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2023.12.12 テニエルの挿絵、ゆずの匂い


 アンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム宣言 溶ける魚』が面白すぎて、一気にたくさん読んでしまいそうで危なかったので、本棚にあったユリイカの2003年8月号をひっぱってきてぱらぱらめくっていた。「特集 黒田硫黄」、実家にあったのを借りてきた。多分弟が買ったのだと思う。竹宮恵子、長嶋有、野崎歓、小田扉、まだぱらぱらめくっただけだけど、寄稿者の名前だけで面白そう。それで、これは黒田硫黄特集ではなくその前のページにあった「空間の思考*13」というやつで「街の名前あるいは都市の言語化 ベンヤミンにおける固有名詞 多木浩二」、その中で、「人はなぜ路地に名前をつけるのか」という章を見つけ、もうその章タイトルを読んだだけで面白そう。「人はなぜ~」という文言はどうしたって心惹かれる。それに加え「路地に名前をつけるのか」だ。絶対に面白いに違いない。まだ読んでないけど。
 なにかに名前をつける、ということが気になり始めたのはいつからかわからない。路地って、その名前を知らなくても勝手に通れるけど、どこか知らない街に初めて行って、目的地があってそこまでの道を知りたいときには、名前のある路地ならば知っておくといい、知らなくても建物とかを目印にすれば行けるといえば行ける、知らない土地の路地の名前を知ったとしても、道案内目的だったならすぐに忘れてしまう可能性が高い。
 知っていても知らなくても不便はない名前でも、名前がついているものの名前を知っておくと、ふいに思い出して楽しい気持ちになることもある。と、こう書きつつわたしはひとつも路地の名前が思い出せない。すずらん通りとかは、路地の名前というのだろうか。道玄坂とかは地名? 
 同じくユリイカの2003年8月号の中から「魔術的跛者*17 サトゥルヌスの義足 種村季弘」、これもまだ読んでないから内容はわからないけど挿絵があって、ミハエル・マイヤー『黄金の卓の象徴』(1617)、ファブリキウス『錬金術の世界』より、図125、とか何枚か載っているんだけど、全部多分インクとかペンとかで描いた線だけの絵で、わたしは昔からこういう線だけで描かれた絵が好きで、自分も描きたいと思って練習していた時期があったけど全然うまくならなかった。ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』、「不思議」の方ではなくて「鏡」の方がわたしはとても好きで小学生の頃に読んで、その本の挿絵はジョン・テニエルで、これも線だけで描かれていてとてもいい。

 今日は雨だからか外は煙の匂いがしなかった。茹でたゆずの皮を部屋に並べて広げて乾燥させようとしているけどちゃんと乾燥するのかな。娘はゆずの匂いが臭いと言う。

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