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晴れの日も雨の日も#178 オレもツライねん

今回は前号#177 おでん屋にて#11 沼からの脱出 の続編である。

先日おでん屋で知人から「ながいさんは全部もってるやん」と言われた。家族も友達もおり、誰とでも気兼ねなく話ができ、会社を辞めても餓死にしてない、という趣旨だ。
「よう言うてくれるなあ。ヘラヘラしてるけど、水面下で必死で足掻く水鳥やで?」と笑顔で返した。

確かに今は会社を辞めて、組織のしがらみなどを手放し、概ね機嫌よくやっている。コーチングは単に収入という意味だけでなく、自分の人生を深めることに直結している実感もある。だが、仕事が干上がり収入が途絶えるのではという不安やプレッシャーは常にある。コーチングのおかげで対人関係力は一段向上したような気になっているが、うーん、噛み合わんなあ、ということだってある。

noteの私はあまりそういうことを書かない。言霊を信じているから、実情に理想や夢を盛り付けしてる部分もあるし、もっと単純に書けないこともある。「ながいコーチ」なんてカッコよく聞こえるかもしれないが、当たり前だが、キレイ事ばっかりではない。寅さんファンの私は、顔で笑って心で泣いているのだ😂

来し方もそうだ。

中3から高校の時は自分磨きに集中し、内側にある自分と取っ組み合いを続けた。その結果、階段を上がるようにして手に入れたものもあるが、一方で、この頃の交友関係は豊かではない。恥ずかしながら偏った生活だった。

大学の時はその反対に水泳部関係の交友には恵まれたが、それ以外の世界は殆ど知らない。水泳部以外の友人は0に近いし、学業に至ってはお粗末極まりない。打ち込んだ水泳だって結局選手としての芽は全く出なかった。

当たり前だが、得たものもあれば手からこぼれていったものもある。

就職後は、比較的恵まれた方だとは思うが、お客さんに電話口で罵倒されたこともあるし、詰め腹連座事件に巻き込まれ、バッテンを背負ったりもした。

50半ばで上司から「もうここには君の場所はない」と言われた。評価というものは他人がするものだ。それが自分の見方と乖離があるというのはよくある話だが、この用済み宣告にはいたく傷ついた。相手はこっちの気持ちには全く無頓着。その後も私の落ち着き先が決まるまで同じことを何回も言われた。「もう絶対わかりあえん」と絶交を考えたものだ。

子会社時代にも再度不遇を味わった。諸般の社内情勢により、それまでのポストを失った。「君のキャラを生かして自由にやって」と言われたが、体の良い窓際族だ。やる気能力経験は十分なつもりでも用いてもらえない、というツラさをイヤというほど味わった。

こうしたことがちょうど還暦を迎えるタイミングと重なり、私はコーチングを勉強し始めることになる。結果的には、そのおかげで私はこうした思いを整理できた。

前者の「許すまじ」という相手には、そんなことをいつまでもグズグズ思っている自分がイヤになった。自分で自分の人生をツマラなくしていることに気づいたのだ。ある時、自分の引っかかってきた思いをこの人にオープンに話をし(程度問題はあるが)、手放すことができた。
後者は、独立起業するという選択をし、外から自分らしく価値を提供する形になったし、何よりストレス無く生きることにつながった。

ツライ時というのは誰にでも起こりうるが、その現実事実を変えようとか乗り越えようとするより、自分の捉え方・視点を変えるほうがうまくいくような気がする。そしてそういうことがかけがえのない自分の財産になったりする。

私は沼の底に足がつくまでズブズブ沈んでいくタイプだが、誰かに話をした方が出口は見つけやすい。コーチングはこんな場面でも有効だ。
なんや、最後はコーチングの宣伝かいな😂

今年も、しそが山ほどでき始めた。この生命力オソルベシ。

今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之

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<予告>
#179 続中学生日記
#180   運動会雑感
#181 願いを叶える前編

(つづく)


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