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『嫌われる勇気』を読んだ。

こんばんは、長嶺涼花です😌
今日ようやく『嫌われる勇気』という本を読み終えましたので、読書感想文を書いていこうと思います。
まず『嫌われる勇気』の説明から初めて行きたいと思います。

著者:岸見一郎 古賀史健
2013年に第1刷発行
哲人と青年のふたりが、アドラー心理学について議論を交わしていくという内容。
(説明が単調になってしまってすみません🥹)

アドラー心理学を全く知らず、冒頭では「論破する」と哲人に言い放った青年。
そんな青年が哲人と議論を交わすうちに、段々とアドラー心理学を理解し受け入れていく様子が読んでいる私とリンクして、とても読みやすく読了後には青年と同じようなセリフを口にしてしまいます…💭
さて、その経験については実際に読んでしてもらいたいところなので、ここからは私が特に印象に残ったセリフとともに日常生活で感じた変化をお伝えしていきたいと思います✊

最後までお付き合いくださいますと幸いです🌸
それでは、本編どうぞ!


他人を変えることは出来ない。

ド直球なタイトルになりましたが、私がこの本の中で最も影響を受けた内容です。
こうやってシンプル一文にすると、元から分かっていると思ってしまいそう……。
でも、私の場合は分かっていなかった。
それを理解したのは、哲人がことわざを用いて例え話をするこのセリフからでした💭

「馬を水辺に連れていくことはできるが、
  水を呑ませることはできない」
  〔中略〕
本人の意向を無視して「変わること」を強要したところで、あとで強烈な反動がやってくるだけです。

著者岸見一郎 古賀史健「嫌われる勇気」より引用

頭の中で一度思い浮かべて見てください。
「あー沢山歩いたし、連れてる馬に水呑ませとこ。……ほい、呑んで喉乾いてるでしょ?」
私はこの時、馬の立場でこう言われたらどう思うかを考えたのです🤔
そうするとすぐに答えが浮かびました。
それは「何言ってるかぜんっぜん分かんね」です🙂
そもそも馬と人間は共通の言葉で会話することはできません。
馬が仮に「疲れたよー」と鳴き声で訴えかけていたとしても人間は言葉で理解することは出来ないですよね。
解釈の仕方が極端な気もしますが😅哲人のセリフを読んで私の中に浮かんだのはこの答えでした。

この答えとともに生活してみると、今まで経験してきた日常のイライラ達が姿を変えていったのです。
例えば友人たちとの恒例行事、
「何食べいく?」「んー、何でもいいよ」
この会話。
前まではなんて優柔不断なんだ私達……と、その時間が長く少しだけ憂鬱に感じてしまっていたのですが、あの答えを思い浮かべて発言してみると私側の言葉に変化が起きました😳
「私お寿司食べたいんだけどどう?」
これです。なんと行きたい場所を提示するようになったのです。

「え?それ長嶺の意思でお寿司屋さん連れて行こうとしてるだけじゃん?」

って思った人居るでしょうか!!
居るかどうか分からないけど、その通りでございます!!!🫡
馬を水辺に連れていって水を呑むかどうかは、馬の気分次第ですし……言葉が理解出来ない以上、表情や仕草から何となく理解するしかありません。

でも人間同士だと何と会話可能です。

素晴らしいことだと思いませんか?
もしお寿司屋さんが嫌なら断る事も出来る。
更には別の行きたいところがあれば、提案することも出来る。
ましてお寿司屋さんに行って、寿司を食べずにうどんで満腹になってもOK👌

無意識にきっと出来ていた時もあるだろうし、関わってきた全ての他人もそうしてた人は沢山いると思います。
私は、この本のこのセリフに出会った瞬間に、自分のしたいことを自分で選択できる素晴らしさを実感しました🥺

相手が何を選択するかをこちらが思い通りに動かせないように、自分自身の選択権は他の誰でもない私自身が握っている。
この本に出会ってまず読むまでに約1年、そしてこの文に出会うまでに約半年、更に読んでから3年かけてようやく私なりに日常生活に落とし込むことが出来ました。
そんなたくさんの時間を掛けて、頭の中で哲人に反発しながらも実際に身の回りで起きることに当て嵌めて、思考を繰り返すことを選択出来てとても良かったです🤭

それでは、次に参りましょう!!!

