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晴れの日も雨の日も#190 信頼

先日、Ladybugさんと「信頼」について少し意見交換をさせて頂いた。

このテーマは私の永年重大課題のひとつだ。度々noteにも書いてきたような気もするが、いささか書きっ放し感・散逸感が否めない。ちょうどいい機会なので、このテーマについてきちんとまとまった記事を書こうと思い立った。

信頼とよく似た言葉に「信用」がある。「信じて用いる」だけでも容易ではないのだが、信頼の「頼」は「あてにしている」ということであり、信用より一層の重みがある気がする。
いずれにしても、信の初端となる評価・判断は、これまでの言動や実績に基づくのが普通だ。そうすると、「信用」は過去のことに対する評価であり、「信頼」はそれを踏まえた未来への期待ということも出来そうだ。

実際の日常・現場で、自分は誰のどんなところをどういう風に見て信頼するのか。まさに重大事だと思う。

巧言令色鮮し仁という言葉もある。薄っぺらな言葉をそのまま信じるのはいかにも危なっかしい。言葉よりは行動の方が確からしい気もするが、言動がその人そのものとズレていることはないのか。やはり、未来への期待を託すのなら、少しでもその人の本質とか「底」を見たり触れたりしたい。
となると、相手の言動を目や耳で捉えるだけではなく、自分の全てを使って、wholeとしての相手を捉えるようなことが望まれる。
そのためには自分自身が開いていることが一丁目一番地だ。
小難しいことを言うようだが、「信用」を超えた本当の「信頼」を求めるのなら、そのぐらい腹を据えて臨むのが本来なのではないか。

稲盛語録では「動機善なりや、私心なかりしか」という。邪心や私心で心を曇らせず、すっと自然体で相手と向き合う。相手の底を見ようと思ったら、まず自分から開く。
そこまでやれれば、万一メガネ違いで残念な結果になったとしても、自己責任と割り切れる。「裏切られた」なんて騒いでるケースの多くは、そうした自分磨きや努力をせずに安易に信じた結果、つまりは自業自得のような気もする。

人を信頼するかどうか、というのは、その人そのものがどうかということよりも、実は自分の中の問題だ。
視点やその角度。さらには評価尺度。全部自分次第だ。
おまけに見方には必ず主観が入る。のみならず、知らぬ間に色眼鏡をかけていることだってありうる。

そして物事には常に表裏二面がある。
明るくおもしろい人も、別の人が見れば単に騒々しい人と映るかもしれない。いつも穏やかで安定している人は一般的には信頼されやすいと思うが、実は、修羅場に弱くいざという時にはあてにならないかもしれない。

そうした訓練や精進については、その練度や到達度もまちまちだ。今の自分のレベルをよく知っておくこともたぶん必要で、全然目が養えてないのに全幅の信頼をおく、なんて荒業をすると大ケガの危険もある。ビビってばっかりではつまらん、もっと人を信頼してしっかりつながりたいというなら、そういう努力をしなければならないだろう。さらには自分は相手を信頼していないのに、自分のことは信頼してほしいなんていうのも虫が良すぎると思う。

また、自分の問題という視点で掘り下げれば、「自立」ということにも思い至る。信頼するということは「寄りかかる」ことではない。自分自身がしっかり自立して、相手と適切な関係性を築くこと。信頼関係とはそういうことだ。関係性には、ビジネス、夫婦や親子・家族、趣味の仲間などいろんな形があるが、「パートナーシップ」と見れば、基本は同じだろう。そして「パートナーシップ」という言葉からは「共有」ということも思い浮かぶ。好きか嫌いか、とか、価値観が近いかどうか、ということが関係性が始まる最初の一歩になることが多いが、信頼まで行くにはそれだけでは不十分だ。最終的に、相手と何を共にしていくのか、ということが不可分なのだろうと思う。

私自身は、人を信頼したいし人からも信頼されたいと強く思う。脱パン(#75)誠意(#52)相手との距離感(#65)を三種の神器として磨いていきたい。

来訪した娘#4のリクエストにより、昨晩は唐揚げとマカロニサラダのオヤジメシ♬

今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之

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<予定(但し、臨時差し替え頻発😂)>
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(つづく)

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