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晴れの日も雨の日も#155 自称 花見有段者より。

日本全国津々浦々、満開の桜!
テレビのニュースもnoteの記事も桜の話がてんこ盛りだ。

私が4年過ごしたインドネシアは赤道直下で常夏の国。
雨季と乾季はあるけど日本のような四季はない。
満開の桜を愛で、散りゆく桜を惜しんでいると、つくづく日本人で良かったと思う。もっとも、最近の日本は、国そのものが病んでるんちゃうか?と思うような事件や話がちょくちょくある。インドネシア人のほうが平和で幸せに生きてるかも?と思うこともしばしばだが。


さて、以下、「私とお花見」である。

話は約30年強前、1989年に遡る。私は東京で営業担当の前線にいた。女子社員はいずれ結婚して寿退社がフツーの時代だ。似たような年格好の女子社員が一斉に適齢期を迎え、5名中4名が新入社員に入れ替わるという激動期を迎えた。

私は28歳と若手の第一線。女性社員のよろず窓口兼新入社員の受け入れ・教育担当だった。新たに迎え入れた22歳から18歳までの新人女子4名、職場での評判がイマイチだ。
退社する4人は業務に習熟しており、新入社員ではすぐその代わりは難しい、という面ももちろんある。が、それ以上に、職場のオジサンからすると、旧メンバーはお互い慣れ親しんでおり、ツーカーで楽に仕事ができたという色彩が濃かった。しかも4/5のメンバー交代となると、職場の空気もガラッと変わる。4人の能力等の問題というより、いわば彼女たちには少々荷の重い社会人生活スタートだったのだと思う。

私は、まず彼女らが業務を少しでも早く覚えるよう日常の指導・対話を増やした。社会人としての常識やマナーから始まり、かなりこまめに面倒を見た(つもり)。彼女らの合意を得て、始業前の早朝勉強会の定例開催もやった。彼女らの前向きな姿勢を見せることが職場メンバーからの信頼を勝ち取ることにつながると思ったのだ。

そんなこんなで、彼女らの仕事もだいぶ格好がついてきた翌年始め、今度は職場の連帯感作りのためいろいろな行事を企画しはじめた。
そのひとつが花見だ。

彼女らを幹事団として職場の花見会をやることにした。場所は職場近所の四谷の土手。有名なお花見スポットの一つでもある。初年度は自由参加で、職場メンバーの参加率は6〜7割前後。来ない人もいた。が、参加者には大好評。酒と乾き物しかなかったが、皆さんに喜んでもらったことは幹事団にも大きな力と自信になり、彼女らも職場に溶け込み始めた。

花見の仕掛けも私が在籍中の約10年間、毎年進化していった。翌年は会社の食堂のおばちゃんに頼んでおでんを作ってもらい、カセットコンロで持ち込んだ。結構夜は寒いので、ポケットカイロを配ったり、カセットコンロの台数を増やしたりした。ぼんぼりも購入した。新入社員には一発芸もさせるようになった。劇を指揮したこともある。何年か続けると晴天の日ばかりではない。ビニールシートを桜の枝に張って、雨をしのぐワザもマスターした。

こうなると全員参加の行事になる。午後から交代で場所取りに行くことが部長公認になった。我が職場の花見は東京本社中で有名になった。
この伝統は私が当職場を離れてからも脈々と受け継がれていたのだが、ついにしばらく前から沙汰止みになってしまった。
ながいコーチのDNAも時勢には勝てなかった。。。

私は今でも桜を見るとこの頃のことを懐かしく思い出す。年の近い彼女らとキャーキャー言いながらやってる頃が一番オモロかった。

でも、桜をホントにしみじみといいなあと思うようになったのはもっとずっと後のような気がする。
彼女らと花見をやってた頃は、桜を愛でるというよりどんちゃんやることがオモロかったのだと思う。学生時代も水泳部のメンバーと円山公園に花見に行き、ずいぶん狼藉を働いたが、これも酒のんで馬鹿騒ぎすることが主目的だった気がする。

老域に入った今、散りゆく桜を名残惜しむことを知り、ホントの花見ができるようになったのかもしれない。

追 昨日から新年度のスタートという方も多いのでは。
  ボン・ボヤージュ!
  です。

今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之

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<予告>
#156 氷点。そして神様のこと
#157 プロポーズ大作戦
#158 脱パン✕コーチング✕心のゴミ箱


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