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「晴れの日も雨の日も」#23臨時号外 呑み屋で会った人

昨日飲み屋でステキな人に会った。

梅田にあるカウンターだけのおでん屋だ。私は会社帰りにしばしば一人でその店に立ち寄り、常連さんやスタッフたちと多少の会話をしながら、時間を過ごす。

その人と会ったのは2回目だ。
1回目は緊急事態宣言明け初日の10月1日。宣言解除を待ちわびていた私は、
仕事もそぞろに(実は大きな声では言えないがフライング退社)、店へと
向かった。しばらくするとその人が私の隣に座った。初対面だったので、最初は知らん顔をしていたのだが、なにかのきっかけで言葉をかわし、気がつけばずいぶん話し込んでいた。
とても楽しい夜だった。
また会いたいという想いを抱きながら何度か店に通ったが、そういう時は
得てして叶わないもので、ずっと再会を果たせずにいた。
昨日はその店の新年開店日。何もなくても当然のごとく顔を出す気でいたが、上記経緯も頭に残っており、ひょっとしたら今日は会えるかも?という淡い期待があった。で、見事再会を果たした。2回目の邂逅である。

昨日もずいぶんいろんな話をしたのだが、
今も心に残っている大きなテーマが二つ

まず一つ目は「潤」ということについてである。
話の経緯を端折って大きな趣旨だけいうと、「じゅん」という読みの漢字にはどんな字がある?みたいな話で、私は「純」とか「順」あるいは「淳」という字が脳裏に浮かんだのだが、その人が出した答えは「潤」だった。

それまでこの字は私の中には全くなかったのだが、これを聞いて思わず心が揺り動かされた。
心の窓を開いてvividに生きる」ということと私の中でつながったのだ。

思えば、ここまで私の人生に「潤い」なんてものは無かったような気がする。少なくとも意識したことはたぶんない。頭の中にあることは前進とか向上とかということばかり。

ゴリゴリ。
ガリガリ。
ダーっと。
全て濁音の世界である。ドヤ顔なんてのもあるかもしれない。

ここまで、自分を鍛えて、いろんなことを(あわよくば“何でも”)できる
ようになりたい、もっと強くなりたいということばかり考えてやってきた。
ある程度はそれに近づいたところもあるが、
還暦を迎え、
サラリーマン生活からの卒業もそう遠くない未来として視界に入ってきた今、「潤い」とか「彩り」というものの大事さに少し気づき始めた。いや、気付いたというのは言い過ぎで、そういう世界に関心を持ち始めた、というぐらいが多分正確だろう。

これは上記の濁音の世界との対比で言えば、「マ行」の音の世界のイメージがある。水のイメージなのかもしれない。言葉にすれば、たとえば
「まろやか」「むりなく」「愛(め)でる」という感じ?
「サ行」の「しっとり」なんていうのも「潤い」の代表的なイメージだろう。
そうなんだよなあ。これからは濁音一色の生き様からもう少し「マ行」や
「サ行」を取り入れて生きてみたいなあ。
そんなことをあらためて思った夜
だった。

もう一つは、この人がしきりに「私は運がいいねん」と言っていたことだ。
いわく、たとえば40人クラスに一人ぐらい足の速い子がいる。一人ぐらい唱の上手な子がいる。それと同じレベルで私は運がいいねん、と。
ん?どういうこと?
何だか半分ぐらいわかるような気もしないでもない。が、もうひとつ
「わかった!」という感じにならない。
さらに聞くと、誰かとそれを試すべく、〇5枚・×5枚のカードを引くゲームをやってみたら、相手が先行の時も自分が先行の時も〇5枚を引いて完勝したという。
ホンマかいな?!それってすごいやん!!
でも、宝くじで1億円が当たったりというような運ではなく、あくまでも上記のような40人のクラスに一人ぐらいはいるだろう程度のささやかな運なのだ、と。
で、その運の良さを常々神様に感謝して、神社にお参りもよく行くし、行けば神様との対話に結構な時間を使うと。
へー。ふーん。なんか別世界の話を聞いているよう。どういうこと
なんだろう?

この日はこれでお開きとなって別れたのだが、しつこい私は、気になったら簡単にはそれを手放さない。帰路についてからも、今朝の通勤時もずーっと
ぐちゃぐちゃとその話を考えていた。
すると、ある瞬間ふっと腹落ちした気になった。

誰にでも天与の才というものがあるのだが、それに自ら気付いてそれを大事にできるかどうか、ということなのではないか。

上記の例でいえば、1/40の割合で存在している足の速い子が自分の運動能力に気付いてそれを最高まで高めるべく努力をすれば、たとえば大谷翔平になれるかもしれない。だけど、多くのその1/40の子はそれに気づかず、したがって伸ばす努力もせず、結局1/40のまま、もしくは下手をすればそれ以下で終わってしまう。

件の人は、自分の1/40の運の強さを認識しており、そのことに感謝もし、神様との対話も深め、運の強さがなくらないようにしている、ということなのだ。
自分の運の強さを失くさないように あるいは もっと強くするために、
メンテナンスをし、キープもしくはアップする努力をしているのだ。

そして、私たち二人は、「たとえ3億円が当たっても、毎日職場でイヤな思いをしていれば、その人生は楽しくないのではないか、むしろ3億円なんて大きな運はいらないから、毎日少しづつ小さないい運があって、楽しく気持ちよく日々過ごせる方が幸せなのではないか」という話をした。
そうなのだ。この人はとても幸せな人なのだ。
幸せになるには幸せな人のそばにいるのがいい、という話がある。
私はこの人とのご縁を大事にしたいと思う。ぜひまた会いたいものだ。

※神様へのお願いについては、次のポッドキャストも参考になります。
 よければ是非聞いてみて下さい。

今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました♬
                                                                                              長井克之
                            仕事の件等  ご連絡はこちらに→ nagairb21@jcom.zaq.ne.jp

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