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「晴れの日も雨の日も」 #145 見えないものを見る

見えないものは見えるわけないやろ!アホか!
とおっしゃるなかれ。
目に見えないもの、そこにこそ実は大事なものがあるとしたら、ということを書きたい。


名著 サン・テグジュペリ「星の王子さま」。
「本当に大事なものは目に見えない」という。
竹内まりやも歌っている。

本当に大事なものは 隠れて見えない
ささやかすぎる日々の中に
かけがえない喜びがある

竹内まりや 「いのちの歌」

そういう「見えないもの」を大事にしたい。

見えないものにもいろいろあるだろう。
形のないもの。心のなかにあるもの。形而上的なもの。信じるしか無いもの。

でも、それってひょっとしたら自分の見方やあり方が見えなくさせているだけではないのか?
たとえば色眼鏡をかけてるからとか。
本当に真剣に見ようとはしていないとか。
そもそもその大事さがわかってないとか。
その存在を信じてないとか。

そう考えてくると、ぼーっと普通に見てるから気が付かないだけで、注意深く繊細な気持ちで見ようとすれば見えるものもあるんじゃないのという気がしてくる。


最近私は、心を開いて生きていると今まで気が付かなかったことが見えてくる、ということをしばしば経験している。
人の捉え方についても、稀有で貴重な経験がある。

ある人の「人となり」について、ふとした瞬間にその裏側とかより本質的なものが見えた気がした。それは、その「人となり」の成り立ちの根本を構成しているもののような気がした。

あるいは私の見方が得手勝手なものなのかもしれないし、的外れかもしれない。
が、見えた時に、「おっ?」「なんか、そういうこと?」という感じでこちらの心が動いた。
すると、視線が交わった時に相手にもそれが伝わり、相手との関係性が変わった。

ような気がする。

たぶん相手には私が深い理解者だと映ったのではないかと思っている。
「気がする」とか「思う」という頼りない話ではある。

もちろん見えないことの方が圧倒的に多い。見えたことがホントにそうなのかどうかもわからない。

だけど、見えないものがたとえば相手の心のなかにあるものだとしたら、それはこちらが心を開くことで見えることがあるのだと思う。逆にこちらの心が開いていなければそういうものは絶対見えない。
もともとオープンスタイルは私の必殺技だが、今はそこにコーチングで学んだ「傾聴」が加わっている。それが、いろいろ思いもかけなかったご縁をつないだりドアが開いたりすることになっている気がする。

考えてみれば当たり前かもしれない。人の心のなかにあって見えないものは、その心のドアを開いてもらわなければ見えっこない。そして相手のそのドアは、まずこちらの心のドアを開けなければ永遠に開かない。いや、それだけではまだ不十分で、相手のことを丸ごと受け止める姿勢になって初めてそのドアは開かれるのだろう。

ご存知どこでもドア。どこでも行けるが、人の心の中にも行けるかな??

二つの目では見えないものだからこそ、自分自身の心のあり方が大事なのだとあらためて思う。形や色がなく手に触って確かめることもできないもの。だからこそそれを感じ取るには自分の心のあり方・動きが重要になる。
たとえば幸せ。たとえば愛。満足。価値。神様。
金やモノは見えるがそれより大事な見えないものもあるのではないか。
そして、見えないものこそ信じることに値打ちがあるのだと思う。


一方で、見なくて良いこと、知らないほうがいいことも世の中にはたくさんあるような気もする。見えたゾ!なんて喜んでいるうちに、わざわざ難しい方向・変な方向を選んで進んでいるのでなければいいが。

ネットで見つけた。本文とは関係ありません。

今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之

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<予告>
#146 筋肉痛。からの
#147 おでん屋にて#4 待つ
#148 おでん屋にて#5 全体と部分

(つづく)


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