いつだって見つめるべきは、
自分自身。

そもそも劣等感とは、
縦の関係の中から生じてくる意識です。

あらゆる人に対して「同じではないけれど対等」
という横の関係を築くことができれば、
劣等コンプレックスが生まれる余地はなくなります。

著者岸見一郎 古賀史健「嫌われる勇気」より引用

劣等感。
誰しもが心の中で抱く、どろどろと胸を締め付けるような感覚。
……だと私も思ってました😙
いや、正直劣等感に関しては今も完全にないとは言いきれません。

このセリフが出てくる議論の中では、対人関係は横の関係で捉えるべきだと哲人が青年に説明しています。
これに関しても私は頭の中に映像化された具体例を出さないと解釈出来ません!
困り果てた私の頭に降ってきたのは、昔よく歌ったあの歌たちでした。
それは「WAになっておどろう」と「幸せなら手を叩こう」の2曲。
どちらも歌詞の中でしていることは、全員共通の動きなのです。
(皆様もぜひ歌詞を頭に思い浮かべてみてください~😌💭)

こうして具体例を思い浮かべた私の理解は一気にスピードをあげます!!!
「なるほどな、確かに男女とか年齢とか……海を飛び越え何処に住んでる人だって、同じ動きが出来るじゃん」
今回のセリフを読んで辿り着いた私の答えはこれでした。

「いやいや待て待て長嶺さん?同じ動きをするって伝えて〝あげないと〟駄目でしょう?」

これは過去の私が言いそうなセリフです😒
というのも何を隠そうワタクシ、なんと語彙力が高いのです!!!(👀)
……嫌なやつだと思われそうで心配ですが、ここは自信満々に続けたいと思います。
昔から自分自身も得意だと感じ、周りからも褒められてきたことそれは、
「人に教えるのが上手」なところ。
お勉強でも、学生時代に部活動で学んだ卓球でも、今のお仕事や前のお仕事でも、私はいわゆる教育係でした。
そして今よりも前はずっと、
「教えてあげている」そう思っていました。
今考えてみると何て上から目線なんだ私!😤
と、少しだけ恥ずかしく思いますが……。
大事なのはそこでは無い。

「教えてあげている」という考え方の裏に潜んでいるのは、「それ以外では私はこの人たちに何も勝てない」という劣等感の塊だったのです。
顔、自信無い。
ファッションセンス、独特。
運動、皆無。
継続力、ZERO。
そんな私にとって、唯一誇れるポイントが語彙力だったのです😂

上から目線の根源である劣等感、その形が変わったのが横の関係を意識するようになってからでした。
更に理解を手助けしたのが、今の職場の働いている人の層の厚さです。
長嶺が年齢公開してないので、具体的な数字は記載出来なく想像しづらいかもしれませんが…働き始める年齢から定年間近まで居る!
そんな感じです🧐
同じ作業をする人の中にはママさんも居れば、趣味に突っ走る年下も居れば、体力のある人無い人……黙々と作業したい人、ワイワイ会話しながら作業したい人 etc
言い出したらキリがないぐらい様々な人と一緒に働いています。

正直にお伝えしますね?
長嶺働き始めの頃はまだ「教えてあげる」の意識で、同じ職場の人達と関わっていました🙃
でもそれで関わっているとほんっとうに疲れるんです😖
「なんでこの人の為にこんなに考えないといけないんだ」
「なんで私が時間を割かないといけないんだ」
「ここまで丁寧に教えてなんで分からないんだ」
こんな感じのどろっどろに塗れた感情で、職場に居ると正直全員敵に見えます😢

