の編集担当ADになっていた。
 3つのネタが終わってゲストの〇〇さんにコレをやってほしいのコーナーが始まって、エンドロールが流れ始めた。
 ディレクターの名前が流れた。南さんがディレクターとして初めてクレジットされた。マニアのような視聴者は、今週からディレクターが一人増えたことに気づくのだろうか?少なくとも今ここにいない南さんは初めてクレジットされた自分の名前を見て、ディレクターになったことを改めて実感しているだろう。あとから聞いたのだが、南さんは自分の名前が初めて電波少年でクレジットされたその瞬間、行きつけの安い安いスナックで祝杯を上げながら見ていたらしい。その気持ちは十分わかる。
 そして、続いて出てくるはずのAP長餅透のクレジットは出ず、プロデューサーの二人の名前が流れた。その後、演出プロデューサー黒川仁男の名前が流れ、製作著作昭和テレビのクレジットが流れ、番組が終わった。
 すると黒川さんは「やっぱ電波少年が一番面白いな」と言って、またソファーの背もたれに片足をかけて寝てしまった。
  

 この件に関して、誰が何をして、どんな確認がされたのかを僕は知らない。ただ演出であり番組プロデューサーである黒川仁男の意向とは違う部分があったにもかかわらず、OAは滞りなく行われたのである。もちろん横浜さんや小豆さんは気づていたに違いない。でも僕に何かを言うわけではなかった。
 僕は今でも初めて電波少年にクレジットされるはずだった自分の名前が乗ったエンドロールをノートに貼って大切に保管している。こんなワガママを許してくれたすべてのスタッフに今も感謝している。そして、今でもこの事について黒川さんと話した事はない。


 

 

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