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森永製菓トレーニングラボを退職しました。-4-

6年目に入る頃、海外遠征の機会が増えてきた。

はじまりの続き-エピソード4-


初めて海外帯同した国はスロベニアだった。

海外には妻のワーホリ中にシドニーへ一週間行ったぐらいでほぼ経験0に等しかった。

1人でスロベニアに入りそこから宿泊先へは担当者に送迎してもらった。

送迎中はやっと日本語が話せる喜びと安堵感で口数が多かった。

その担当者の方にはそれから数年かなりお世話になった。

コミュニケーションが上手い方だった。

最初の遠征は10日間、次はマレーシアに違う選手帯同で行った。

次は中国、韓国、オーストリア、オマーン、ドイツ、イタリア、2020年までに8カ国行かせてもらった。

貴重な経験だった。

言葉、文化、宗教、食事、気候、治安、日本とあまりにも違う光景だった。

どの国へ行った時もよく観察した。人、言葉、景色、雰囲気。

そんな中、同じだったことあった。

スポーツで熱狂することだった。

万国共通。

オリンピックとはよくできた祭典だと思った。

人間の感情を揺さぶる。

勝っても負けても人の心は揺れ動く。

この舞台で1番になりたい。

確かに誰しもが思う世界だった。

その世界に携わらせてもらったことに本当に感謝しかない。

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2017年ぐらいから自分が受けた恩恵を還元できないだろうかと考えるようになった。

在籍中の肩書きはパフォーマンススペシャリスト。

無形の資産を扱う仕事だ。

目に見えるものは結果でしかない。

アスリートと同じ結果が全ての世界だった。

同じように考えているアスリートからあるセッションに誘われた。

とても興味深いセッションだった。

フューチャーセッション

その内容は、チームスポーツの現在のあり方は地域からサポートされているという前提を当たり前ではなく、チームが地域に対して良い影響を与えるためにはどういうことをすれば良いのかという内容のものだった。

確かに、サッカー、野球、ラグビー、バレーその他ほかにも地域名や企業名がついているのはそこの資産を使いながらチーム運営を行なっている。

運営側が運営のことを考えるのは当たり前だが選手が運営のことを考えてさらにそれらは社会に還元する方法をみんなで考えるというものだった。

自分ごととして考えると、パフォーマンススペシャリストという無形の価値を提供するものから有形のものを同時に創るものとして考えることで、もしかしたら今までののノウハウが還元できるのではないかと考えるようになった。

色んな点が繋がる考え方だった。

2017年から3年間は無形のものだったものを有形にする作業の連続だった。、、、、、

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永代優仁 / ナガヨ マサヒト
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