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晴れの日も雨の日も#166 北の国から

倉本聰原作・脚本の言わずとしれた人気ドラマ。1981年から半年間連続テレビドラマとして放映され、その後スペシャルドラマが2002年まで計8本放映されている。

私も細君もこのドラマが大好きで、何度も再放送を見たり、雨天の休日等にはTUTAYAでレンタルビデオを借りて繰り返し見た。
比較的冷静な娘#3などは「スキやなあ」「何回見るん?」と冷ややかに言っているし、2003年生まれの末娘#5は、全編終了後の誕生であるにも関わらず、我々老夫妻とほぼ同レベで内容を把握理解している。
「友達もこのドラマ知ってんの?」って聞いたら、「そんなやつおらん。めっちゃ変わってるって言われる」と。家の文化・哲学・しきたりというものは誠にオソロシイ。

拙note#52「誠意」では、「'92巣立ち」で菅原文太が語る「誠意って何かね」をご紹介したが、名シーン・名セリフはまさに枚挙に暇がない。



GW中に、富良野・小樽に細君・娘#4・娘#5と4人で行ってきた。
娘#4の結婚が決まり、そのお祝い&最後の家族旅行だ。

富良野は桜の真っ盛り。今年は地元で北海道でと2回も鑑桜でき、トクした気分。

富良野に五郎さんの石の家や丸太小屋があるとのことで見に行ったのだが、まさにドラマのロケセットそのまま!感動的だった。
娘たちは「ようこんなところに住んでたなあ」とおもっきり感情移入。
いやいや、あくまでドラマの話で、実際人が暮らしてたわけとちゃうで笑。
観光客も結構な賑わいだった。上記の娘#5ではないが、明らかにドラマをリアルタイムでは見てないだろうという若人たちも少なからずいた。人気の根強さをあらためて思い知った。おまけに富良野の町中あちこちに、「ここが何とかのロケの場所」なんてのがたくさんあり、その気になれば一日つぶせる感じだ。

富良野 北の国から探訪マップ

私は、倉本聰の「獨白」という本を見つけ、衝動買いした。倉本聰がどんな思いでこのドラマを作ったのか、登場人物のキャラにどんな思いを込めたのか。あらためて得心できる良著だった。

この本は、2011年3月、東日本大震災のあとに倉本聰が富良野塾で語ってきたことを本にしたものだという。現代文明への警鐘がこのドラマの原点であり、福島原発事故で人類よ目を覚ませ、となっているのだが、それ以外にも心に残る部分がいくつもあった。
ひとつだけご紹介する。

このドラマを書き始める前、倉本聰はNHKと喧嘩をしてやけのやんパチの時期があったという。そこで北島三郎とご縁ができ、サブちゃんの付け人をして興行について回る。田舎の体育館なんかでやるのだが、途中からサブちゃんが「オレは流しを長い間やってたから何でも歌える。今まで歌えなかった歌なんてひとつもない。さあ来い!どんどんリクエストしてくれ!」といって、観客と取っ組み合いのようなステージをする。そのお互いが遠慮なしに本気で腹蔵なくぶつかり合う姿を見て、倉本聰は目からウロコの体験をする。で、本当のドラマを書きたいと心の底から思ったと言うのだ。


なるほどなあ。そんなことからこのドラマは生まれたんや。

で、私の中には「実」という言葉が残った。
このドラマ、確かに電気も水道もない北海道の自然の中で、カネがないなら何でも自分で作れ式でやっていく話で、現代文明の危うさを指摘し、地に足のついた生き方を示している。それが「実」だ。加えて本ドラマの骨格をなす「小さな家族の大きな愛の物語」。黒板一家やその周辺の人も含めて描かれる人間模様にも「実」を感じる。「虚」でも「飾」でもなく「実」。それは私の求めてきたものでもある。

いずれ、この「実」ということについて考察を深め、記事を投稿したくなってきた。

富良野のホテルにはこんなポスターも。 to 蛍諸さん

今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之

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<予告>
#167 名刺
#168 見た目
#169 I 兄ちゃんのこと

(つづく)


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