見出し画像

「晴れの日も雨の日も」 #97 今どこ?

「今どこ?」というのはLINEやSNS等で頻繁に使われる単語の上位に入るらしい。
なるほど、待ち合わせをしている時なんか、まさにそういうシーンだ。出かけている家人に、帰りに買い物などの用事を頼みたい時にも使えそうだ。

だが、この言葉の出番は、そういういわば物理的もしくは業務的に必要な場面だけではない。

たとえば、気になるあの人は今どこで何をしてるのだろう、と思う時にも多く使われる。
一分一秒たりとも一緒にいたい相手。目の前にその人がいないだけで寂しくなったり不安になったりして、「今どこ?」と送る。

そういう意味では便利な時代になった。
誰か気になる人がいる、なんてのは大昔から老若男女問わずある話だが、今は、そう思った瞬間にピッとLINEを打てる。

ケータイがなかった昔は、その想いをそんなふうにその場で処理することはできず、じっと胸の中で温めるしか無かった。そうして、たとえば手紙を書いたりした。
その間に、思いの純度が上がったり、もっとステキなフレーズを思いついたりした。自分の方からしか物事が見えていなかったことに気づき、相手の立場や受け取り方を考える時間になったりもした。

私はそういう温める時間がキライではない。

もちろん、とってもステキな景色に出会った時に、その場で写真に撮って、すぐ相手に送って、景色と想いを共有するというのは便利でいいなあと思う。
だけど、ちょっと人恋しくなったらすぐに「今どこ?」と吐散らかすのも、なんか軽薄な感じも少しする。もう少し丁寧に自分の気持ちを扱ったら?という気がしないでもない。

一方、会わない時間が長くなると相手がどこにいるかわからなくなるというのも大変良くわかる。相手のことが見えなくなるのだ。
「今どこ?」というのは、もちろん居場所を聞いているのではない。「今なにしてるの」「今どんな思いなの」という意味だ。ただ、相手の心のなかにズカズカ踏み込んでいくのは憚られるから、まずはこのフレーズを送る、ということなのだろう。

人も関係も刻一刻変わっていく。ひとは、相手との関係をいつも確かめたい。ケータイでピッと送るかどうかは別にして、心のなかにはいつもこのフレーズがあるものなのかもしれない。



また、相手だけではなく自分の今いるところをちゃんと認識する、というのはとても大事だ。
技術が進歩して、ケータイにGPS機能が装備され、物理的に自分が今どこにいるかは機械が教えてくれるようになった。電波さえ届けば迷子になることはない。おまけに目的地までの経路まで検索してくれるので、道に迷う心配もない。

だが、自分が人生の海図の上で今どのへんにいるのか、というのは、誰も教えてくれない。
ゴールをどこに設定するか、というのも容易ではないが、その前に、自分の現在地を知ることが結構難しく、出発点だ。
自分の見えている景色が実は色眼鏡で見ていて、事実ではなかった、なんてことも全然フツーだ。
自分のことは自分が一番良くわかっていると思いがちだが、これほどアヤシイことはない。自分の立ち位置・姿を客観的に知るということは奥深く、大事なことなのだ。

だから、人は他人と話をして、自分の見方に修正を加えたり、自分では見えないブラインドスポットに気づいたりする必要がある。コーチはそういうことの専門家だ。私も誰かの力になれたらとても嬉しく思う。

今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之
仕事のご連絡・その他ご相談等はこちら→nagairb21@jcom.zaq.ne.jp

<予告>
# 98 ギャップ
# 99 どう言ってもらうのが一番嬉しいか
#100 1周年&100回記念 図解!これがながいコーチだ!
#101 Next Stage
#102 孤独とつきあう

(続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?