あなたは「なんで」と「どこから」の違いを意識したことがあるか
こんばんは,暖房の付けるタイミングが迷子になっている長濱由成です.皆さんはいつ頃つけますか?
さて,今日は「あなたは「なんで」と「どこから」を意識したことがあるか」というテーマでお送りしていきます.今日の話は最近一生懸命取り組んでいる対話型鑑賞の一場面を基に進めていきます.
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対話型鑑賞というのは「見る・考える・話す・聞く」を用いて鑑賞者同士でコミュニケーションをとることで作品への理解を深めるというモノである.つまり,来るお客さんにとっては解説を聞くなどの受動態ではなく会話に自ら参加するという能動態が求められる.その会話の交通整理役となるのが進行役・ファシリテーターと呼ばれる存在である.しかし,いくら能動だと言えどファシリテーターの言葉選びひとつ,質問の仕方をひとつ変えるだけで会話の進み方や議論の深さは天と地の差となってしまう.そのためファシリテーターは質問の仕方に細心の注意を払わなければならない.今日はそんな話だ.
質問の仕方と一括りに言っても,会話の中には相手に同意を求める問いかけから疑問点を尋ねる問いかけなど実に様々な形態が存在する.この言葉選びはファシリテーターの中で永遠の課題であるとともに,その場の状況に合わせて使い分けなければならないから難しい.中でも作品を鑑賞している会話の中で使用する質問というのは推敲の余地しかないと言って良い.
例えば,今日のテーマである「なんで」と「どこから」についてもその一種だ.普段の会話の中では「どうしてそう思ったの?」とか「なぜそう考えたの?」という原因や要因を聞く際に,「なんで」という一括りの単語で問う場合が多い.そこには「どこから」という意味合いも当然のように込められている.しかし,厳密に意識してみると「なんで」というのは少し説教じみた表現であり,「どこから」というのはある種の興味から発散されているという違いが存在している.この違いというのは実に大きい.では,対話型鑑賞においてはそれがどのような違いとなって現れるのか.
対話型鑑賞は前述したように,鑑賞者同士の対話を通じて「作品への理解を深める」ことが重要である.言い換えると,作品を観た上で話すのが重要であり,作品を置いてけぼりにして好きなことを話すという時間ではないのだ.しかし,ファシリテーターが「なんで」という問いの仕方を行った場合それは作品からの意見ではなく自己の経験を背景とする意見・価値観の話を行うことになる.これを鑑賞者がするということは,その時間は作品への理解を深めるための対話を重ねる時間から自身の話したいことを話したいように話すというただの会話の時間に移り変わってしまう.一方で,「どこから」という問い方をすると,鑑賞者は目の前の作品のどの部分からその感じ方や思いが浮かんだかを話すことになる.また,これによって鑑賞者間の情報共有が簡単となり,それに基づいて対話が円滑かつ深く進んでいく.この違いを生み出すのは「なんで」と「どこから」というたったひとつの単語および聞き方に過ぎないにもかかわらず,その時間すべての結果を変えるものとなる.
さて,このような言い方ひとつをなぜ私たちはここまで無意識に選別しているのだろうか.というよりか,なぜ私たちは普段の会話でこのような差異にひとつも意識を向けていないのか.コミュニケーションという場は日常生活の中で五万とあるが,そのひとつひとつを省エネで過ごすのではなく聞き逃さないように集中して取り組んでいるのはどれくらいあるだろうか.相手の意思は多かれ少なかれ必ず会話の中に含まれているというもの,つまり我々は皆何かしら相手を理解する機会を持ち,そしてその機会を見事に逃している.よく「察する」能力が高い人は生きていきやすいというが,おそらく「察する」人というのは感じるというフィーリングを指すと同時に,相手の会話や仕草,顔色に対していかに注目し集中しているかという話でもある.このようなことを考えると,察することが上手な人はきっと会話において疲弊することも多いだろう.なぜなら普段の省エネモードに比べて相手の意見を0~100まできちんと聞くことは至難の業だからだ.
さて,これよりさらに掘り下げて記していっても良いのだが今日はこの辺にしておく.なぜなら今日はおそらく僕のnote毎日更新100日目という節目の日だからである.正直,狙っていたわけではなく偶然たどり着いた道のりだったので実感はそこまでない.僕が対話型鑑賞を始めた9月某日.そこから100日間あれよあれよと生きてきたわけだが,自身という人間がいかにダメでいかに愚かであるかを痛感させられている.それは対話型鑑賞に限らず日常生活から何から全てである.これからもこんなダメ人間である僕を温かく見守っていただけると僕としてうれしい限りだ.また,助けを求めた際には相手してくれると嬉しいです.
僕に関わって下さっている全ての皆様に感謝.
では,また.
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