解放の祝典アンベードカル生誕祭
去る4月14日、東京九段のインド大使館にて、印日政府間キャンペーン︰Connecting Himalayas with Mount Fuji (ヒマラヤ山脈と霊峰富士を心でつなごう)の一環として『アンベードカル博士生誕祭』が開催されました。
当日はシビ・ジョージ駐日インド大使の御臨席を賜わり、盛大かつ華やかに〈人間解放の父〉を讃える公式行事が営まれました。
大使館のエントランスに展示されたブッダやアンベードカル博士の絵。日本で暮らす仏教徒の子供たちが描きました。ちなみに、図像や形像で崇敬の意を表現することはमूर्ति (ムールティー)といって、仏教美術を生み出したインドの精神文化です。
古参のメンバーによる「アンベードカル讃歌」奉唱。歌を献上することはगाथा(ガーター)といい、漢訳仏典では偈頌(げじゅ)、もしくは伽陀(かだ)と音写され、お経の山場には必ずといって良いほど登場します。
子供たちによる舞いの奉演。古典バラタナティヤム、キレッキレ☆のボリウッド・ダンス、そしてアンベードカル博士を讃える創作舞踊など、この日のために練習してきた〝ほとけの子〟らのパフォーマンス♪元気一杯な「護法童子」の晴れ姿です。
今年は、正式な大使館行事として開催された生誕祭。
振り返れば約二十年前、在日インド仏教徒から相談を受け、彼らが住むアパートの1室で勤めたささやかな式典が、最初でした。小さな仏像とアンベードカル博士の肖像をテーブルの上に置き、花と果物をお供えしただけの臨時の祭壇。しかし私にはこの〝臨時〟が、ブッダ御在世の時から続く「法灯」に感じられたものでした。
今の自分があるのは、彼らと、佐々井秀嶺 上人のお蔭です。
かつて1969年頃、佐々井師(34歳)は、ヒンドゥー教のカースト制に組み伏せられた人々の心を呼び醒ますため、村の一角で八日間、文字通り〝飲まず喰わず〟の凄絶な荒行に挑み、死線を乗り越えて、満願成就 ──
断食断水している間、仏教徒達は、私の四方に棒きれを立て、その上に布を被せて天幕のようなものを作ってくれました。それまで〝八百屋〟に居候暮らしだった私にとって、その急ごしらえのテントが、初めての自分の「お寺」だったといえるかも知れません。
〈佐々井秀嶺師著『必生 闘う仏教』集英社新書。72頁〉