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僕が感じることの多かった違和感と孤独

どうも、あさまんがです。「少し重いタイトルだな~」と感じたアナタ。その通り。今回は少し、というか割と重めの話題です。しかし、「僕の頭の中を皆さんにお見せする」というコンセプトにおいて、この記事は必要不可欠であり一番大切なのです。お付き合いくださると幸いです。

今回は、僕が数年前によく感じていた(今も感じることはありますが)違和感と孤独についてのお話です。もう少し親しみやすく言うと「モヤモヤ」ですかね。

目次をつけておくので、気軽に「気になったところだけ読む」ということも可能です!それぞれの章は時系列に並べてありますから、もちろん一気読みもできちゃいます。ただし、思いついたことをそのまま書いているので少々ゴチャッとした文章です。

内容はマジメ過ぎる感じですが、テンション感は「居酒屋でぐだぐだ話してる」くらいなので、まぁリラックスしながら読んでくださいね。笑

違和感に気付いていなかった(気付かなくてよかった)頃

小学校に入る前までは、自分の生きるペースが担保されていたと今になって思います。幼稚園に入園したのは僕が年中になる年度からでした。

それまでは家でビデオを見たり、お父さんに連れられて博物館に行ったり、大好きなヒーローのイベントに行ったり…今でもハッキリと覚えています。懐かしいなぁ。

あの時の僕は、(両親によって与えられたものであるとはいえ)悠々自適な生活を謳歌していたといえます。

おそらく今の僕が抱えるような不安を認識することなく、食べたいものを食べ、見たいものを見、行きたいところには連れて行ってもらっていました。

両親からは、当時の僕はおとなしい子供だったと聞いた記憶があります。また同年代の子供と関わる機会はあまりなかったのですが、寂しさを感じたことはなかったはずです。その頃の僕にしか分からないんですけどね。笑

自らの立ち位置に対する違和感

幼いあさまんがくんは5歳になる年に幼稚園に入りました。たくさんのお友達、先生に囲まれる生活の始まりです。

最初は緊張しましたが、環境にも慣れて仲の良い友達もできました。

よく遊びましたし、今でも家族ぐるみで付き合う友達もいます。ただ、この頃あたりから僕は違和感を感じるようになったのです。

いつもの4人組で遊んでいても、どことなく疎外感を抱くことが多くなりました。「僕のこと好きじゃないのかな」と幼稚園生ながらよく思ってました。多分、考えすぎだったのでしょう。ですがこれは、当時の僕にとっては一大事だったのです。

喋っていても、自分の話に対する反応と、友達の話に対するそれはかなり差があるように見えました。

「僕の話、聞いてても楽しくないのかな。」

「他の子と話してるほうが楽しいのかな。」

幼稚園生ですから、ヤキモチというか嫉妬というか、そういった感情も混ざっていたのではないかと思います。幼い子供は自分の感情に素直ですしね。

違和感が確固たるものに

時は進み、小学校高学年からは違和感を抱くのが常になる中で、自分と気の合う友人と付き合うことを覚えました。自分なりの処世術を見出したのです。

それなりに居心地がよく、素直に話せる。今でも付き合いのある親友も、その頃に知り合いました。よく2人で出かけるくらい仲良くしています。嬉しい限りですよね。

僕は父の仕事の都合で小学校を卒業した直後、父の地元である沖縄に引っ越しました。沖縄の中学校に進学し、また1から人間関係を構築していきます。この時はあまり苦労しなかったかな。

サッカーを小4からしていたので、サッカー部に入ったわけですが、楽しい時と精神的にキツい時の差が激しかったです。でも、うまくやっていたほうだと思います。思春期に精神的なキツさを多く体験できたのはまぁまぁ僕の人生には役立ってるかもしれないです。

もちろん気の合う友達もいて、近々Zoomで飲み会をする予定です。

ただ、そうでない人達と話していると、やはり違和感はあるわけです。心のどこかに、恐怖心とも言い難いような、重たい何かが常に存在していました。

自分は笑っているのに、笑っていない。そんな感覚に襲われることも徐々に増えていきました。それと同時に、違和感の輪郭がはっきりと見えるようになってきました。

孤独に対して違和感を感じていた

違和感の正体を見ることになるのは、割と最近になってからでした。具体的にいつとは言いません。別に特定の人が原因ではないにしろ、この記事を見て「もしや自分が原因か」と思い詰めてほしくないからです。この記事を読んでいる僕の知人よ。原因は僕にある。心配しないでね。

結論から言いますと、見出しにもある通り「孤独に対する違和感」だったわけです。その頃の僕は、集団の中で話すときに違和感を抱くことがほとんどでした。

言い方を変えれば「馬が合わなかった」んだと思います。笑っていても笑っていないと上に書きましたね。まさにそんな感じで、話の面白さ(正直、個人的には面白いとは感じない話もありました)が頭に入ってこなかったり、自分を演じることが苦しかったのです。

集団でいるときほど、孤独を感じやすくなるんじゃないかと思います。

僕は、集団に合わせて姿を変えるのがどうも得意ではないようです。カメレオンにはなれません。ですが、ある種の結論に最近気づいた気がします。

それは、(幼い頃は特に)1人でいることが多いけど、その時は孤独を感じることは少ないということです。不思議ですね~。周りに人がいるのに孤独で、いないときは孤独でない。…ややこしくなってきたのでまとめに入りましょう。笑

「1人でいること」を大切に

さて、これまで「僕が感じることの多かった違和感と孤独」というタイトルで僕の思考を皆さんにお見せしてきました。これを読んでいる皆さんの中にも、孤独を体験した方はいるんじゃないでしょうか。

僕は気の合う人と会って遊んだりすることは勿論、1人でいることも好きです。これは幼い頃の記憶によるところが大きいと思います(それ以外にも上にある出来事は理由としてありますが)。

1人でいると、自分のことを見つめられると思います。それもかなり深く。

現代ではインターネットが大幅に普及した反動か、「人との直接的なつながりを大切に」というムードが濃くなってきている気がします。ですが、それと同じくらいかそれ以上に、1人でいることを大切にするべきです。

特に、今回の僕の思考に共感を覚えてくださった方に当てはまるのではないでしょうか。自分のペースも分からないのに、周りに合わせることはとても難しくなります。

コロナ禍の影響で人と直接顔を合わせる機会が減った今、「1人」でいることはなんら不自然なことではなくなりました。僕にとっては寂しいとともにありがたいことでもあります。

こんな状況を生かして、自分をとことん見つめてみるのもいいかもしれませんね。

僕ももっと自分といる時間を増やして、仲を深めていくつもりです。

あとがきとお礼

長くなりましたが、今回はこんな感じで終わりたいと思います。自分で読んでみた感想は、

「疲れた!!でも満足!!」

…ってとこですかね。書きたいことしか書きませんでした。タメになるとかそんなことお構いなしです。笑

あと、noteを始めてから約1週間しか経っていないにもかかわらず、たくさんのスキをいただけて嬉しいです!あなたがたのスキに支えられています。これからも読んでいただけると幸いです。

次回は少し趣味に話題を寄せようかと考えています。なるべく色々なことを文章にしたいですしね。それでは次回もお楽しみに!

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