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与えられた恵みに従う

下書き保存のままで書けなかった記事を書き終え、ようやく整理された状態で、「いまここ」を、思いついたまま書いていこうと思います。

久しぶりの書き物は、愛読書になりつつある聖書から。


"一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、
大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。
私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。
奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい。
勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は喜んでそれをしなさい。"
ローマ人への手紙 12章4~8節

僕ら人間の身体は、目や鼻など顔についている器官や、心臓や肺などの内臓器。

さらに腸や肝臓といった消化器官。

さらにさらに手や足、そこにつく指も左右に5本。

血管に皮膚、毛髪などまで、身体を構成している器官はさまざまで、それぞれの役割があります。


僕ら人間の役割も、これら器官と全く同じ。

それぞれに異なる活躍の場が、必ずあるってことです。


ここでの「与えられた恵み」というのは才能のこと。

賜物として必ず持っている才能を活かしなさい、と聖書に書かれているんです。

誰かに憧れて、それになりたいと願う人は多いです。

子供達のなりたい職業の上位にユーチューバーが来るのも、そのような傾向が強いのでしょう。


僕らはなりたいものになれる!

というのは、どうやら出鱈目だなと気づいたのは、ここ最近のこと。

思った通りの人生も部分的に合っているかもしれないけど、元々人生は思い通りにはならないという前提があってもいいのでは無いかと。

諦めとか投げやりではなくて、そもそもが生きづらい世の中だ、と何かや誰かに期待しなくて済むし、自然体で受け止められますよね。


そして、豊かな人生は、賜物を存分に使い切ること。

僕はこの聖書の一文から見る限りでは、勧めるが得意ではあるので、この賜物で成すべきことを成したいなと。

今の率直な考え方ですね。


あ、そうそう。

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自分が言いたいことではなくて、社会から求められていることを素直に書いたので、エゴがだいぶ収まってスッキリしています。

主語が世界になれば、僕は要らないんです。

叶えてください!と願うのは、僕程度が考える小欲ではなくて、ここから数百年先の人達が望む大欲ですから。

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次回、この写真のことを書こうと思います。


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