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東京という街

私は、西方面から東京駅に滑り込む時の、あの瞬間に新幹線から見える景色が好きだ。速度をゆっくりと落としながら、そびえ立つ高層ビルの合間を縫って進んでいく。建造物高さ規制のある京都で育ったからであろう、見上げるような高いビルは「知らない都会に来た」感をいっそう強く印象付け、そのダイナミックさにいつも心を躍らされる。夜はより一段と素敵だ。高層ビルの明かりがまだ煌煌と灯っていて、キラキラと街を彩る様に心を奪われ、何故か何かが始まる予感にワクワクする。映画「プラダを着た悪魔」で主人公のアンディがパリのキラキラした夜景を車の中から眺める姿に自分を重ねながら、新幹線の小さな窓からキラキラした東京を眺める。

東京は不思議な街だ。住んでいる場所はだんだんと自分の一部になっていくが、東京は強靭な鋼の鎧をまとったような気持ちになれる。私は何でも持っていて、なんだってできて、今の私は最強で最高だ、過去の自分とはおさらばしたのだ、そんな心地がする。全国区のテレビ番組で紹介されたお店、ドラマの舞台となった場所、日本初上陸のスイーツやらなんやら。日本の政治経済の中心地に自分もいるので、自分を中心に世界が回っているような感覚にさえなる。
しかし一方で、ふたを開けると何もないような感覚にも襲われる。自分は実は東京のことを何も知らなくて、東京で得たものはほんのわずかで、東京の一部にさえなれていない。手に入れたと思ったらこれじゃなかった、もっと違うものが欲しかったのでは?別の楽しくていいものがあるのでは?もっともっと、という空虚感。今私が食べている有名なベルギーワッフルはつい5分前まで食べたいものだったのに、手に入れた瞬間に満足してしまって、次は隣の人が食べている柿の葉寿司が欲しくなっている。そんな、求めても求めても本質にたどり着けない、回し車を永遠に回しているハムスターのようなもどかしさ。それを突き付けてくる街でもある。

最近はようやく、自分自身が選ぶ立場にありたいと心の底から思えるようになった。東京という鎧をまとって、強くなった気になってはいけない。それは本当の強さや魅力ではない。自分自身が力強く魅力的になって、東京や大阪、京都、横浜、広島、福岡など、自分が住む街を選択できるような、そんな人間になりたいと。日本でなくても、上海やクアラルンプール、パリ、ミラノなど、海外でも。

酔っぱらいのざれごとでした。

それでも東京は、魅力的で楽しくて誘惑の多い、素敵な街だと思うよ。

でも愛しても、何もない。椎名林檎は本当に的確に表現したものだ。

ながいけまつこ

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