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「晴れの日も雨の日も」 #107 放下著

「ほうげじゃく」と読む。
投げ捨てる、放り出す、捨てきるということを意味する禅の言葉だ。

小難しいタイトルの記事だが、一番最初のきっかけは単なるよくある失敗だ。それを反省している内に、昔気付いた学びを活かせていない自分に直面した。まいったなあというところに、旧知の知人との再会があり、さらに考えを深める学びを頂いた。

この3つはバラバラのようで、なんか通底してるゾ?と考えているうちに、この言葉が浮かんできた。今回の記事は、そういうことで、タイトルも含めて紆余曲折を経ており、何回もの書き直しの結果、ここに至った。


最初の大失敗は、私の独りよがりで節度のない振る舞いが招いた。人さまにご迷惑と不快な思いをおかけし、誠に申し訳ないこととなった。

詳しい経緯は省くが、「オレが」盛り上げてやろうみたいなことが原因だ。こういう時は、相手のことも周りのことも見えなくなっていることが多い。見えなくなっているから相手との距離感も間違える。いわば、心の中が「オレが」でいっぱいになってしまっているのだ。

恥ずかしながらこういう失敗は初めてではない。
関西人だからか?オモロイこと言うたろ、みたいな意識が自分の中にこびりついている。オレってオモロイで?という変な自信みたいなものがさらに悪さをしている。ヒドかった昔は、とにかく喋ったもんがち、みたいに考えていた。


それが少し変わって、「聞く」ことの大切さに目覚めたのがインドネシアで500人の拠点長を務めた時だ。
拠点長なんて実は自分でできること・やっていることは殆ど無いに近い。実際に仕事をしているのは駐在員とこの500人だ。彼彼女らのおかげで、私は拠点長の看板を張れた。

だから、「オレが」より、相手や周りに気持ちよく働いてもらうこと。
そのためによく聞くこと。
相手が主役で「オレ」は一歩引くぐらいでちょうどいいこと。
そんなことに気がついた。

私はこの時、「感謝 謙虚 深懐」という言葉を今後の指針にしていこうと決めた。最後の「深懐」は私の勝手な造語だが、懐を深く、心をゆったりと安定させて、キーとならない、ということを目指した。いつも穏やかな心でいようという趣旨だ。「感謝」は、神様への感謝という一段上のことを今は考え始めている。「謙虚」はまさに「オレが」の反対だ。
が、最近の私はこの決心を忘れていたようだ。

オレもあかんなあ、と少々へこんでいるところに、今度はお手本を見せて頂く機会を得た。
久しぶりに会った知人だ。
場面や相手に応じた適切で心のこもった対応をされる。昔からそうだ。
すごいなあと思って見ていると、どうやらその人は「こんな自分でも今日も無事に過ごせた」ということを感謝されていることに気付いた。
それは自分を虚しくして生きておられるということであり、私のような「オレが」人間とは全く対照的だ。

自分が空っぽだから、その場その状況にすっと心が向かい、考える前にその人のwholeが反応している。余計な「我」がないから、場面と自分が一体化し、自然に無理なく、その場にあった心からの対応がとれる。いわば、どうすればいいのかが考えるまでもなく心にすっと映る感じだ。

このタイミングでお手本を見せていただいたのも、神様のお導きだ。
「オレが」という意地やメンツ、無用なプライドを捨てる。そして、感謝謙虚深懐の姿勢で生きる。もう一度そこを目指してやり直しだ。

燃えるような朝焼け。スバラシイ一日になりそうな予感を感じさせる。

追 久しく会わない友人の夢を見た。こんなことは初めてだ。吉兆なのか凶兆なのか。来週ちょっとした勝負所を迎える。それを応援しに来てくれたのか。いやいや、いらんことを考えずに、力まず焦らず臨もう。今日もいい一日でありますように。

今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之
仕事のご連絡・その他ご相談等はこちらに→nagaib61s83@gmail.com

<予告>
#108 靴
#109 モテる・ウケる・刺さる
#110 人生が二度あれば

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