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「晴れの日も雨の日も」#95 信じる

「信は力なり」

伏見工業高校ラグビー部の監督を長らくされていた泣き虫先生・山口良治さんの言葉だ。スクールウォーズのモデルにもなったのでご存じの方も多いだろう。
勝手な解釈で山口先生には誠に恐縮だが、信じ続けることが力となって、相手をひいては世界を変えていく、という意味だと理解している。そういう信じることの大切さを語った言葉だと理解している。
私の座右の銘のひとつだ。

相手を信じる、というのは言うは安く行うは難い。

コーチングでは相手の可能性を信じ切ることがまず出発点だという。私はまだこの域には達していない。

サラリーマンの世界では、2:6:2の働きアリの原則ということがよく言われる。アリの集団は優秀な2割・並の6割・できの悪い2割で構成され、最後の2割を仮に切り捨てても、残った8割がまた2:6:2に分かれる、そういう最後の2割は必ず存在する、という話だ。

私も現実的経験的にはそうかなと感じる。この最後の2割の可能性を信じ切れていない私は、コーチとしてはまだまだ未熟ということだろう。


が、何を信じるかの前提となる何を見るか、ということについてはほんの少し進化してきた。
それは、見えているものが全てではない、ということだ。
自分の見えていないものがありうるということ。
人が表に出す言動の裏側に、実はもっと大事なものがあること。
ひょっとしたら本人もそれに気がついていない可能性があること。
そんなことを考え始めた。

考えてみれば、全部自分が見えている訳がない。どんなことでも見えていないことは必ずある。しかも、見えている部分だって、自分のフィルターがかかっている。自分が見えていることに自信を持ちすぎないほうがいい。
そういうスタンスでいることが、いずれ私を「相手の可能性を信じ切る」という境地に導いてくれると信じている。

さらには、そもそも既に見えているものは信じるも信じないもない。
見えないからこそ、手に触って確かめられないからこそ、信じるかどうかが問われるのだ。

たとえば心。
たとえば誠意。
たとえば人とのご縁の糸。

そして、それを信じることは、相手の言動によってもたらされるのではなく、自分自身の中の問題だということにも気づくことができた。

太宰治の名著「走れメロス」は「信じる」ことを扱った代表的だ。
とことん信じられる友がいるかどうか。コイツのことは絶対的に信じられる、という友を持つ人は本当に幸せだと思う。

そういう友は、頻繁に会っているかどうかは関係ない。
長い間顔を見てなくても、お互いに相手を感じられるような関係。
ご縁の糸がつながっていることを無条件に信じられる関係。
そういうのっていいなあと思う。

たくさんはいなくてもいい。一人でも二人でもいい。広く浅いつきあいがたくさんあるより、少なくてもそういう深く信じ合える友がいるほうが私は力強く生きていける。

もうひとつは、自分を信じられるかだ。若い頃からの知人で、最近少し自信をなくし気味の友人がいる。
昔はキラキラしてたのに。
アンタの人生の主役はアンタ自身やぞ。
サラリーマン終盤を迎え、いろいろ難しい状況なのはよくわかる。
しかし、アンタは今の仕事の中で自ら選択し、自分を表現してるか。
自分らしく生きてるか。

彼は今、コーチングが必要な局面だと思うし、そんな話もしてはみたが、ドアを開けるかどうかは彼次第だ。

さて、信じるということを語る時、本来は信仰の問題を抜きにはできない。信じるものは救われるという。信じることは世界を変える。が、この問題にはここではあえて触れない。



間違いなく言えるのは、誰を信じるか、であり、誰と出会うか、だと思う。そして信じるかどうかは、くどいようだが、自分の心の中の問題だ。



追 先週、前職で継続していたコーチング関連のオリジナルプログラムが終了した。最終回は時間もオーバーして熱の入ったものになり、参加メンバーからは、本プログラムや私とのセッションの継続を切望する熱烈な声を頂戴した。誠にありがたい限りだ。久しぶりにちむどんどんした。届けたいことが届いたことに体が震えるような思いだった。このプログラムは今後同社及び親会社でも展開を図っていく。前途に希望が見えた思いだ。9月21日は私のコーチング人生の記念日となった。


今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之
仕事のご連絡・その他ご相談等はこちら→nagairb21@jcom.zaq.ne.jp

<予告>
#96 出会うべくして
#97 今どこ?
#98 ギャップ
#99 どう言ってもらうのが一番嬉しいか
#100 1周年&100回記念 図解!これがながいコーチだ!

(続く)

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