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多様性の教育を強要するな#2022.9.25

はい、こんにちは~、ながはまです。
今日は挨拶を全てひらがなにして優しい雰囲気を出してみました。
#小賢しいて。笑

はじめに

先日「制限から多様性が生まれるというパラドックス」という記事を上げたのですが、初回という事もあってか質問や感想など様々な反応をいただきました。

その中で、「多様性をどのように解釈するのか、そして多様性教育とはどうあるべきか」をもう少し深く考えてみようと個人的に思ったので、今日は増刊号的立ち位置の記事にしてみたいと思います。

特に、後半部分は僕の深い思いが吐露していますので、1人でも共感してくれる方がいれば幸いです。

■前回の記事はこちらから読めます▼


2種類の多様性

まず、上記の記事を深く理解するためには、世の中で語られる多様性には2種類存在するという事を強く認識しなければいけません。

先に結論を言うと「言い訳の多様性」と「真の多様性」という2つです。この2つの違いを知れば、日々の議論などに数段と深みが出ると思いますのでぜひ名前だけでも覚えて帰ってください。
#漫才かw

では、順に解説していきます。

言い訳の多様性

これは男女平等を推進するときなどに多く使われます。砕いていうと、世の中で使われるダイバーシティ的なものは全てこっちに当てはまります。

言い訳の多様性と呼んでいる理由は、ここで使われる多様性は現状打破のためのツールとして活用されがちだからです。男女の格差を是正するために用いる主張や、富の再分配なんかもこの要素を含むでしょう。

真の多様性

では、真の多様性とは何なのでしょうか。簡単に言うと大体許すし、基本放置する考えと捉えてください。真と名付けているように、本当の多様性とはみんながルールの中で好きに生きて好きに死ぬという事になります。

言い訳の多様性と大きく違う点は現状を肯定してくれるという点です。

つまり、ニートの人が家でずっとゲームしてるのも立派な多様性だし、授業中に寝てるのも立派な多様性だし、会議に遅刻するのも立派な多様性です。

言い訳の多様性を強要するな

さて、ここまで2種類の多様性を語ってきたわけですが僕は多様性という言葉が好きではありません。もっと正確に言うと「言い訳の多様性を強要する教育スタイル」が嫌いです。

中学・高校・大学とダイバーシティ的なカテゴリーが必ず教科書に含まれたりしていますが、あの教育の意味はなんなのでしょうか。

そもそも教育自体ある意味押しつけであり、多様性の欠片もありません。そんな環境の中で「多様性は大事だよ~」とか言われても、「まずこの環境が多様性ありませんやんw」って返したくなります。ダイバーシティと世の中でいわれるものは基本的に人に対して、特に性格・人種・国籍などに焦点が置かれているでしょう。しかし、行動に対してのダイバーシティはないのでしょうか。

例えば学校の不登校。自分自身1か月ほど不登校をしてましたが、「学校に行け」という言葉が何よりのストレスで、そんな状況に全くもって多様性は存在しません。

もし今親御さんから「皆行ってるから!」っていう言い訳が来たら、「学校でダイバーシティ習ったから、僕の行動にも多様性を持たせているのさw」と返してみてください。
#結果は見えてますが…笑

少し話が逸れましたが、ようはダイバーシティの主義主張をするのは自由にすれば良いけど、こっちにまで強要しないでほしいってことです。人種や性別が何であれ、苦手な人は苦手だし、嫌なことは嫌です。これは私に限らずこれを読んでくださっている皆さん全員そうでしょう。

例えば私なんかは、明らかに礼儀がなさすぎる人は苦手だし、YouTubeのコメント欄に居る荒らしもダルいな~って思ってます。また、よく親が言う「受験勉強しろ!」とか、好きなこと学んでたいのに、それが一番勉強の意欲を妨げてるんじゃー--!って感じです。
#すみません、本音が出すぎました。笑

ていうか、現状を超えてまで多様性が強要されるような社会になれば、そんな社会には一切多様性が存在しないことと同義です。

もう少し踏み込んだ話をすると、ダイバーシティという世界をにして教育に組み込んでくるのが僕は嫌いです。素直に「こういう現状があってこれを改善しなきゃいけませんよね」って言えばいいのに、なぜ特別感を出してくるのか。現状の僕らが加害者みたいに教えてくるのか。

想定反論に対して

こういう問題提起をすると必ずあるのが、「その思考にも多様性はないよね?」っていう反論です。確かにその通りです。僕も偽りの多様性を認めていないので真の多様性というメンタルではないでしょう。

しかし、冷静に考えて。嫌いなことがない人、苦手なことがない人なんか居るのでしょうか。そんな役割なんかロボットにさせればいいし。
むしろ、凹凸があるからこそ人は人を好きになるし人間味を感じるでしょ

なので多様性を強要する人、多様性を教育する人たちに一言。

「ほっとけ」


最後に

てなわけで、結論です。多様性には2種類あって、どんな多様性も強要なんかしなくていい。むしろ何も気にしないことのほうがよっぽど多様性ある行動です

少し後半荒かったかもしれませんが、このような常識を疑う発言が少しでもできる教育環境及び日本になってほしいなと切実に思います。

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今日も山口県からお送りしました~、また明日!
長濱由成(Yoshinari Nagahama)


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