それがどう変わっていったかと申しますと、まずはまた疑問を産みかねない答えをひとつ。
「教えるの疲れるし教えるのやーめた」です。

「長嶺さん?もはや疑問でも無いよ?一体これのどこが上から目線を卒業したと言えるんだい???」

少々お待ちください🙇‍♂️
もう少し読んで頂くと、私の頭の中が見えてくるんじゃないかなと思います😌

会社で私がやりがちだった行為第1位、
トラブル起きてそうなところに顔を出すです。
それはなぜか、劣等感という言葉を浮かべながら考えると答えはスっと出てきます💭
「トラブル解決した私カッコイイでしょ?」
これなのです。私の中に巣食っていた劣等感はこんな形に成長してしまった😱
私が知らない幸せを沢山知ってそうで、経験値の差なのか不安定な私と違っていつでも落ち着いた様子の大人の皆様に私は劣等感を抱いていました😞
その劣等感を誤魔化す為に、自分の得意なことを押し付けようと……自分のキャパオーバーにも気づかないまま走り回っていたのです。

そして体調とメンタルを崩し、仕事を休みがちになる。
なんという悪循環。

そこに降ってきたのが上記の哲人のセリフ。
まず考えたのか「同じではないけれど対等」というところについて。
そして浮かんできたあの曲の光景たち。
息切れを起こした私は、もはや劣等感など抱いている場合ではなかった。
だからこそその時、素直に「なぁんだ誰でも同じこと出来んじゃん」と思えたのです😮

私が教えたから?いいえ👋習うことは必要だったのかもしれないけど、結局はその人の覚える意思があるかないかで決まります。
輪になって踊るのも、幸せだから手を叩くのも教えた人がいるから出来たこと……それだけじゃありません。
そこに居る人が「楽しい」「幸せ」を共有出来るツールがあったからこそ、出来たことです。
そう考えてみると本当に凄いのは、世の中にある全ての便利なものや共通のボディランゲージなどを最初に思いついた人なのかもしれないですね?🤔

それはさておき、こうして私の中で肥大化しかけていた劣等感は成長を辞め、余裕が無い時にひょこっと顔を出す小悪魔ぐらいになりました✨️

以上、2点が私の中で特に印象に残ったセリフの感想と私なりの解釈のご紹介でした。
最後に、これらを受けて今私が伝えたいと思うことを書いて終わろうと思います。

好きなことをしよう。

これまたシンプルなタイトルになってしまいましたね💭
『嫌われる勇気』を手に取ってから約4年半。
ゆっくりと自分のペースで読んだことにより、なんと感想文が4000字を超えております😳
(げ、原稿用紙10枚分だと……!?)
感想全て伝えきれましたか?と聞かれたら、
「いやまだふたつしか言えてねぇ~」というのが素直な回答になります。
なので皆さま、ぜひ『嫌われる勇気』読んで見てほしい……!!!

この感想文を読むと、
「長嶺さんにとってアドラー心理学ってよっぽどしっくり来たんだね」
と思われそうですが、意外とそうでもありません🧐
「分かってるよ、分かってるけどそうじゃない方を選びたい時だってあるやん?」
と思うことの方がむしろ多かったので。

ただ明確に言えることは、
生きることのハードルは下がりました。

私の中で思い浮かべた言葉を言ってもらうためだけに親と喧嘩していた日、褒めてもらったことを何度も繰り返してそれを長所だと思い込もうとしていた日。
そんな日を過ごした私の心はずっとすり減っていたのです。
でも、それ全部しなくて良くなった。

思い浮かべたそのままが帰ってくることは無いし、例え褒めてもらったとしても自分自身が疲れることならしなくていい。
そう考えられるようになってからは、不思議と一日の時間がぽっかりと空いたように感じたのです😌
心に余裕が生まれたんですかね?
どちらにしても自分のために自分の好きなことをする時間が出来たので嬉しい限りです🥰
(まぁ好きなこと思ったより多くて今度は時間足りなくなってきたんですけどネッ😉)

アドラー心理学、正直読み始めは横っ面を思いっきり殴られます👊
それぐらい私は衝撃を受けましたし、読んでいる間中ずっと哲人と頭の中でバトルを繰り返していました⚔️
でも……読んでよかった!!!!!
青年とともに成長していく自分自身は、なんとも心地が良かったです。

続きとして既に出版されている、
『幸せになる勇気』についてもまた読もうと思っています。
今度は何年かかるか分かりませんが、読み終えた際にはこうやって感想文を投稿出来たらいいなと思います🫶

長い文になってしまいましたが、最後まで読んでくださった方ありがとうございます🌸
では皆様、良い夢を。
おやすみなさい🌙

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