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「晴れの日も雨の日も」 #104 オマエいったいナニモノやねん

22歳新卒で就職した会社で私は営業に配属された。土木業界相手の営業だ。
私の会社が扱っていた資材は、その工種の主要資材だった。過去の諸先輩のおかげで、私の会社は業界の重要なポジションを占めており、お客さんにも比較的優位な立場をキープしていた。

そうしたことや、相手の会社との規模の大小感等から、我々営業マンは、「自分よりランクの上のお客さんと会うべし」という指導を受けていた。たとえば、こっちが担当なら部課長に、こっちが課長係長なら役員に会え、といった具合である。
素直だった私はこれを忠実に守り、20代の頃から40代50代の人とばかりつきあっていた。

そういう日々の積み重ねのせいか、私はだいたい実年齢より遥かに年上に見られた。20代の頃から40半ばに間違えられていた。早い話が超フケ顔である。
課長と一緒にお客さんを訪問すると、課長より先に私にお茶が出され、横で課長がむくれている、なんてのは日常風景だった。当時はまだ髪の毛があったにも関わらず、である。

1990年代後半。30歳半ばのある8月お盆休みのこと。家族と一緒に地下鉄の中にいた。まだ若くて美人の細君と小学校低学年・幼稚園の子供たちと一緒だった。
その電車で、途中の駅から乗り込んできたおばあさん。重い荷物を背負った行商のような感じだ。
「ここどうぞ」と席を譲ると、そのおばあさん、礼を言って座りながら、私にこうおっしゃられた。

「ありがとうございます。そちらさんもお孫さん連れで大変なのに。おたくは終戦はどちらでお迎えなすったかな?」

確かに8月15日終戦の日の前後ではあった。しかし、私は戦中派に見えたのか??30半ばですぞ!くどいようですが。
私は「いやいや、これ、孫じゃなくて子供なんですわ」と応えるのが精一杯だった。
横で笑いをこらえている細君。ぽかんと口を開けている子供たち。
年上に見られるのは仕事をする上では都合が良かったが、遊ぶのには向かない。ということで私はまじめ一本でここまでやってきた。ホンマカ?

この頃よく言われた。
「オマエ一体いくつやねん」。

そうして還暦手前あたりからようやく実年齢が外見に追いついてきた。さらに最近では実年齢と元気さが逆転し始めた。
健康診断はほとんど問題なし。少々血圧が高いぐらいだ。毎日20,000歩弱歩き、足腰も頑健そのもの。目も歯も問題なし。
通勤帰りに通っていたおでん屋では「なんでそんなエネルギッシュなん?」と言われる始末。

血の気とエネルギーが有り余っているから、独立起業なんてチャレンジをやってしまった。一時期やや腐りかけてた時もあったが、最近再び馬力を取り戻した感がある。今度は浴びせられる言葉が変わってきた。

「オマエなんでそんな元気やねん」

なんでやろなー。
サラリーマンはなんやかんや言っても会社に守られている。そこから飛び出すと、自分のことは自分でやり、自分の食い扶持は自分で探さないといけなくなる。
加えて、自分らしく生きる覚悟が定まったこと。自分の道をシンプルに絞ることで、要らないものを手放すことができたこと。

などなどかなあ。

もともと、器用ではなく、才能に恵まれた訳でもなく、自分の持てるものを磨き倒して勝負するスタイルでやってきたことがその根っこにはありそうだ。オレは元気やと自己暗示もかけているかもしれない。
いずれにしてもまだ走っていけそうだ。でも、無理しないようにね。

今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之  
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<予告>
#105 可能性を信じ切る
#106 放下著
#107 人生が二度あれば
#108 靴

(続く)


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