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【俳句】第26回炎環賞の結果を読んで

先日発行の俳句結社誌『炎環』11月号にて、
「第26回炎環賞」の選考結果が発表されました。
対象は未発表20句。応募は会員・同人を問わず。

主宰、全応募者ならびに選考委員の皆さま、お疲れ様でした。
昨年までは選考委員、過去には応募者の一人だった私。
どちらの立場でも全力のぶつかり合いであることを体験していることもあり、ずっと結果が気になっていました。

今回の結果は「該当作なし」。
ここ数年、毎年、受賞者あるいは「みらい賞」の受賞者が出ていました。
だから最近、入会された方にとっては初めての結果だったかもしれません。
しかし、もっと前は「該当作なし」が割とある時があったので、久しぶりだと思いました。

さて、今回の炎環賞についてです。
(結社誌の著作権的観点から)選考過程や選評についての詳述は省きますが、下記の2点が今回の結果と結びついているという印象を個人的に受けました。

・俳句形式についての考え方(意識)
・作品が一句として独立した存在感を示すことができているか
(かつ作品群の並びにおいても要となり、魅力を放つものとなっているか)

誌上には最終候補作品が掲載されるのですが、どの作品も破綻がなく上手できれいに纏まっていると思いました。
最終候補は若手が多く、私が若手だった頃はこんなに上手ではなかったのですごいと思います。多分、当時の私が応募したらこのレベルの高さでは予選すら通らないと思う、マジメな話(^_^;)
技術の高さは重要。熱意とまっすぐな気持ちの反映でもあり、それらが作品群から伝わってきました。

反面、下記の印象ももちました。

①全体の要となる俳句の存在感が弱い(ゆえに、20句全体の緩急も弱い) 
②一句の中の情報が多く焦点が絞り切れていない、または言葉の整理ができていない
(ゆえに、言葉や内容の面白さが浮き上がって、十七音として昇華されていない→俳句形式で詠む(書く)表現になっていない)
③季語とそれ以外の言いたいことの「濃度がほぼ同じ」で、せっかくの季語が活かしきれていない。また「切れ」が弱い

技術力やポテンシャルが高い作品が多かった最終候補作品。
①~③があったら、一気に飛び出せるのでは?! と思いました。
その意味で35周年を迎える来年の展開が楽しみな結果であり、選評は主宰や委員からのエールであったのではないか、と個人的に感じました。

そして今回、選考委員が指摘していたことは、賞の応募に限らず、
「なぜ、俳句という形式で己を表現するのか」という根幹にかかわる内容だと思います。
今回の結果は、期せずして私自身もそのことを顧みるよい機会となりました。

最後に。最終候補作品しか読んでいないのですが、その中での私の特選は上山根まどかさんの「細き罅」です。
パーソナルな状況や場面を叙述に頼らず、あくまでもモノで具体的に語り、かつ季語の力を信じた20句で、心理的・映像的にも全体に緩急があり、素晴らしいと思いました。

以下にまどかさんと他の最終候補の方の感銘句を一句ずつ挙げて、稿を終えたいと思います。

【感銘句(第26回炎環賞・最終候補作品より、敬称略)】

入学式休符のやうに我が子ゐて 上山根まどか

学び舎の巣箱の穴のやすりがけ 前田 拓

黄金週間森を生みゆく刺繍針 このはる紗耶

ひるがへる闘魚や眠るだけの部屋 内野義悠

母の手の秋茄子ききと鳴りにけり 小笠原黒兎

向日葵のぐらりとゆるる投票所 松本美智子

夏帯のなにもかもさびしき絵なり 箱森裕美

窓のなき給湯室にががんぼと 秋山裕美

あの時の君へとつづく青岬 渡邊 隆

いつせいに七千本の薔薇の息 長谷川いづみ



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