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ボクの映画批評 第4回「リバー、流れないでよ」(ネタばれなし)

ヨーロッパ企画の映像作品、初体験である。京都を中心に活動するこの演劇集団の上田誠(原案・脚本)を中心に企画し、多くの劇団員が出演。日本映画(ローバジェット)で勝負するならコレしかないという発想で、前作「ドロステのはてで僕ら」に続き邦画に殴り込みをかけてきた。

タイムルループものである。京都の奥座敷といわれる貴船の旅館を舞台に、2分間のタイムループから抜け出せなくなってしまった人たちの混乱を描くドタバタ群像喜劇だ。

日本の演劇作品の多くは、群像劇だ。多くの役者にスポットライトを浴びさせたいという作者の思いやりもあるのだろう。ただ、群像劇にも主人公は必要である。この作品では、仲居のミコト(藤谷理子)だ。彼女がこの展開をひきおこした張本人であるし、物語の終演とともに未来が変わるからだ。「話の最初と最後で変わっていなければならない」これは主人公の鉄則である。周りの人物はそれに付き合わされた人たちである。

老舗旅館「ふじや」の人々

だとしたら、主人公が少し受け身すぎる。クライマックス、やはりミコトの強い主体的行動が欲しい。猟銃を彼女に撃たせたり、恋人タクにキスをさせたり…。物語の解決は彼女に委ねたいところだ。

そうなると、登場のしかたも少し工夫が必要だった。ミコトが主人公だと分かるまでに少し時間がかかった。一瞬、久保史緒里かと誤認識した。作者は「出演者全員が主役」との思いだったのであろう。この奇妙なタイムループの原因はミコト自身にあるため、しっかりと主役として際立たせたかった。

タイムループをする各々のシチュエーションが秀逸である。タイムループを逆手に取った各キャラクターの奇抜な行動にも度肝を抜かれる。演劇に多い余計な説明も少なく、人物の描き方のバランスや裁き方も申し分ない。ラストの一致団結した登場人物たちの思いは胸を打たれる。

ネタは常に探し続ければ、時に降って浮かぶ時もあるだろう。しかし、ワンアイデアだけにとどまってしまう場合も無きにしも非ずだ。本作は、しっかり1本の映画として昇華し、観客の心を掴んだ。

前作「ドロステのはてで僕ら」は要チェックとなった。才能は、まだまだたくさん埋もれている。カット!

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