経験について語る永平ちょっと鬱陶しいから物好きに見てもらえたらそれで幸せな自己満足記事をとうとう書いてしまってなんだかなあという気分。
経験についてちょっと語りますね。
僕は結構面倒臭がりで、何事も経験だ!!って言って挑戦するの、実はあんまり得意じゃないんです。
まあ、何事も経験だとは本心から賛同するので、結局行動しようとは努めてるんですけど。
でも世の意識バリバリ高い人とかの中に、何も行動しないのは悪みたいなくらいに言ってくる人がたまにいて、その価値観を他人に押し付けてるの見るとたまに僕はこんな顔しちゃうんです。
僕はどんな人生経験も結果的には肯定したい主義で、例えば10年間引きこもった人の10年を無駄だったと言いたくなくて、今のその人が今のその人自身を肯定できているのなら、その人の引きこもりの10年も肯定したいんです。
その引きこもりの経験があったからこそできることもきっとあるはず。
仮にその人が引きこもりの経験をしたが故に、ノーベル平和賞でも取ろうものなら、その人の引きこもり経験はとてつもない価値になりますよね。
まあ、そこまでの結果を出せば、の話かも知れませんが。
しかし、まあ、みんなきっと全力で生きてはいると思うんです。
その中で自己矛盾してこうありたいのにこうしてしまう、なんてのがザラな世の中だと思います。人間の性質上、だいたいみんな根っから怠惰ですし。そんな一見否定的に見えることばかりで、そこから抜け出すのってとても大変だし。でも各々のタイミングでもっと怠惰と反対の崇高な何かに向かって人生を輝かせていくんだろうな、って思います。
僕はせめて、自分自身も含めて、今その人が本心からやるべきこと、やれること、やりたいことに全力で向き合って、実際に踏み出せるきっかけだけでも提供できたらなと思っていきてます。
話が重いのでカエル打ち込みますね。
まあ、この価値観だと、結果的なもの全てを肯定してしまうので、行動しないことを悪く言うことすらも、そのことで生じる未来の結果として肯定してしまうんですけどね。
全肯定主義者の出来上がりです。
まあ、本心に嘘をつかないのを意識してたら、きっと自ずと己にとって良い道に進むと信じています。
まあつまり今日僕が言いたかったのは、価値観押し付けてくる人は感情レベルで苦手ってことです。個人的にです。理性的判断では自分にとって有益、なんなら自分のためになりまくったりするので有難い存在なんですけどね。
人の評価ってとっても自分勝手でなんか難しいですよね。
一概に下したくないのが本音な永平でした。
にひひひひ。
今日の一言「結局みんな大事な存在」