見出し画像

晴れの日も雨の日も#156 氷点。そして神様のこと

クリスチャン作家三浦綾子の代表作「氷点」。
「続氷点」もあわせて各上下計4巻のベストセラー小説だ。note街の皆さんは読書好きの方が多いようにお見受けしており、ご存じの方も少なくないかと思う。

私も最初に読んだのは二十歳前後の紅顔の美少年(?)の頃だ。ストーリーをここで長々と書くことは避けたいが、美しく明るい健気な少女陽子を主人公として、人の心に巣食う猜疑心、嫉妬心、誘惑に惹かれそうになる弱さ、などが描かれる。

陽子には出自に秘密がある。その秘密に両親や兄などいろんな人が関わり、陽子の成長とともにドラマが進んでいく。
陽子は、どんなことがあっても正しく明るくありたいと頑張り続ける。が、出生時の秘密が自分の思っていた以上のものであることを母親から面罵され、ついに心が冷え切ってしまう。
これが「氷点」というタイトルの由縁だ。

この「心が氷点に達する思い」、私も最近感じることがあり、約40年ぶりに読み直したいと思った。

もちろん詳しいストーリーなど覚えていない。読み進めていくうちに、「ああ、そうやった」と思い出す感じだ。
が、40年ぶりに読んでみて、昔とは随分読み方が変わったような気がした。

特に後半では「赦す」とか「原罪」といった大きなテーマにつながっていくのだが、当時の記憶では、このあたりの印象があまりない。ガキンチョに毛の生えたようなものだった当時の私は、明るく元気に正しく生きようとする陽子の姿勢しか目に入っていなかったのだろう。「そうか、無敵完璧に見えた陽子でも心が氷点を迎えることがあるんや」程度の読み方だったのだと思う。


この本では「原罪」について
「あなたたちの中で罪を犯したことのない人がまず、この女に石を投げなさい」
というキリストの言葉を引用する。
そして陽子は、正しいと思ってきた自分も実は原罪を背負っていることに気づくことになる。それが赦せなかった生母に対する思いを変化させる。


私も正しくありたいとずっと思ってきた。正しく明るく元気に、ということにはこだわりもあった。特にサラリーマン現役の時は、まあそこそこ正しく生きてるやろ、という自信も多少あった。もちろん間違いや過ちが0という訳ではないが、「0のやつはおらんで。オレは人と比べても遜色ないやろ」ぐらいのつもりだった。で、正直に白状すると、正しい方に立ってるという認識から、間違ってるやつを導いてやるんだみたいなことを考えたりもしていた。恥。

それが、還暦を迎え、組織をスピンアウトし、コーチングの勉強を始め、noteを書いたり読んだりしはじめてから、少し変化が生じてきている。
「オレは正しい」なんて言ってるやつが一番アヤシイと思い始めた。
そんな今の私に、自分が正しいと思っていることを拠り所に人を裁いてよいのか、というこのテーマは極めて自然に染み込んできた。

自分も罪深い人である。
自分は正しくもエラくもない。
大いなる意思のもとに生かされているにすぎない。
人を裁けるのは神様だけ。

この本のこうしたテーマに激しく同意する。
結果的に、もともと思っていた「心が氷点に達する思い」なんて、もうどうでも良くなっていた。

私が「神様」というのは、信仰心というより「大いなる意思」「大宇宙」「天」というイメージのほうが強い。が、この種話はなかなかデリケートで、note界は別として、リアルの世界ではこういう話ができる相手に恵まれていない。

今年一番の最強運勢日である3月21日に大阪交野市の星田妙見宮に参拝し霊符を入手してきた。それを家で飾ろうとすると家人の奇異なものを見る目にぶつかった。
ま、ムリもない。
ほんの1年か2年前までは神様の「か」の字も口にしなかったヤツなのだから。

しかし、こういう機微で大事なことを話あえる人が身近にいないのは、正直ザンネン✕サビシイ✕物足りなさが否めない。誰かそのへんにいい人がいないものか。。。


今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之

追 毎朝参拝する松尾神社のウグイスが鳴き始めた。今年はちょっと遅いが、梅→桜→ウグイス→バラ→ツバメ→あじさいというステキなサイクルが巡りつつある。

今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之

コーチングのご相談などご連絡等はこちらに→nagaib61s83@gmail.com
(グチ、やり場のない思いやイライラ、悩みなどもどうぞお気軽にメール
 下さい。しっかり受け止めます。皆様の「心のゴミ箱」としてご利用
 頂き、「心のオアシス」を感じて頂ければ誠に幸甚です。)

<予告>
#157 プロポーズ大作戦
#158 脱パン✕コーチング✕心のゴミ箱
#159 おカネのはなし

(つづく)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?