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「晴れの日も雨の日も」 #111 人生が二度あれば

♬人生が二度あれば

井上陽水の名曲だ。リリースされたのは私がまだ中学生の時だからおおかた半世紀前だ。「断絶」というアルバムに入っていたと先輩noterのがんちちさんが教えてくれた。当時の記憶がフラッシュバックし思わず膝を打った。がんちちさんのすごい記憶力に舌を巻く思いだ。

歌詞の内容はうろ覚えだったが、今は便利な時代でネットが教えてくれた。
年老いた親を見ているとなんだか哀れになって、親のために「人生が二度あれば」と歌うという内容だ。
そして気がつけば、中学生だった私は、この唄に歌われる父親と近い年恰好になってしまった。ひょっとして子供たちからそのように見られているのだろうか。。。

しかし、本人は一向にそんなことは考えていない。
今や人生100年時代だという。私自身は100年も生きる気は毛頭ないが、今日現在、まだ人生は終わっておらず明日がある。一度目も終わっていないのに「二度あれば」などと言っている場合ではない。ましてや私は新しいチャレンジの真っ最中である。

ただ、還暦という節目を迎えて、来し方を振り返ることは結構ある。自分の足跡をしみじみと愛惜の思いで眺めることもある。たくさんの山あり谷あり、笑いあり涙ありのオモロイ人生だったと満足している。やりたいこと、やるべきことは大体やりつくし、心残りや後悔はない。「ない」と断言するのはやや乱暴な気もするが、「ほぼない」とすれば、これは間違いない。

だが、消してしまいたいことは山ほどある。フーテンの寅さんではないが「思い起こせば恥ずかしきことの数々」だ。とても人には言えないことや墓場の底までもっていくしかない「秘密」もいくつかある。

しかし、そうしたことも含めて今の私ができあがっている。情けないことに、同じような「恥ずかしいことや失敗」を何回も繰り返したりもしているのだが、そういうバカさも私の中では氷山の水面下の部分になっていると思いたい。

そうしたいわば「間違い」ー判断ミスみたいなことも含めてーをやり直せたら、と思うことはなくはないが、結果としてはあまり変わらないような気がする。あの別れ道で別の選択をしていれば、と思ってみても、やり直してみたところで結局同じ道を選ぶような気がする。
もし変わるとすれば、本当のそもそも、すなわち、別の親の元に生まれていればというところまで遡れた時だけだろう。それはすなわち、人生のやり直しというより、全く別の人間になる、ということだが。

人生はやっぱり一度しかないからおもしろいのだと思う。
一期一会。
而今(今この時)。
コーチングでも「今ここにあり続ける」というのは大事な考え方だ。

人生にはやはり「二度」も消しゴムも無く、結局起きたこと全てを自分がどう捉えるか、どうやって今後の肥やしにしていくか、ということに尽きるのだと思う。実は結構軟弱な人間のくせに、なかなかカッコいいことを言ってしまった。

井上陽水は好きなアーティストだが、結局、歌に反するような投稿になってしまった。ゴメンナサイ、陽水さん。

皆既月食も終わり、北西の空・中山寺の上に残る満月の名残を惜しみつつ、
南東の空に昇りゆく朝日を望む。天空の共演ショーに出会い、ダブルで得をした思いだ。

今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之
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この写真はケンちゃんに。京都京阪四条駅ホームで川越鐘つき堂に遭遇!びっくりぽん!

<予告>
#112 フリーランスになっての日々
#113 共にある
#114 11月は命日月間

(続く)

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