2023.12.11 ファーブルトン、大人の言葉
アンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム宣言 溶ける魚』を読み始めた。
ブルトンと聞いて、確かファーブルトンというお菓子があったよな、と思って調べてみたら、フランスのブルターニュ地方の伝統菓子で、「ファー」は「牛乳で煮た粥」、「ブルトン」は「ブルターニュ風の」という意味で、アンドレ・ブルトンとは関係なかった。
アンドレ・ブルトンはフランス生まれで、出身地はノルマンディーとあるからブリュターニュ地方ではないけど、埼玉出身だけど萩の月をわたしは食べるから、アンドレ・ブルトンもファーブルトンというお菓子を食べたことがあるかもしれないので、関係がまったくないとは言い切れない。
ファーブルトンは近所のスーパーで見かけない。知らない人も多いと思う。わたしは、以前勤めていたパン屋で作って、それで初めて知った。もちもちしていて、プルーンが入っていて、わたしは好きだった。もちもちした食感のものは大概好きで、福島県の中にあんこが入っているゆべしもおいしい。キャラメルもちもち蒸しパンみたいなやつが昔あって毎日食べていた。マロンマロンという菓子パン、これはもちもちではないけど、毎日食べていた。
子どもの言葉、大人の言葉というものの境目を、はっきりと感じたことがある。
中学校に入ると、上級生がやたらと大人に見えて、三年生なんて、先生とほとんど変わらないくらい大人に見える人もいて、だけど今大人になったわたしが中学三年生の子を見ると、しっかり子どもだなあ、と思う。あの中学生の頃に見えていたものはなんだったのだろう。
それで、小学校までというのは、例えば全校集会とかで、児童会の児童が喋るとき、
「これから全校集会を始めます」
と言う。
それが、中学に入ると、二年とか三年の先輩が、
「えー、これから全校集会を始めます」
と、言葉の始めに「えー」と言うのだ。
これを聞いて、わたしは、これは完全に「大人だ」と思った。
小学生の頃というのは、最上級生の六年生でも「えー」なんてことは言わない。
「これから全校集会を始めます」
という、用意した、もしくはされた言葉を、そのまま、言う。(だから、「これから全校集会を始めます」が、子どもの言葉というわけではない。子どもの言葉は、感じたり見たりしたものをそのまま伝える言葉。「暑い」とか「おいしい」とか。まあ、だから、子どもの言葉、とあえて区別する必要もないのか。ただ、「言葉」そのままの「言葉」)
それが、中学の先輩たちは、
「えー、これから全校集会を始めます」
と、文の始まりに「えー」を付けることで、「この、「全校集会を始めます」という言葉は、今これを喋る、わたしがまさに喋るのですよ」という明確な意志を感じる。
小学校でも、先生たちは、喋り始めに「えー」を付けていた。喋り始めではなく、喋っている間にも何度か「えー」を入れる。
それで、わたしは、中学校に入り、先輩と言えども同じ中学校の生徒である人たちが、「えー」を挟みながらみんなの前で話している姿を見て、「大人だ!」と興奮したのだった。
しばらくすると、同級生達も、先輩の真似をして「えー」と言い出した。みんな、大人になったのだ。わたしはいまだに「えー」と言えないかもしれない。人前で話すのがとても苦手なのだ。「えー」には余裕が感じられる。
朝、娘が家を出て、歩いて通学班の集合場所に向かう。角を曲がり姿が見えなくなるまで手を振る。
息子とバス停まで歩いていると、必ずどこかから煙の匂いがする。帰ってくると髪の毛が煙の匂いになっている。煙の出所はまだわからない。
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